第197話 リューブラント侯爵

 広く天井の高い部屋の南側――白い大理石でできた壁の両端に設置された天井付近まである大きな腰窓から差し込む陽射しが、部屋全体に柔らかな明かりをもたらしていた。


 部屋の奥、南側には重厚で十分な広さのある執務机が置かれている。その机は年代を感じさせるものだが丁寧に使われていることがうかがえた。

 ランバール市の市長官邸で見たものよりも質の良いものに感じる。


 それにあの光沢、実家で見たことがある。俺の記憶に間違いがなければ漆塗りだろう。

 こちらの異世界に来て漆塗りを初めて見た。


 左右の壁――方角でいえば西と東の壁は天井まである書架が設置され、高価そうな装丁の本が並んでいる。

 そして部屋の中央には応接のためのソファーとテーブルが置かれており、俺とリューブラント侯爵はこのソファーに向かい合うようにして座っていた。 

 

 この広い部屋には主であるリューブラント侯爵と俺、そしてリューブラント侯爵の後ろで静かに控えているセルマさんの三名だけである。

 護衛はいない。

 護衛が必要ないと判断したのか無駄と判断したのかは分からないが、護衛よりも俺との会談内容を他者に聞かれることを避けたことは確かだ。


 静寂に包まれた部屋はリューブラント侯爵が手紙を読み進める音がかすかにするだけだ。


 目の前で手紙を読み続けているリューブラント侯爵はラウラ姫やセルマさん、ローゼから聞いていたのもあるが想像していた通りの人だった。


 年齢こそ五十代半ばではあるが、昔は国軍の将軍まで務め上げただけあって身体は引き締まり無駄な肉など無さそうに見える。豊かな金髪にもわずかに白髪が見られる程度である。ありていに言って四十代そこそこにしか見えない。

 その所作は落ち着き威厳を漂わせている。だが、何よりも厄介なのはそのポーカーフェースだ。先ほどから顔色ひとつ変えることなく終始つまらなそうな顔で親書を読み進めている。


 さすが、現役の高位貴族である。簡単に感情を表に出すようなことはしないか。

 唯一感情を露わにしたように見えたのはラウラ姫との再会のときだけだ。


 涙を流してラウラ姫を抱きしめて彼女の無事と再会を喜んだ後で、俺たちひとりひとりの手を取り感謝の言葉を述べていた。

 それにしたって、先触れでラウラ姫が無事に到着することは分かっていたのだからどこからが本気でどこからが演技なのかは分からない。


 それでも、安否が気遣われていた――正確には死亡したとされていた孫娘と無事再会できたことを喜ぶ姿は本心であったと信じたいな。

 その後の俺たちへのお礼と歓待は演技や社交辞令でも構わない。


「フジワラ君だったかな? 君はこの親書の内容は知っているのかね?」


 ルウェリン伯爵からの親書を丁寧にまとめなおし、左手でわずかに揺らしながら視線は俺に固定されている。


「はい。存じております。正確に申し上げれば私の進言を採用頂いたのがその親書です」


 俺の回答にリューブラント侯爵の顔が一瞬だが驚きの色が浮かべ、すぐにつまらなそうな表情がそれを覆い隠す。


 さすがは国の中枢に居座り続ける貴族だけのことはある。あの一瞬の驚きの表情を見逃していたらその心情は掴みかねただろう。

 だが、後ろで控えているセルマさんは驚きの表情を隠せずにいる。


 ルウェリン伯爵の親書に記されているのは、グランフェルト領とラウラ姫の処遇。そしてリューブラント侯爵のカナン王国への寝返りをお願いするものだ。


 この異世界、王国とはいっても王家の力はさほど強くない。王家の立ち位置を言い表すとすれば、諸侯連合の代表といった感じだろうか。

 俺の感覚からすれば日本の戦国時代の大名よりも立場は弱い。王家が自分たちにとってマイナスにしかならないと判断すれば、それこそ裏切りや寝返りなどされるのは当たり前のことだ。


 

 グランフェルト領は終戦後にミチナガ・フジワラ――つまり俺を総領事としてルウェリン伯爵が統治をする。

 戦争捕虜であるラウラ姫はカナン王国が現グランフェルト領を統治するにあたり、領民の心情を鑑みて総領事として赴任するミチナガ・フジワラと当面は婚約とするが行く行くは婚姻を結ぶ。


 これが当初予定されていた終戦後のグランフェルト領統治のための筋書きである。

 この噂は前線からも伝わって来るだろうが、ここ数日は各地で突発的に広がっている噂でもある。もちろん突発的に噂を広げてたのは俺たちである。


 しかし、これを覆す内容が親書に記されている。


 ラウラ姫は捕虜ではなく国賓として迎え、戦争が終結しグランフェルト領が落ち着くまではラウラ姫の祖父であるリューブラント侯爵の下で静養頂く。

 リューブラント侯爵の下への移送はミチナガ・フジワラを隊長とする特別遊撃隊が護衛を兼ねて同行する。

 グランフェルト領についても終戦と同時に正当な継承者であるラウラ・グランフェルト嬢へ返還し、カナン王国は一切の権利を主張しない。

 ただし、グランフェルト領返還の条件としてリューブラント侯爵のカナン王国への寝返りが必須である。


 カナン王国への協力が頂けない場合はグランフェルト領をそのままルウェリン伯爵が治める。

 ただし、ラウラ・グランフェルト嬢の扱いに変更はないものとする。


 条件としては破格だ。

 リューブラント侯爵にもラウラ姫にも損はない。いや、それどころか裏はないかと疑うような内容だ。

 

「ガザン王国は度重なる戦争で民衆は心身ともに疲弊をしています。王家は戦争で功績を挙げた貴族が好き勝手にやり放題なのを放置しています。本来はこれを正すべき王家が彼らと共に率先して戦争を仕掛けているのですからこの国が自力で立ち直ることは出来ないと思います」


「カナン王国か」


 リューブラント侯爵を真っすぐに見つめて話す俺に自身の心情を読み取られるのを避けるかのように静かに瞳を閉じる。


「ガザン王国は長くはありません」


 近い将来の予測を断定的な口調で話す俺の言葉にリューブラント侯爵が感情を表に出す。口角がわずかに上がり目を見開くと寂しそうな視線を俺の背後へと向けた。

 自嘲か……


 背後には肖像画があったな。歴代王家と歴代のリューブラント家の当主が並んでいた。

 視線の先は誰を見ているのか……


「――親書には王家の紋章が入っていないが、どこまで信用出来る?」


「その親書に書かれていることをお約束するのはカナン王家ではなくルウェリン伯爵です。今回の戦もカナン王国側から見ればルウェリン伯爵領を侵略したガザン王国の迎撃と排除です。その排除の延長として強硬派の領地を中心に削り取っているというのが現状です。戦争の主体はルウェリン伯爵にあり功績が最も大きいのもルウェリン伯爵です。王弟が軍を率いて参戦していますが発言力はルウェリン伯爵には及びません。これは今回の戦後処理でも変わらないでしょう」


「その辺りのことは承知しているつもりだ。そういった背景を含めて私は誰をどこまで信用したら良いかを尋ねているのだよ。私を説得しに来たのではないのかな?」


 あれ? おかしいな、交渉のアドバンテージはこちらにあると思っていたんだが。

 これではメロディを購入した奴隷商人に足元を見透かされていたときと変わらないか。


 いや、あのときとは違う。別に成長をしたとか駆け引きを何度もして経験値を積んだとかではない。

 今の俺には実績がある。戦争で示した実績、ランバール市でアーマードスネークを倒した実績。これは交渉する上で何ものにも代え難いもののはずだ。


 同じ行動をしても同じ言葉を発しても見る側が聞く側が勝手に俺の言動に重みがあるものとして受け止める。

 違うな。それだけじゃだめだ。


「私とその仲間であるチェックメイトがこの件に関してあなたの味方になりましょう。ルウェリン伯爵を敵に回しても約束を守らせます」


 軽く苦笑しながら両腕を軽く広げて手のひらを見せる。よくテリーがやる仕種だ。ただし、肩をすくめるようなことはしない。


 これは皆で相談をしてあらかじめ用意してあった交渉の切り札だ。まさか早々に切ることになるとは思わなかった。

 この分だと一旦交渉を延期する必要があるか。


「面白いな。遥か後方であるここまで名声が聞こえてくるほどの戦争の英雄が私に味方してくれるのか。一時的とはいってもルウェリン伯爵を敵にして私に味方をしたという事実は望外のものだ」


 リューブラント侯爵が突然笑い出し、これまでとは違って一際大きな声で話を続ける。


「私としてはそちらの方が望ましいな」


 実に楽しそうな笑顔だ。後ろに控えるセルマさんはあっ気に取られている。セルマさんの反応を見る限り俺のほうに落ち度は無いように思えるが。


「英雄ですか? それは買い被りすぎです」


 リューブラント侯爵の反応に何かミスをしたのではと不安になり、これまでの会話を振り返りながら穏やかな口調で返す。


 大丈夫だ。ミスは無い。

 ミスではないが切り札を早々に切ったことは気になるものの、交渉の流れから考えて切るタイミングは間違っていない。実際に交渉は上手くいっている。


「前線での出来事は伝わってきているよ。もちろん、ランバール市での英雄譚も聞いている」


「戦争は英雄を作りたがるものです。味方は士気を上げて見られたくないことから視線を逸らすために。敵は自分たちの落ち度を敵に現れた英雄のせいにして責任を逃れるためにです」


 上機嫌で話を進めるリューブラント侯爵を見ていると不安が尽きない。リューブラント侯爵のランバール市への影響力を考えればランバール市での出来事は詳細に掴んでいるだろう。


「ランバール市のことは……そうですね。私たちも少しやり過ぎたかも知れません」


 こうしてみると、前線からの情報もそうだが、ランバール市での出来事がどこまで伝わっているのか調べ切れていないのは痛いな。


 いや待てよ。もっと根本的なことが出来ていないじゃないか。

 ここまでは話が順調に進んでいるように錯覚するが、こちらはいろいろと言質を取られているがリューブラント侯爵は何一つ約束をしていない。


「それで、お返事を頂けませんか?」


「そうだな。私に損は無い。民衆のことを考えれば君の言うようにカナン王国へ協力すべきなのだろうな」


 そこで一旦言葉を切り、芝居が掛かったように深いため息をつくと静かに言葉を紡ぐ。


「それで君は私に何を望む?」


「多くを望むつもりはありません――」


 俺に言葉をうながしておきながら、俺が話し出したタイミングで左手を軽く挙げて押し留めるとリューブラント侯爵が再び話し始める。


「いや、その前にフジワラ君。君の、君たちチェックメイトの利益を教えてくれないか。本当の望みはなんだ? 少なくともここまでの話では君たちにとって利益は見当たらない」


 リューブラント侯爵はそう言うとソファーに深く座りなおし背もたれに体重をあずけて、俺の返答を待つようにそれ以上の言葉を発さず真っすぐに俺を見つめ直すとそのまま視線を固定する。


 そこから俺とリューブラント侯爵との本当の話し合いが始まった。

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