第134話 顕現
正体不明の武装集団、足止め二日目。
外から人の気配が伝わる。
そろそろ起床の時間か? 上半身を起こして周囲を見渡す。テントの中には俺以外誰もいない。ボギーさんもロビンも既に起きているようだ。
ベッドに腰かけ直し、眠気の残る頭で昨夜のことを思い返す。
女神さま……、本名はルースだったな。月明かりの下で美しく浮き上がる、その魅力的な姿態が鮮明に蘇る。自分でも口元が緩むのが分かる。
次の瞬間、俺の意識の中にある女神さまの魅力的な姿態が、妖しげな笑みを浮かべた欠食児童に取って代わった。
「あんのガキーっ! 調子に乗りやがって」
思わず、悪役のセリフのような独り言が漏れてしまう。いや、言葉だけじゃあない、独り言をつぶやくと同時に左の手のひらに右の拳を打ち込んでいた。
「どうしました? 私は何もしゃべりませんよ。これでも口は堅いほうですから」
「ええ、女神さまが、まさか人間とこんな……いえ、何でもありません。詮索もしませんので、何も話さなくとも結構です」
「今夜は暑いですからね。さぞや汗もかいたでしょう。水浴びがしたくなるのも分かります」
こちらが固まって何も言えないのを良いことに、したり顔であれこれと並べ立てやがって。しかも終始妖しい笑顔を浮かべていた。
しかも、最後には、「ミチナガさーん、貸しですよ、貸し。私の崇拝する白姉さまには黙っておきますから」などと言い残して消えていきやがった。思い出すだけで腹が立つ。
まあ、良い。性悪欠食児童の件は後回しだ。
優先すべきことを頭の中で整理をしよう。
先ずは女神さまの朝食だ。
ラウラ姫一行やアイリスの娘たち、奴隷たちの目の届かないところで朝食を摂れるようにしないと。
朝食の段取りに思いを巡らせながら視線をテントの中に走らせる。
拠点用途テントの中は、相変わらず殺風景である。
ベッドが三台とテーブルが一脚、そのテーブルを囲むように椅子が四脚が適当に散らばっている。家具はグランフェルト領にある貴族の屋敷から奪ってきたものなので良い品物なのだろう。
テーブルの上にはクロスも何もない。剥きだしの大理石の上に水差しとコップが置かれている。
水差しはガラスではなく磁器だ。どこの風景かは知らないが、滝の流れる美しい森の絵が描かれている。
しかし、この水差しは誰が使うんだ?
このテントの住人である、俺とボギーさん、ロビンの三人は全員水魔法が使える。ただの飾りとなっている水差しから視線を外しテントの外へと向かった。
◇
朝食のテーブルを俺たち転移者だけ別にしてもらった。もちろん、単にテーブルを分けるだけじゃあない。場所そのものを離す。
用意をするのは簡単だった。
一言、料理の指揮を執っている白アリに頼むだけだ。
「分かった、昨夜の続きね。狐とテリーのとこの三人はどうするの?」
朝食を、俺たち転移者と
それも声が聞けないだけでなく姿も確認できない場所に用意して欲しいと伝えたところ、白アリが二つ返事で了解をしてくれた。
「奴隷の同席もなしだ。あくまで俺たち転移者と
「
まな板の上の食材を中華鍋の中に投入したあと、小首を
そりゃあ、不思議に思うよな。
俺が逆の立場でも不思議に思う。
これがもうひとり分だけなら、苦しいかもしれないが、第三フェーズの内容を伝えるために同席させるという可能性もある。
ところが、
「すまないが、後で説明をするので納得してくれ。それよりも、朝食のほうも人数分頼めるか」
「ええ、良いわ。やっとく」
「ありがとう」
今ひとつ釈然としない様子の白アリに、お礼を述べてからテリーたちと周辺警戒へ行くため、拠点の外へと向かった。
◇
◆
◇
拠点周辺にいた危険な魔物は粗方狩り尽くしているので、周辺警戒といっても本当に見て回るだけだった。
もちろん、空間魔法や風魔法は駆使して探知索敵は行っている。
森の中にゴブリンやオークの群れを確認はしたが、岩山の、それも山頂付近まではこられないので見逃すことにした。
危険なのは岩山を登ってこられる魔物と空を飛べる魔物だ。
しかし、ワイバーンやフェニックスが制空権を確保している中、近づいてくるような飛行能力のある魔物はこの辺りにはいないようだ。
地を行くもの――岩山を登ってくる魔物も見当たらない。
アーマードタイガーとシルバーウルフを岩山の警戒にあたらせているが、どうも岩山になれないようで、
同情を禁じえない部分はあるが、何というか、今ひとつ戦力になりきっていないように見える。
まあ、山羊っぽい魔物がアーマードタイガーを見て、驚いて逃げていったので、それなりに役立っているのかもしれないが……
何となくだが、岩山で初めて見る大型の肉食系の魔物を見て、驚いて逃げ出しただけのような気もする。
そんな状態なので、形だけの周辺警戒を早々に終えて、女神さまと約束している自分たちのテントへと、俺ひとりで戻った。
テントへ戻ると、既に女神さまが待っていた。
いつものように修道服のようなデザインの柔らかそうな生地の服を着ている。真っ白な生地に銀糸で刺繍が施されたものだ。
「申し訳ありません、待たせてしまいましたか?」
「いいえ、つい先ほどこちらに来ました」
俺の差し出した右手を、その細く小さな右手を俺の右の手のひらに、そっと置くように取り立ち上がる。
「では、行きましょうか。皆が待っています」
「はい、頼りにしています」
小さくほほ笑み、俺の手を握る右手にわずかに力が入る。
そのままテントを出て女神さまを、特設のテーブルへとエスコートする。
緊張しているのか多少顔が強ばってはいるが、女神さまの表情に不安は見えない。どうやら、俺のことを信頼してくれているようだ。
女神さまを護衛しながらテーブルへと向かう途中で、朝食前だというのにクッキーを頬張っている
どうやら、朝食の用意をしている女性陣から、邪魔者扱いをされて追い出されたところのようだ。
「おはようございます。女神さま、ミチナガさん」
屈託のない子どものような笑顔を向けてきた。昨夜の邪霊のような笑顔は微塵も見当たらない。
だが、そんな笑顔を信用するほど俺も甘ちゃんじゃあない。
女神さまに害をなすとは思えないが、
トテトテと、仔犬のように駆け寄ってくる。
身体能力は余り高くないな。見た目通り、子どものような動きである。
転んで抱えたクッキーをぶちまけて泣きじゃくる未来が見える。いや、嘘だ。俺にそんな能力はない。正確に言えば、そうなって欲しいとの願望だ。
我ながら器の小ささを実感する。
「おや? 女神さま、歩きにくそうですね。久しぶりの顕現――人の身体は慣れませんか? それとも昨夜どこか怪我でもされましたか?」
真顔で女神さまの顔を覗きこみ、最後に俺へと視線を移した。必死に笑いを堪えているが、目は思いっきり笑っている。
この性悪欠食児童がっ! お灸を据えてやろうか。
児童虐待の構図が頭の中を過ぎる。
「
穏やかなほほ笑みとともに涼やかな声が響く。
「そ、存在って……」
精霊でも女神さまは恐いのか。
まあ、そりゃあそうか。
「もちろん、いろいろと不都合も出るでしょう。簡単ではありませんが、保身のためならやります」
威圧するような素振りは一切ない。相手を思いやっているように見える。
語りかける口調も穏やかで、実に優しそうだ。人格者が聞き分けのない子どもを
「以後、口を慎みますっ!」
女神さまに軍配があがった。
それにしても、昨夜は俺にしがみ付いたまま、しどろもどろだったのだが。
一晩で随分と落ち着いたな。
女神さまの急変振りには驚きはしたが、それを表に出さないよう注意しながら、皆の待つ朝食の席へと向かった。
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