第168話 休息

 目の前に美しい少女がいる。

 透き通るような白い肌と、絹糸のような柔らかく艶やかに光が波打つように輝く金色の髪の美しい少女だ。南の海のような鮮やかな青い双眸を輝かせてこちらを見ている。


 夢……かな?


 銀糸で刺繍をされた白い服をまとった美少女は、俺のベッドの上で女の子座りをしている。

 もの凄く上機嫌でニコニコとほほ笑んでいる。女神さまだ。


 そうか、どうやら俺は宿に戻るなりそのまま眠ってしまったようだ。


 陽光を反射する美しい湖のほとり、コバルトブルーの海に白い砂浜の広がる浜辺、さわやかな緑が薫る高原、満天の星と月明かりが降り注ぐ湖畔、異国の王族が使うような豪華な調度品の揃った寝室。

 夢の中での女神さまとの逢瀬――昨夜までは毎晩違ったロケーション、それも絶景と呼べるような心洗われるような景色が広がる場所がほとんどだった。


 そんな美しい風景の中、豪華なベッドが一つだけ置かれているというシュールな世界。ここ最近、女神さまと会うのはいつもそんな感じだった。

 まあ、夢の中なので何でもありと言えばありなのだろう。


 なのになんで今夜は宿屋の俺の部屋なんだ?

 しかも、ベッドも宿屋のベッドのままだ。それなりに高い宿ではあるが平民が宿泊するような部屋のベッドだ。これまでの夢の中に用意されたベッドとは雲泥の差である。


 俺の方はそれでも良いが女神さまはそれで良いのか?

 それとも、今夜はダンジョン攻略のねぎらいの言葉だけで何にも無しなのだろうか?

 

「こんばんは、ミチナガさん」


 女の子座りで、両手は自身の膝の上に置いたまま柔らかな声で語りかけてきた。


「こんばんは、女神さま」


 女神さまのあまりの上機嫌振りに若干引きながら間の抜けた挨拶をする。


「ダンジョン攻略おめでとうございます。まさかあのダンジョンをこうも短時間で攻略するとは予想もしていませんでした。予想外の朗報です」


 お祈りをするように両手を胸の辺りで組んでキラキラとした目で見つめてくる。


「え? あのダンジョンって初心者用じゃあなかったんですか?」


 簡単に攻略できたとはとても呼べるような戦闘ではなかったのだが、そこには触れず真っ先に湧き上がった疑問を口にした。


「とんでもない。最難関ではありませんがトップレベルですよ。単純に守護者の強さなら十番目くらいですよ」


 フルフルと首を振ったあとで、両の手のひらを顔の前で広げて力説している。どうやら広げられた両の手のひらは十番目を表しているようだ。


 なるほど、やっぱり強かったんだ。ということは大半のダンジョンの守護者はあのミノタウロスよりは弱いんだな。それは助かる。

 とはいえ、あのミノタウロスよりも強いのが上に九体もいるのか。


「では、あれよりも強いのがあと九体もいるんですね」

 

 内心の『面倒だなぁ』という消極的な気持ちを悟られないよう、さもこれからの対応をどうするか考えている振りをする。 


「そうですね、います。でも、そんな風に後ろ向きにならないで下さい」


 ダメだ、バッチリと悟られている。いや、バレていると言ったほうが正しいか。


 女神さまは少し目を伏せるとすぐに顔を上げて再び話し始めた。


「無理に強い守護者と戦う必要はありません。でも、運が良ければそんなに強い守護者と戦わずに済みますから、そんな風に後ろ向きにならないで下さい」


 俺の右手を取って、自身の両手で包み込むように握ると優しい笑顔を向けてくる。


 慈愛に満ちた笑顔というやつか。俺の手を握る女神さまの手は小さく柔らかい。そしてとても温かな手だ。

 何だろう、胸の辺りが傷むな。

 

「運が良ければ?」


 取り敢えず、胸の痛みは無かったことにして疑問を先に解決することにした。


「ええ、攻略するダンジョンは五十箇所ですが――――」


 女神さまの話を要約するとこうだ。


 この異世界には文明レベルが低い国や、国家としての体をなしていない地域、未開の地があり、当たり前の話だがそこにも多くのダンジョンが点在している。

 それこそこの世界にダンジョンが五十箇所しかなければ、攻略するよりも探し出す方の難易度が高くなってしまう。

 

 だが、そんな心配は必要ない。この異世界にダンジョンは大小合わせて数百箇所ほどあり、これからも次々に生まれてくる。

 つまり、運がよければ近場の、それも難易度の低いダンジョンだけで目的を達成できるという訳だ。


 問題は今回のように、ダンジョンの深さや大きさがそのまま守護者の強さを量る材料にはなっていないことだ。

 最下層の手前数階層の敵から予想するしかないのだが、それもあくまでも目安で絶対ではない。


 守護者が強かった場合は逃げ帰ってくる用意を調えて挑むのが正解のようだ。

 重要なのは退路の確保か……

 

 

 だが、今回最も驚かされたのはそんなことじゃない。

 ミノタウロスの武器と防具、もちろん、小部屋に保管されていた武器や防具も含めてだがオリハルコンの合金で造られたものだった。


 もちろん、合金の割合は違うが全てオリハルコン合金の武器と防具だ。

 百パーセントオリハルコンで作られているのは、最後までミノタウロスが使うことのなかった、両手持ち用の巨大な戦斧とやはり両手持ち用の巨大な戦槌のふたつだけらしい。


 オリハルコンの割合が高ければ高いほど重く硬度がある。また、加工が難しい。

 他の金属と合わせて合金を作るのは硬度を下げても軽くするのと加工を容易にするためである。加工といっても鍛冶ではなく、錬成術が必要となる。



「――――オリハルコンの武器や防具ってこの世界にどれくらい出回っているんですか?」


 ダンジョンとオリハルコンの説明を一通り教えてもらったところで、俺の胸を人差し指でツンツンとしている女神さまの手をとる。


 女神さまの手を取った俺の左手の指に自身の右手の指を絡ませて遊んでいる、彼女はそんな自分の手を見つめながら話す。


「短剣が三本と長剣が一本だけですね。四つとも国宝に指定されていますよ」


 国宝かよっ!

 つまりあの武器や防具は国宝級のものばかりってことか。まぁ、加工する予定が無いのでどうでも良いか。


 オリハルコンを入手できるダンジョンはある程度以上の強さの守護者がいる。強い守護者だからといって必ずオリハルコンのアイテムを所持している訳でもない。

 そしてこの異世界では、オリハルコンを入手できるクラスのダンジョン攻略は過去に四回しか達成できていない。


 そして、今回攻略したダンジョンはこちら側の異世界で最も多くの量のオリハルコンを入手できるダンジョンだったらしい。

 つまり、俺たちは女神さまから貰う以外では、最上級の武器の素材を手に入れたことになる。それも相当に大量にだ。


 残念だったのは魔石が最上級のものではないことだ。

 とはいえ、相当に希少価値の高い魔石であることに間違いはない。


 自分たちのこともそうだが、競争相手がいる以上は気になるのはその競争相手の状況だ。


「ところで、あちら側の異世界のダンジョン攻略はどんな感じですか?」


「そうですね、そろそろふたつ目が攻略されそうです」


 あまり興味無さそうな口調でさらりと流してさらに続ける。


「でも今はあなた方が最初のダンジョン、それもあんな手強いダンジョンを攻略して無事に戻って来られたことを喜びましょう」


 今しがたまでニコニコしたり目をキラキラさせたりしていた女神さまが、妙に艶っぽい上目遣いでにじり寄ってくる。

 しかし、今日は随分と目まぐるしく表情を変えるな。


「どうやって倒したんですか? あの守護者を」


 俺の目を下から見上げるようにして見つめている。右手は相変わらず俺の左手に絡めている。いや、手のひらをくすぐるように動かしている。


「どうやってって。どういう訳か油断をしてくれたので倒せました」


 守護者――ミノタウロスの動きが止まった原因には触れない。いや、あまり詳しい話はしないようにしよう。


「謙虚ですね。男の人って自慢話が好きなのかと思ってました」


「まあ、そういう男もいますよね。でも、俺は自慢話とか好きじゃないんですよ」


「そんなことよりも、女神さまのことがもっと知りたいな」


「え? 私のことはもうたくさん話したじゃないですか」


 言葉とは裏腹に、キョトンとした後ですぐにもの凄く嬉しそうな恥ずかしそうな表情を見せる。


「もっと知りたいんですよ」


 そんな女神さまが可愛らしくて、つい俺も追い打ちを掛けるように女神さまの耳に息を吹きかけるようにしてささやく。


「もう」


 くすぐったかったのか、肩をすくめて耳元を押さえると、俺の胸に顔を埋めるようにして寄り掛かって来る。


「女神さま――」


 女神さまは俺の口に人差し指をあてて俺が話すのを止めると、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見上げている。


「ここから先は『ルース』と呼んでくださいね」


 そして、少し甘えるような口調でささやくようにそう言うと、細い肩を俺の胸に当てて下から覗き込むように俺の顔を見ている。


 うん、やっぱり可愛らしい。

 最近、神々しさが薄れてきて可愛らしさが増している気がするのは、単に俺が慣れたからなのか、毎晩夢に出て来てくれているからなのか。


 そんな益体もないことを考えながら女神さまを抱き寄せた。


 ◇

 ◆

 ◇


「では帰りますね」


 女神さまはそう言うと胸元で小さく手を振って、いつものように優しそうな笑みを浮かべながら消えていった。


 さて、おれもそろそろ目が覚める時間かな。

 目が覚めたら洗濯をしないとな。


 毎晩のことなので朝起きたらシャワーを浴びながら歯磨きと洗顔をしつつ、同時並行で下着の洗濯をするのが日課になってしまった。

 もう手慣れたものだ。


 重力魔法と水魔法、風魔法を複合させて何もない空中にシャワーを出現させる。同じ要領で傍らに洗濯機代わりの水流を作り出して洗濯を行う。

 その後は火魔法と風魔法で熱風を作り出し、全身と下着を乾燥させて完了だ。


 魔法の便利さを毎朝実感する。

 らちもないことを考えるのを中断して、先ほど女神さまから教えてもらった情報を皆に話す時間をどこで取ろうかと思案しながら目が覚めるのを待つ。 


 カーテン越しに入ってくる明かりが次第に強くなっていくのを暫らく見ている。

 ……見ているが目が覚めない。


 おや?


 あれ?

 目が覚めない? 何でだ?


 俺は急ぎ窓へと駆け寄るとカーテンを少しずらして視線を東の空へと向ける。


 視線の先には先ほどよりも明るさを増した空が見える。

 間もなく太陽が見えそうだな……気のせいか?


 だが、こうしている間にも確実に時間は流れているようで空の明るさは増していく。

 ……えーと……

 もしかして、これって夢じゃないのかっ?


 女神さま、顕現してたのかっ!


 夢の中じゃなかった?

 ってことは、俺は一晩中起きてたのかよっ!


 俺は導き出した結論に軽い眩暈めまいを覚える。

 まいったなあ。これからオーガ討伐に加わるってのに……少しでも寝ておくか。己の迂闊うかつさを後悔しながら窓から離れてベッドへと向かう。


「ご主人さま、起きていらっしゃいますか?」


 ノックに続いて聞こえてきたメロディの声がベッドへと向かう俺の足を止めた。


「あと三十分ほどで出発です。お手伝いすることがあれば仰ってください」


 続いて部屋に響くメロディの声が俺を絶望へと叩き落とす。

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