第125話 偵察

 見えた。なんとか視認できる距離まで来た。

 この距離と速度なら、仕掛けるのは昼頃だな。


「たくさん来たよー、凄ーい、馬車とかたくさんある」


 俺の横で、器用に空中でピョンピョンと飛び跳ねている。


 マリエルが遠見スキルを使って所属不明の武装集団をその目にとらえた。

 便利だな、遠見スキル。あれに暗視スキルが加わる。空を飛び、小回りがきく上に空間魔法での逃走もできる。索敵要員としては超一流だ。


 俺もマリエルに並んで、街道の南側に延びる岩山の一段と標高の高い場所から遠方を見やる。

 重力魔法で目の前に空気を圧縮して、凹レンズ状にして接眼レンズの役割を持たせる。その直線上にやはり空気を圧縮して、凸状の対物レンズの役割を持たせる。 


 即席のガリレオ式望遠鏡だ。

 これを利用して、ようやくマリエルの遠見スキルと同等の視認レベルである。


 魔道具とかではなく、普通に望遠鏡を作ったら売れそうだな。

 戦争が終わったら売りに出してみるか。


 待てよ。

 空間魔法を付与して、障害物や位置を無視して対象物を見ることができる、魔道具としての望遠鏡とか作れないか?


 部屋の中で望遠鏡を覗くと、上空から俯瞰ふかんできるような望遠鏡とかどうだろう。

 偵察や索敵、レジャーにと、戦乱のときだけでなく平和なときも売れそうだ。


 まったく別の――大人の欲求を満たすことができる付加価値もあるから、もの凄い高値で売れそうな気がする。エロに金を出すのはこの世界も一緒だ。それは既に学習済みである。

 うん、メロディに依頼できない魔道具とかもあるから、やはり魔道具作成のスキルは是非とも欲しいな。


 あの中にいないものかな、魔道具作成のスキル持ち。

 どこぞの伯爵の軍団なら従軍させている可能性は高い。俄然がぜんモチベーションが上がってきた。


 ターゲットである所属不明の武装集団に意識を戻す。その数およそ一万名。その先頭の部隊が見た目にはまったくの無警戒でこちらへ向かっている。

 テリーたちが偵察したときと何も変わっていないようだ。相変わらず斥候のひとりも出していないように見える。


「ね、ね。あたしにも見せて。ね、お願ーい」

 

 後ろでは白アリが子どもが何かをねだるような態度と、大人の女性の甘えた声とで即席望遠鏡を覗かせろとせがんでいる。

 

 せがんで動く度に微妙に当たるというか、触れるというか、やわからな弾力をもった双丘の感触が心地よい。

 焦らして感触を楽しみたい欲望を断腸の思いで振り切り、場所を譲る。


 意図せずに、一段高い場所に即席望遠鏡を構築したので、白アリが望遠鏡を覗き込むと、俺の目の高さにその可愛らしいお尻を突き出す形になる。

 うん、これはこれでよい眺めだ。


 女性と二人で来て良かった。

 意図しない判断ではあったが、無欲の勝利だな。触りたくなる欲望を理性で押さえ込んで、目の保養にいそしむ。


「ドスケベ」


 静かに響く声――後ろから女性のささやく声が聞こえた。


 え? マリエル? 違う。白アリの斜め前で索敵に専念している。

 俺の良心の声か? 或いは気のせいか?


 恐る恐る後ろを振り返る。


 俺の腰の高さに、水色に輝く、濡れたように艶やかな髪が見えた。

 欠食児童ー! 水の精霊ウィンディーネ、お前がなぜそこにいるっ? もしかして付いて来てたのか?


 水の精霊ウィンディーネが邪悪な笑みをたたえて右手を差し出している。

 右手? 何だろう? 俺の味方になってくれるのか?

 半信半疑でその手をとり握手を交わす。


「ウォッ」


 次の瞬間、グイッとばかりに、もの凄い力で水の精霊ウィンディーネへと引き寄せられ、たたらを踏んでしまった。


 小さな水の精霊ウィンディーネの前にかがみ込むような姿勢となる。

 顔を上げると、水の精霊ウィンディーネの目が俺の眼前にある。


「ボケてるつもりなの? 賄賂よ、賄賂。何か食べる物をちょうだい」


 水の精霊ウィンディーネが、邪悪な笑みを浮かべて顔を近づけてくる。


 精霊って、皆こんな、なんだろうか? 俺の中の精霊のイメージが崩壊していく。

 いや、そもそも、こいつ、本当に精霊なのか? 悪霊が精霊の名を騙ってるんじゃなかろうか?

 

「口止め料のつもりか?」


 視界を飛ばし、白アリの様子を確認する。簡易望遠鏡を夢中で覗き込んでいる。よし、こちらには気付いていないな。


 水の精霊ウィンディーネが俺の右手を離し、静かにうなずいた。


「分かった。蜂蜜でどうだ?」


 アイテムボックスから蜂蜜の入った壷を取り出して水の精霊ウィンディーネへと渡す。


 左目の視界は白アリに固定をしたままである。さすがにこの状況で警戒を怠るようなことはない。


「ありがとう、お兄ちゃん。大好きっ!」


 蜂蜜の入った壷を受け取ると、満面の笑みで抱きついてきた。天使のような笑顔である。


 誰かが言っていたな。

 悪魔ってのは、絶対に邪悪な顔や恐ろしい姿はしていない。人が見惚みほれるような、だまされるような、そんな、美しい容姿をしているはずだ、って。

 

「ちょっと、あんたっ! 何やってんのよっ!」


 白アリが昨夜の女神を彷彿ほうふつとさせる鬼の形相でこちらをにらんでいる。


 何のことはない。

 警戒を怠らなくとも、対処ができなければ一緒だ。


 あの目は明らかに俺のことを非難している。水の精霊ウィンディーネのことは微塵も疑っていない。


 完全にロリコンか性犯罪者を見るような目だ。

 まずい、非常にまずい。俺のこれからの人生を左右しかねない状況だ。ここは慎重に対処しないと。


「違うんだ、誤解をしている。俺はただ、蜂蜜をあげただけだ。それに感激して、水の精霊ウィンディーネが抱きついてきただけだ。本当だ嘘じゃない」


 嘘は言っていない。

 包み隠さずに話をしていないだけだ。先ずは白アリの出かたをうかがおう。


「なに? この子の弱みに付け込んでどうしようとしてたの?」


 朝、女性の奴隷に囲まれて、専用テントから出てきたときの、テリーを見る目よりも冷たい。


 白アリの中で、俺に対するロリコン疑惑が、確信に変わりつつあるのは間違いない。

 早く何とかしないと。

 時間と危険、両方を相手に戦う、爆弾処理班の気持ちが理解できそうな気がするのは、思い上がりだろうか。


「俺のこれまでの行いを思い出してくれ。そんなことするわけないだろう」


 俺の必死の訴えに、白アリが俺と水の精霊ウィンディーネを交互に見ながら、考え込むような表情をする。

 その表情からはどちらに針が振れそうなのか判断がつかない。


「正直に話しなさい」


 白アリが水の精霊ウィンディーネを軽くにらみつけ、クッキーを三枚ほどチラつかせる。


「はいっ! 実は――――」


 水の精霊ウィンディーネが、何の躊躇もなく、先ほどの俺の行動を、包み隠さずに白アリへ報告する。


 売られた、クッキー三枚で売られた。

 

「あんたね、ウィン――水の精霊ウィンディーネには手を出そうとしなかったのは確かだけど、ドスケベには変わりないじゃないの」


 一段高い岩場から、両腕を組んだ姿勢で、見下ろす形でこちらを冷たい目で見ている。


 相変わらず冷たい視線だが、テリーを見るときの視線よりもかなり緩和されたような気がする。

 何よりも、ロリコンとか性犯罪者のレッテルは貼られずにすみそうだ。最悪の事態は免れた、今はそれを喜ぼう。


「いや、待ってくれ。お前は自分の魅力が分かってないんじゃないのか? 容姿はもちろんのこと、料理や普段の気遣いとか、男から見たらもの凄く魅力的な女性なんだ。その魅力的な女性が、目の前で無防備な格好をしていたら、目が行くのは仕方ないことなんだ。決してスケベ心なんかじゃない。純粋に女性に癒やしを求める男心だ。お前も大人の女性なら多少なりとも理解してくれ」


 白アリが口を挟むまもなく、一気にまくし立てる。


 自分でもかなり苦しい言い訳をしている自覚はある。あるが、今はこれ以上の言葉が出てこない。


「口が上手いわね。それとも、上手くなったのかしら?」


 そう言う白アリの態度は、かなり軟化している。いつもの接する感じにかなり近い。


 今の俺の言い訳で「口が上手い」になるのか? 転生前のこいつの周りにいた男ってどんなヤツらだよ。

 ちょっとだけ白アリに同情をしてしまう。


 マリエルがフラフラとこちらに向かって飛んできているのが見える。

 白アリの態度が軟化したのを察したのか、避難していたマリエルが、近寄って来たようだ。


 もう一押しか? 自分でもそう感じるが、マリエルの様子を見ると自分の感じた雰囲気が間違っていないのだと勇気付けられる。


「別に口なんて上手くなっていないさ。もしそう感じるなら、皆と一緒にいる時間が、自分の気持ちを素直に表現できるようにしてくれたんだ」


「もう良いわ。誤解もあったようだし、許してあげる。でも、もう覗きみたいなことはやめてね」


 俺の言葉を、右手を挙げて途中で制止した。


 軽いため息をつく白アリはもうにらんではいなかった。微妙に視線をずらして、俺の目を見ないようにしている。

 思い込みと誤解をしたことを恥じているのか、俺の言葉に気恥ずかしさを覚えているのかは分からないが、何とか危機を脱したのは確かなようだ。


「ああ、気をつけるよ。本当にごめん」


 岩の上に立つ白アリのことを、背中から拝むようにして謝った。


 取りあえず、これで一安心か。正直、寿命が縮まる思いだ。

 さて、次だ。


 俺はこの間に少し離れたところに避難してた水の精霊ウィンディーネへと視線を向ける。

 俺の視線に応えているつもりなのか、にこやかにほほ笑みながら手を振っている。


 空間転移で水の精霊ウィンディーネへと一気に詰め寄る。


「クッキー三枚で売ったな。約束は不履行だ。その蜂蜜を返せ」


 自分でも、小物臭のする行いだとは思うが、腹の虫がおさまらないので水の精霊ウィンディーネから蜂蜜を取り返すことにする。

 

「売っただなんて、そんな。私はしもべとして主人に忠節を果たしただけよ」


 蜂蜜の入った壷を抱えたまま俺に背を向けて、首だけを巡らせて言った。


しもべって何だよ。精霊と人間なんだから契約じゃないのか?」


「私は、白姉さまの作るお菓子のしもべよ。そのお菓子の創造主たる白姉さまに対して、契約がどうこうなど不遜なことは言いません」

 

 俺の問いかけに、その平べったい胸を張って得意げに言い切った。


「そんなことよりも、旦那。あれは脈ありますよ。もう一押しか二押しですよ、きっと。どうです? 私が手引きしましょうか?」


 水の精霊ウィンディーネが、まるでキャラでも変わったような、口調と態度で不穏な申し出をしてきた。


 こいつ、今度は創造主を売る気か?

 だいたい、手引きって何だよ。何をするつもりなんだ?


 いや、そもそも、お前、俺に何をさせたいんだ? おとしいれたいだけじゃないのか?

 いやいや、信じちゃだめだ。こいつは絶対に土壇場で裏切る。俺の中の何かかが、ざわついている、危険だと叫んでいる。

 

 こいつとは積極的に関わるのをよそう。蜂蜜は惜しいが授業料代わりとして諦めよう。


「敵の位置は確認できた、そろそろ戻って朝食をすませようか」


 水の精霊ウィンディーネの悪魔の誘いを振り切り、マリエルと白アリに声をかけた。

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