第182話 宴 ‐ロミ視点‐

 もう夜の十時を回っているのに酒場は人で溢れ返っている。

 誰も帰るような素振りを見せない。皆、お酒や食事よりも話すこと聞くことに夢中になっていた。


 それはこの酒場だけじゃないと思う。

 このあたりの酒場はギルドが借りきっているから他でも同じような光景が見られるはずだ。


 本当なら今夜はオーガ討伐の成功を祝ってギルド主催の宴が催されるはずだった。

 何しろ、一度に七体のオーガの討伐に成功して死者ゼロだったのだから、それこそ盛大なお祝いになるはずなのに実際には違う。


 ううん。

 宴は予定よりも盛大に行われている。


 鳥や獣の肉、山菜、それに滅多に採れないハチの子の料理が次々と運ばれてきていた。

 もちろん、お酒もたくさん出てくる。私も普段は飲まないお酒をアルの隣でチロチロとなめている。


 料理やお酒を囲んでいる人たちの話題にオーガ討伐が出てくることはない。


 七体のオーガ討伐の成功が霞んじゃうことが起きたからだ。

 おとぎ話や伝説、神話の中でしか起こらないと思っていた出来事。人々が『厄災』と恐れるアーマードスネークが討伐されたのだ。


 今、思い出してもあのときの興奮が鮮明に蘇ってくる。

 それは私だけじゃない。それを見ていた人たちは皆同じみたいだ。さっきからあちこちで見ていた人たちが自慢気に話をしている。


 聞いている人たちも、その場にいた私たちを羨むようにして聞いていた。

 実際羨ましいんだと思う。


 もし私が逆の立場だったら、英雄が誕生する瞬間を見られなかったことをもの凄く悔しがるんじゃないかな。

 ランバール市の中は新たな英雄――現代の英雄の誕生に沸き返っていた。今まさに興奮の只中にある。


 私とアルも見習いの仲間やいつもお世話になっているパーティーの人たちと一緒に、ギルドが借り切った酒場でその宴に参加をしている。

 八人掛けのテーブルに十二人が詰めて座っていた。


 料理もお酒も前例がないくらいに振舞われていた。

 今回の討伐で仕留めた山鳥や鹿、ワイルドボア、そしてハチの子とたくさんの食材をギルドが買い取って皆に料理をして提供してくれている。

 

 このハチの子、ハイビーの巣を持ち込んだときも、ギルドの職員さんや先に帰ってギルドで私たちの帰りを待っていた人たちが驚いてた。

 それはそうよね。あの短時間でハイビーの巣を三つも回収してくるなんて思ってなかったんでしょう。しかもそのうちのひとつは特大の巣だったし。


 でも、その後でフジワラさんがアーマードスネークをアイテムボックスから出した瞬間の皆の表情の方が面白かった。

 アーマードスネークをアイテムボックスから出した瞬間に音が消えた。横たわるアーマードスネークを見つめて誰もが息を呑む。そしてそのまま固まってしまった。


 私たちが想像してた通りの反応を示してくれた。

 そんな風に思いながらも皆が口を開けてアーマードスネークを見つめたまま固まっているのが可笑しくて仕方がなかった。


 アルなんて自分が仕留めたわけじゃないのにもの凄く得意気な顔をしていたな。

 ううん。アルだけじゃない。もっと大人の探索者の人たちも「どうだ」と言わんばかりに得意気な顔をしていた。


 フジワラさんを初めとしたチェックメイトの皆さんだけは、ちょっと困ったような顔をしていたのが印象的だった。


 ◇


「凄かったんだよっ! アーマードスネークをたった六人であっと言う間に倒しちゃったんだっ!」


 隣のテーブルで二十歳くらいの女性の探索者が同じ探索者や騎士団の人たちにお酒と興奮とで顔を赤くしながら話しているのが聞こえてきた。


「炎がブワーって広がって、雷がバリバリバリって光ったんだ」


「その後だよね。洪水みたいな水魔法で炎を消しちゃったんだよ」


「最後は氷漬けだったね」


 男の人も一緒になって身振り手振りを交えて話をしていた。誰もが興奮をしていてちゃんとした会話になっていない。


「でもさ、その前の方が格好良かったよね。『必ず仕留めるから安心してくれ』って。笑顔で言うんだよ」


 二十歳くらいの皮鎧を着た女性が山鳥の肉を片手にうっとりとした表情で言った後で、向かい側に座っていた男の人をからかうように話を続ける。


「あんたらじゃ、あんなセリフは出てこないよね」


 からかわれた男の人も「当たり前だろうがっ」とか言いながらビールの入ったコップを傾けている。


「でも、生きた心地がしなかったよね」


 隣で、やはり二十歳くらいの女性の探索者が、苦笑しながら空になったコップをドンッ! とテーブルに置いた。


「分かるよ。アーマードスネークの身体の一部が見えただけであたしは死を覚悟したよ、あのときはさ」


 隣のテーブルでうなずく女性の言葉に私もあのときのことを思い出す。

 思い出すだけで鳥肌が立ってくる。


 ▽

 ▼

 ▽


 木や枝、葉に隠れてほとんど見えないけど、木や葉の隙間からわずかに黒く光る大きなウロコが見える。

 アーマードスネーク、『黒い厄災』。


 ギルドの資料室で読んだ本に出ていた。先輩の探索者の人たちからも教えてもらった。『黒く光る大きなウロコを見たら逃げろ』誰もがそう教えてくれた。

 教えてもらっただけじゃない。


 子どもの頃、何度も聞いたおとぎ話。絵本で見た絵。探索者登録をしてからは、ギルドの資料室で絵を見た。

 絵だけじゃない。それがどんなに恐ろしい魔物なのかも読んで知っていた。


 想像していたのとは違う。

 木や葉の間から黒く大きなウロコが見え隠れする。身体の一部しか見えないけど巨大さを想像させるには十分だった。目を逸らすことが出来ない。音が聞こえる。フォレストベアやアーマードタイガーのような咆哮ほうこうじゃない、動くときの音だ。他にも音や周りの人の声は聞こえるけど、アーマードスネークの動く音が私の耳を支配する。空気が震える。空気の震えを受け止めた肌に鳥肌が立つ。巨体が動く度に地面が震える。地響きがすくんだ足から残るわずかな力をうばう。


 ダメだっ! 逃げなきゃっ! 逃げないと死んじゃうっ!

 あれは関わっちゃいけないものだ。 


 頭の中が真っ白になった。

 叫び声を上げたかった、思いっきり泣き出したかった。でも、それさえ出来ずにただ黒いウロコが動くのを見つめていた。


「俺たちが相手をする」


 決して大きな声ではなかったけど、とてもよく聞こえた。フジワラさんだ。その声が聞こえた途端に視界が霞む。涙だ、ボロボロと涙が溢れ出した。まだ身体は震え鳥肌も消えなかったけど、叫びだしたい気持ちは消えた。


 え? でも、相手?

 何の相手をするんですか?


「……仕留める。安心してくれ」


 え? 仕留める?

 何を仕留めるんですか?


 安心? 何を言っているんですか?

 そこにアーマードスネークがいるじゃないですか。


 フジワラさんの視線の先にはアーマードスネーク――黒い厄災がいる。不気味な音をたてながらこちらへと向かってきている。

 

 周りの人たちが恐怖に顔を引きつらせて、私と同じように何も出来ずにただ見つめるだけだったのにフジワラさんたちは違った。


 フジワラさんは優しそうな目でほほ笑みかけている。

 テリーさんはランサーズって他の探索者の人たちが呼んでいた――自分の奴隷たちに何か指示を出していた。


 聖女さまとアリスさんはアーマードスネークを何やら楽しげな表情で見ている。

 ボギーさんも帽子で目が隠れていたけど口元には笑みが見えた。


 突然遭遇した厄災に誰も驚いている様子もない。恐怖も抱いているようには見えない。

 チェックメイトの人たちの視線はアーマードスネークに据えられている。

 

 え? まさか……

 アーマードスネークと戦う?


 無理だっ! 戦いになんてなりっこない。

 ダメだ。 戦っちゃダメっ! 行っちゃだめですっ! 行かないでくださいっ!


 言葉が喉元まで出掛かっているのに出てこない。出てくるのは涙だけだ。


 横を見るとアルも私と一緒だった。

 泣きながらフジワラさんたちを見ているだけだ。


 他の大人の人たちは? 誰か止めてっ!

 すがるような思いで、涙で滲んだ目で回りにいる大人の人たちを見たけど、誰もフジワラさんたちを止めようとしない。誰も何も言わない。皆、私と同じように何も出来ずにいる。


 再びフジワラさんに視線を戻すとテリーさんと何か話をしている。二人の視線の先には……黒くて大きなウロコが不気味に動いていた。

 二人とも、アーマードスネークなんて気にもしていないようにしか見えない。 


 何でそんな風に平然としていられるんですか?

 ちょっと、アリスさん。何で準備運動なんて始めているんですか? 聖女さままで槍を振り回して何をする気なんですか?


 フジワラさんは一言二言言葉を発して、皆に向かって優しくほほ笑むと、そのままきびすを返してアーマードスネークへと身体を向ける。

 次の瞬間、五人の魔術師――フジワラさんたちが黒い厄災へと向けて走り出した。


「ダメですっ! 戻ってきてくださいっ!」


 私が伝えようとした言葉がどこか遠くで聞こえる。声のする方を見るとジェラルドさんとウルリヒさんが見えた。

 今、声を発したのはあの辺りにいた人たちかな?


「フジワラさん、戻ってくださいっ! 逃げましょうっ!」


 ジェラルドさんたちのパーティのリーダが震える脚で小さく数歩前に進みながら、既に声が届かないような距離にいるフジワラさんたちへ向けて尚も叫んだ。


「戻ってきてくださいーっ!」


 フジワラさんたちは振り返ることもなくそのまま走り続けている。


「に、逃げなきゃ……」


「ダメだよ。もう……」


「聖女さまーっ!」


「戻ってっ! 危険ですっ!」


「せめて聖女さまだけでも……」


「あの人たちが相手をしている間に逃げよう」


「あ、ああ……」


「と、ともかく時間を稼いでくれているんだ。無駄にしないようにしないと」


 ようやく何人かの人たちが言葉を発する。


 でも、それ以外の人たちはただ泣いたり、意味を持たない言葉にならないような声を発したりするだけだ。

 恐怖と絶望、そして理解できない行動をするフジワラさんたちを目の当たりにしての戸惑いが皆の間に広がっていた。


 え? 何?


「何だーっ!」


「凄い……」


 突然、とても大きな炎の柱が現れた。

 炎の柱だけじゃない……渦を巻くようにしてアーマードスネークのいた辺りをもの凄い勢いで炎が覆う。


 それは――何本もの大きな炎の柱は、まるで神話の中に出てくる神の怒り。天を焼き尽くすような炎のよう。あんな炎は今まで見たことがない。

 私はその炎の柱と柱を中心に広がった炎の海に見とれていた。


 私の中にあった恐怖と絶望が小さくなっていく。驚きと期待が少しだけ膨らむ。


 周囲からはどよめきが起きた。

 今まで泣いていただけの人たちも感嘆の声をあげている。


 突然、蒼く輝く雷が何本も天と地を貫き、炎の海を斬り裂いた。

 神の怒りのような雷。

 あれはフジワラさんたちが放った魔法だ。これも見たことがないような魔法、神話の中でしか聞いたことがないような魔法だ。


 ううん。神話にさえ出てこないようなことが目の前で起きている。


 天を焼き尽くすような炎の柱と森ごとアーマードスネークを呑み込むような炎の海。そして、それを斬り裂く雷。


 濁流っ!


 今度は炎の海を呑み込むような濁流が突然発生した。そして炎の海を呑み込んで跡形もなく掻き消してしまった。

 あの炎の海を瞬時に消してしまうほどの濁流。それは都市を一夜にして滅ぼした――魔神の怒りによって生み出された洪水のようだ。


 その洪水の後からアーマードスネークが姿を現した。

 今までとは違う。巨大な全身があらわとなった。


 本当なら先ほどの比ではないような恐怖と絶望に襲われるのかもしれない。

 でも、目の前に現れたアーマードスネークは傷付き疲弊した巨体を横たえている。


 どよめきが歓声に変わる。歓声が皆の間に広がっていく。


 まだ決着は付いていない。

 でも、間違いなく英雄が誕生した瞬間だ。伝説や神話なんかじゃない、本当の英雄だ。

 

 私は涙を拭った。

 見なきゃ……この光景を目に焼き付けなきゃ。

 今、私の目の前で凄いことが起きているんだ。伝説や神話を超えるようなことが起きている。


 それは人が決してたどり着けないと思っていた領域。空想くらいはした。でも次の瞬間には笑い飛ばしていた。


 拭っても拭っても涙で視界が滲む。震えが止まらない、鳥肌も……でも、さっきまでのとは違う。

 もう、恐怖も絶望もどこかに消えていた。


 今まで聞いたどの英雄よりも凄かった。

 英雄は仲間や配下の魔術師の援護を受けて戦う。不思議と英雄のほとんどは魔法を使わない。身体強化とわずかばかりの属性魔法を使う英雄もいるくらいかな。それも少数だ。その少数の英雄も最後は剣の一振りでアーマードスネークの首をはねる。


 子ども心にもおかしいと思っていた。何よりも硬いアーマードスネークの首を剣の一振りではねる。ありえない。

 魔術師の放つ伝説のような魔法よりも強力な剣の一振り。ありえない。


 伝説や神話の中の英雄は何人もの仲間や部下を連れていた。

 チェックメイトの人たちはたった六人だけ。


 それも魔法だけで仕留めた。

 伝説とは何から何まで違う。でも、どんな伝説や神話よりも凄かった。


 鳥肌は立ちっぱなしで震えと涙は止まらなかった。

 新しい伝説の誕生する瞬間に立ち会えた。ただそこに居るだけで鳥肌が立つ。涙があふれ出してくる。


 アーマードスネークが氷漬けになったのを見た人たちは狂ったように歓声を上げる。

 皆の視線の先には凍てついたアーマードスネークとチェックメイトの人たちがいた。


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        あとがき

■■■■■■■■■■■■■■■ 青山 有


7月28日より「水曜日のシリウス」にて本作品のコミカライズがスタートいたします

どうぞよろしくお願いいたします

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