第162話 最下層

 前の階層で行ったテリーと黒アリスちゃんの実験結果の報告を思い出しながら二十五階層へと続く階段を下りていく。階段を下りるにしたがい二十五階層の様子が視界を占める割合が上がる。


 第一の実験である「催眠」の魔法で溺れている最中に眠らせても溺死する前に目が覚めてしまった。

 なお、「凍結」は無難に成功、「沸騰」は即死させるほどに急激に温度を上昇させればそのまま死に至るが、時間をかけたヤツは当然だが死亡までの間暴れまくった。


 そして、最も気になった空間魔法と風魔法を併用して六パーセント以下の酸素濃度を作りだした効果は結果からいえば大成功だった。

 酸素濃度を六パーセント以下にしたところでオーガが昏倒した。

 脳への障害のほうは分からないが肉体的には特に支障はなかったそうだ。もう少し実験を重ねないと断定はできないが、無傷で生け捕りにしたいときにはかなり効果的な戦法となりそうだ。


 二十五階層に到達すると、そこには他の階層となんら代わり映えのしない景色が広がっていた。

 同時に周囲を空間感知で索敵をする。


「ゴブリンか? これは」


 俺と同じように空間感知を展開していたテリーがうんざりとした様子でつぶやく。


「やるの? パスしない?」


 俺の隣で白アリがもの凄く嫌そうな表情を浮かべて頭を横に振っている。


 恐らく二人とも俺が空間感知で発見した、ゴブリンの集団と同じものを発見したのだろう。さすがに百以上のゴブリンの集団を見つけてはうんざりもするよな。


「数もいるし背後を突かれるのは避けたい。叩けるときに叩いておこう」


 前の階層でのオーガの件もあるので魔法を使ってくる可能性を考慮して、俺と白アリ、テリー、ロビン、ボギーさんの五人で仕掛けることにした。

 ゴブリン百匹としてひとりあたり二十匹、今回は広域に攻撃魔法を使わない予定だが、この面子なら余裕だろう。


 そして、今回の戦闘では亀の防御力を試す。

 俺のバックラーにくくり付けていた亀の甲羅をテリーに渡し、俺自身は生きている――テイムした亀を改めてバックラーに亀をくくり付ける。さすが生きている亀だ、使役獣のくせに抵抗をしてくれた。


 白アリも使役獣とした亀をラウンドシールドにくくり付けてある。

 亀の甲羅のほうは長剣の鞘にくくり付け、メイス代わりにして打撃攻撃の実験に使う。これも本人は嫌がったが誰かがやらなければならない。


 だが、俺たちはまだ良い。

 今回一番の貧乏クジを引いたボギーさんは無数の小鳥の羽根を縫い付けたマントを羽織り、そんな自分の姿をもの悲しそうに見ていた。


 せめてもの救いは小鳥が極彩色じゃなかったことか。


 それぞれ思うところはあるが五人そろってゴブリンの集団がいる区画へと転移した。


 ◇


 俺たちはお互いにある程度の距離を取ってゴブリンの群の中に出現した。

 それと同時に鑑定を実施する。


 おおっ! 予想通りかよっ!

 見事なまでに魔法スキルを持っている。変異種こそ見当たらないが数が多いってのはそれだけで嫌なものだな。心境は百人もの魔術師集団のなかに飛び込んだ哀れな子羊だ。


 ゴブリンのほうも心得たもので異分子である俺たちが飛び込んできた途端に対応を開始する。

 一斉にこちらへ注目したかと思ったら四方八方からさまざまな属性の魔法が飛んできた。


「いやーっ!」


 白アリの悲鳴が区画に響き渡る。もの凄い声量だ。

 自分へと飛来する魔法を重力と純粋魔法の複合装甲と亀をくくり付けたバックラーで回避しながら、面倒臭いが、万が一ということもあるので白アリへと視線を向ける。


 さすがゴブリン。

 好色と繁殖力で名を売っている魔物だけのことはある。出現と同時に白アリのことを女性と認識したのか、すかさず肉弾戦を挑んでいる。

 一発の魔法も白アリには放たれていなかった。殺傷力のある魔法が四方八方から無数に飛来する俺たちとは大違いだ。


 そんな特別待遇の白アリをよそにゴブリンへと意識を向ける。

 先ずは少し数を減らす。

 俺はショートレンジの転移を繰り返して魔法の照準を外しながら、硬直の短剣でゴブリンを一匹また一匹と仕留めていく。


 転移と同時に眼前のゴブリンの脊髄に短剣を一閃させて切り裂く。

 血だ。一筋の赤い糸のようにゴブリンの首から短剣へと血液が伸びているように見える。次の瞬間、切り裂いた一筋の線から血液が噴き出す。その噴き出した血液を最後まで見ずに次の標的の背後へと転移する。


 そして無防備な背後から心臓を一突き。他愛も無い、あまりにも簡単すぎる。

 ゴブリンは身体を大きく仰け反らせる。自分の左胸から生えている短剣の刃を見つめることもなくゆっくりと崩れ落ちる。


 気を抜くことなく次の標的となるゴブリンの背後へと転移する。

 今度は脳天に短剣を突き立ててみよう。

 サクリと然したる抵抗なく短剣がゴブリンの頭頂部へ吸い込まれ、そのまま脳を破壊する。脳を破壊されたゴブリンの生命活動は急速に停止へと向かう。


 生命活動の停止を確認することなく次の標的の背後へと転移する。

 こうして順次標的をほふっていく。


 もちろん、一方的にほふるだけではない。ゴブリンが放った魔法を亀で受け止めている。何種類かの魔法を受けながらその性能を試していく。

 四属性の魔法全て何の問題もなく受け切れている。魔力乱反射――魔法を受けると同時に四方八方へ魔法を拡散、反射させていく。


 反射した魔法が周囲のゴブリンに向かう。

 基本は拡散しながらの反射なので反射した一撃は非常に弱い。弱いが無傷とはいかなかった。これは傍迷惑はためいわくかもしれないな。


 いまさらだが、ゴブリンの粗末な剣も何回か受けてみる。

 生きている亀なので亀自身も必死なのかもしれないが、剣撃などはまったく問題としていない。オーガの角で作った短剣で切りつけたときに短剣のほうが刃こぼれをしただけのことはある。


 転移の途中で白アリの姿をとらえた。

 鞘にくくり付けた亀の甲羅を高速で振りぬき、ゴブリンの側頭部を破壊していた。


 亀の甲羅、硬いだけのことはある。重さがないので白アリのように鈍器として使うのは疑問が残るが、刃として加工するのは有りだな。

 利用用途について後ほど皆で話し合いをしよう。


 白アリが視界に入ったのでついでにテリーとロビン、ボギーさんを確認する。

 テリーは女神さまから貰った属性を自由に変更できる片刃の長剣を振り回し、さながら暴風のようにゴブリンたちの間を駆け抜けて、手当たり次第に両断している。まるっきり亀の甲羅を活用する気がないらしい。

 ロビンは亀の甲羅で攻撃をかわしながら細身の剣と風魔法を並行して活用し、ゴブリンの返り血をその身に浴びていた。


 ボギーさんはボロボロになっていた。いや正確には、急造の小鳥の羽根を縫いつけたマントがボロボロになっていた。

 このわずかな時間に羽根の数が随分と減っている。どうやらテリーと違い、律儀に魔法に自ら飛び込んでいきマントで魔法を受けているようだ。


 しかし、小鳥は魔力乱反射レベル1でしかない。

 亀の甲羅とは違い、受けた攻撃魔法を乱反射しきれずに何割かはダメージとして届いているのだろう。あの小鳥、羽根がたくさん採取できる訳でもないし、ボギーさんのありさまを見る限り利用価値は低そうだ。


 せめてもっと大きくて羽根がたくさん採取できるなら、羽毛布団なりダウンジャケットなりの素材にもなっただろうに。

 ダメな小鳥である。


 ◇


 一蹴というには時間がかかりはしたが、百匹のゴブリンの殲滅に要した時間は十分弱だった。

 魔法が使えるとはいっても所詮はゴブリン、こんなものか。


 ゴブリンの肉と魔石を回収して二十六階層――最下層へと進む。


 最下層に降り立ったが周囲の景色はこれまでの迷宮と変わりがない。変化がないこともあり感動も薄い。最下層だというのに自分で考えていた以上に高揚感がない。

 もっとも、感動も薄く高揚感も覚えていないのは俺たち転移者組だけだった。


 ラウラ姫一行はもとよりアイリスのメンバーや奴隷たちはもの凄い感動と興奮をしている。

 特にアイリスのリーダーであるライラさんなどは、最下層に降り立った途端に感動のあまり泣いてしまうほどだった。


 やはり探索者にとってダンジョンの最下層は特別なもののようだ。

 しかも、今回は攻略の場に立ち会える可能性が高いこともあり、興奮の仕方が尋常ではない。先ほどからときどき泣き出したり、そわそわしたりと情緒不安定の女性にしか見えない。

 日常のなかで出会ったら、思わず目を背けてしまうような集団となっている。


 感動して騒いでいるアイリスの娘やラウラ姫一行をしり目に、俺たちはこれまでの階層と同様に空間感知で索敵を行う。

 

 あった、あれがダンジョンコアか。

 バスケットボールほどの大きさの魔石のような玉が、岩に半ば埋まるようにして奥まった広間にあるのを、空間感知と視覚を飛ばして確認した。


 そして、同じ部屋にまるでダンジョンコアを守護するかのようにしている魔物も併せて確認をした。


 そうか、お前が守護者か。思わず口元が緩む。

 お前を倒してこのダンジョンを攻略する。今いくから待ってろよ。


 視覚をもどすと、俺と同じように口元を緩めている者がいる。転移者全員だ。なんとも頼もしい限りだな。

 俺たちはお互いに視線を交わし、守護者のいる部屋へと向かって歩き出した。

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