第153話 未踏の階層へ向けて

 聖女が放った光球で明るく照らし出された広い通路を、五匹のオークと二匹の変異種が真っすぐにこちらへと向かってくる。

 相手はオーク、表情は読み取れないが抜き放たれた剣と突進速度、何よりもその雰囲気が臨戦態勢であることをうかがわせる。


 五匹のオークたちと二匹の変異種は、どうやらフォーメーションを組んでいるようだ。

 前衛である一列目にロングソードとタワーシールドを装備した三匹のオーク、二列目はそれぞれ間隔を広く空けて変異種が俺からみて右側でオークが左側、通路の中央よりに位置取りどちらも弓矢からロングソードと盾に装備を換装している。

 さらにその後方、後衛の左側に大剣を装備した変異種、右側にロングソードと盾を装備したオークが、通路の幅をいっぱいに使うようにして左右に広がっている。


 前衛のオークは三匹。うち、わずかに半歩ほど前に出ている――俺からみて右側のヤツを最初の標的に選ぶ。


 身体が軽い。実によく動く。

 身体強化のスキルと純粋魔法による身体強化の重ね掛けの効果に改めて驚かされる。


 こちらに向けて構えられているタワーシールドのさらに左側へと、素早く回り込みながら右手に持った短剣を横にぐ。短剣が頚椎けいついを切断する感触が右手に伝わってくる。

 そのままオークの左横をすり抜けざまに、左手にある硬直の短剣を前衛の右側を担っていたオークの背中へと投げつける。そして、たった今薙ぎ払った短剣を前衛の中央を担っていたオークの背中へと投げつけた。


 首をぎ払われて、頚椎を切断されたために首があらぬ方向へ傾き、血しぶきを上げるオーク。

 そして、背中から心臓に短剣が到達し崩れ落ちようとしている二匹のオークの姿を目の端にとらえつつ、そのまま召喚魔法で硬直の短剣を左手に引き寄せ、右手にはアイテムボックスから新たな短剣を取り出す。そして、そのまま二列目の変異種へとの距離を詰める。


 こちらの間合いを詰める速度に対応しきれていない。

 変異種は俺から距離のあるロングソードではなく、盾をこちらに向けるのが精一杯のようで、若干体勢を崩しながらラウンドシールドを突き出す。


 右手の短剣に物質強化と純粋魔法、そして重力魔法で加重をしてそのままラウンドシールドの中央部分へと下から突き上げる。

 重力魔法の助けもあって、二百キログラム以上ありそうな変異種の巨体が易々と宙に浮く。


 加えられた重力がラウンドシールドごと左腕を押しつぶす。

 ラウンドシールドに突き立てた短剣は、ラウンドシールドとそれを装着した左手首を突きぬけ、変異種の心臓へと到達した。


 突き立てた短剣から右手を離した次の瞬間、再びアイテムボックスからロングソードを取り出し、残敵に視線を走らせる。

 俺の重力魔法を伴った突きで、その巨体を宙に浮かせられた変異種を、もう一匹の変異種と残る二匹のオークが見上げている。ほうけてでもいるのか? 完全に動きが止まっている。隙だらけだな。


 硬直の短剣を最後尾、左側のオークへと投げつける。

 動きの止まっているオークの額に吸い込まれるようにして硬直の短剣が突き刺さる。「まるで、額に短剣の角が生えたようだ」地球で聞いたことのある比喩ひゆが脳裏をよぎる。


 右手のロングソードに重力魔法で加重して左のわき腹から右の肩口へと大きく斜めにぐ。

 ロングソードは大剣を装備した変異種を左のわき腹から右の肩口へと逆袈裟ぎゃくけさの軌道を重力魔法の助けをかりて難なく通過する。


 身体を斜めに半分にされた変異種の上半身の落下が始まった直後、落下を加速させるように左手で胸の部分を軽く押す。


 タイプB 発動っ!

 新たな力が俺の中に流れ込んでくるのを感じた。初めて見るスキル、「気力」の奪取に成功した。


 胸を押された変異種は、その上半身が床へと落下する間、不思議なものでも見るように俺のことを見ていたような気がする。

 そんな上半身と下半身が別々に崩れ落ちる変異種から最後の一匹へと視線を移し、そのまま振り抜いたロングソードを最後のオークの頭上へ振り下ろした。


 時間にしたら数秒の出来事だ。

 魔法の力を相当に利用したが、攻撃魔法とショートレンジの転移魔法を抜きにしてこの結果だ。ここのところ真面目に取り組んでいる近接戦闘の練習成果としては上々だな。


 それにしても、空間魔法だけじゃなく、重力魔法もかなりやばい魔法だな。

 武器にまとわせて加重をかけるだけで、人間の力でも易々とオークを宙に浮かせたり、防具ごとその頑健な肉体を難なく切り裂けたりする。使い方をもう少し研究してみるか。


 そんなことを考えながら、剣に付いた血糊ちのりを水魔法と風魔法で洗い落として皆のもとへと向かう。


 ん? 目の焦点が合っていない人たちが数名いる?

 どうやら、ほうけていたのはオークだけではなかったようだ。転移者組を含めて全員が驚きの表情で俺を迎えてくれた。


「おいおい、本当かよ」


 ボギーさんがソフト帽子を目深に被りなおし、両腕を大きく広げて天井を仰ぎ見る。


「防具ごと変異種を一刀両断した?」


「それもあるが、それよりも、移動と攻撃の速度だ。何をやったんだ?」


 ボギーさんに続き、ロビンとテリーの声が響く。

 二人とも魔法を使ったのは分かっていても何をしたのかまでは分かっていないようだ。


「凄い……あっと言う間……」


「凄い、変異種をものともせずに一瞬で……しかも攻撃魔法を使っていませんでしたよ」


 途切れ途切れの搾り出すような白アリのつぶやきに呼応して、最近、近接戦闘の練習に妙に力を入れていた黒アリスちゃんが、頬を上気させながら言葉を漏らした。

 白アリのほうは驚きと感心が表れているだけだが、黒アリスちゃんはわずかだが、尊敬や憧憬にも似た感情が見え隠れしているのは俺の願望が見せた幻じゃないはずだ。


「ここ最近の訓練で魔法なしの近接戦闘でも十分に強いとは思っていました。でも、これほどまでに強いとは思いませんでした。それに重力魔法ですか?」


 聖女は自分自身が重力の短槍を使っているだけあってか、変異種を仕留めたときに俺が何をしたのか大体のところを予想はしているようだ。


「素晴らしい腕前です、ご主人さま。魔法ばかりか武器による戦いも一流ですね」


 一瞬の沈黙の間にメロディがすかさず俺のことを持ち上げる。

 ここに来て、ティナの教育が実を結びつつあるようだ。戦闘への耐性はまだまだ掛かるにしても、俺を持ち上げたり褒めたりするタイミングは大分掴めてきたようだ。


「フジワラ様、素晴らしい腕前です。類い希な魔法の腕前にもおごることなく、研鑚し精進をされているのは存じておりました。しかし、それに留まらず、武器による攻撃手段も地道に磨き上げるその真摯な姿勢に私感動を致しました」


 メロディの成長が恥ずかしくなるような持ち上げ方を水の精霊ウィンディーネが手慣れた調子で実行をする。


 白アリにいろいろと鍛えられているのだろうか?

 或いは、精霊の世界も階級があるとか言ってたし、意外と厳しい縦社会構造になっているのかもしれないな。


 視線を他のメンバーへと移す。


 ラウラ姫は無言でキラキラとした瞳でこちらを見つめている。

 あの憧憬もあらわな目の輝きは黒アリスちゃんの比じゃないな。そんな主の軽はずみな目の輝きに気付いていない二人の侍女はアングリと揃って口を開けていた。


 俺の戦闘を初めて間近で見るアレクシスは仕方ないにしても、アイリスの娘たちや他の奴隷たちも、ほとんど言葉を発せずにいる。

 まあ、転移者組でさえあの調子だったんだから仕方ないか。


 出し惜しみをしたつもりはないが、もう少し近接戦闘の能力をオープンにしたほうが良いのかもしれない。


 そんなことを考えながら、皆に出発をうながした。


 ◇

 

 その後、大きな問題もなく二十一階層から二十二階層へと通じる階段の前まで到達をした。


 そう、大きな問題はなかった。

 黒アリスちゃんの鎖鎌以外は。


 はっきり言ってこの上なく危険な武器だ。慣れれば違うのかもしれないが、昨日購入して一切の練習無しで振り回すにはあまりにも危険すぎる。

 特に一緒に戦う人間にとっては脅威だ。


 鎌の部分は良いのだが、鎖分銅の部分がいけない。

 ただ振り回すだけで、本人も制御できない上、どこに飛んでくるのか分からない。

 

 加えて、破壊力抜群だ。不慣れな人間が使うとこの上なく迷惑なことが判明した。

 さらに操作を誤ると鎖分銅が黒アリスちゃん、本人に向かって飛来したりもする。黒アリスちゃん本人も自分に向かって飛来する鎖分銅を、涙を浮かべて見つめていた。


 先ほどの戦闘の場面が記憶に蘇る。

 鎖鎌にも慣れてきたのか、広い空間だったことと共同で戦う仲間がいなかったからか、このダンジョンでの黒アリスちゃんの戦闘としては初めてスムーズにいったのではないだろうか。


 

 鎌から伸びた鎖分銅を高速で振り回し、オークたちへ向かって踏み込みながら鎖を伸ばす。

 伸びた鎖は遠心力を伴って水平に大きな弧を描きながら三匹のオークへとせまる。


 闇魔法である分子破壊をその表面にまとった鎖は、オークたちに巻きつくことなくその身体を防具ごと切り裂く。


 重力魔法を武器にまとわせるのがヤバイと思ったが、分子破壊はその比じゃあない。黒アリスちゃんの鎖鎌の扱いに対する恐怖もあるが、それ以上に強力な魔法だ。

 俺の中で重力魔法が、ありえないほどに三下扱いになっていく。


「階段だーっ! 階段が見えたよー」

 

 俺の思考を中断するようにマリエルが前方を指差し、空中でピョンピョンと跳ねながら興奮気味に知らせた。 


「これを降りると未踏の階層ってことよね?」


 階段を覗き込んでいた白アリが振り返る。その双眸そうぼうは輝き、頬は紅潮している。かなり興奮しているな。手にも力が入っているのが分かる。その証拠に右手を握られている水の精霊ウィンディーネが声を押し殺し、涙を浮かべて痛がっている。


「未踏の階層ネェ、良いんじゃネェのか? ロマンがあるねー」


 嬉しくて仕方がないといったようすで、緩んだ口元から落ちそうになった、火の点いていない葉巻を慌てて右手で押えている。


 いや、興奮しているのは白アリやボギーさん、マリエルだけじゃない。

 この場にいる俺たち全員が二十二層へと通じる階段を前に高揚感に包まれているのは間違いないだろう。


 改めて全員の表情を見やる。

 表情を固くしている者、口元を緩めている者、頬を紅潮させている者、それぞれだが、目の輝きだけは共通していた。

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