第124話 ダンジョンと女神さま

「敵さん、およそ一日半の距離をのんびりと行軍している。早ければ明日の夜に到着すると思うが、あの行軍速度だと、明後日の午前中の到着がいいところじゃあないか?」


 テリーがあきれたように首を横に振りながら言った。


 昼食を終えて、葡萄ぶどうによく似た果物――食後のデザートが並べられたテーブルを、俺たちとアイリスの娘たち、そしてテリーに同行して偵察に出ていたローザリアが囲む。

 冷却系の火魔法で冷やしたお茶を飲みながら、デザートに手を伸ばす。


 他の奴隷たちにはそれぞれ、昼食の後片付けとワイバーンの世話をお願いしている。


 メロディに視線を向ける。オープンテントの下で鼻歌交じりに後片付けをしている。

 妙に機嫌がよい。決して日陰で作業ができるからだけではない。いや、メロディだけじゃない。その横でミレイユも幸せそうに後片付けをしている。

 

 この二人、ワイバーンの世話をするたびにワイバーンに泣かされている。

 泣かされているといっても別に酷い目に遭っているわけじゃない。二人が怯えるものだから、ワイバーンが面白がってからかっているのが正確なところだ。


 ラウラ姫もワイバーンに怯えていたが、そこは賢い生物だ、ラウラ姫をからかうようなことはしなかった。

 傍らに控えていたセルマさんとローゼが睨みを利かせていたからかもしれないが。


 何れにしても、日陰での作業よりも、ワイバーンから離れられることに幸せを感じているのは間違いないだろう。

 

 ちなみに、ラウラ姫一行には、昼食後の会話が作戦の話題となるため、外してもらった。

 少し離れたところで、食後のデザートとお茶をしながらくつろいでもらっている。


「とても功を焦って出発したとは思えないような、のんびりとした行軍でした」


 ローザリアが、テリーに同意するように後に続いた。


「お疲れさま。こっちも街道の封鎖と村への誘い込みの準備は概ね完了している」


 街道には巨大な岩石を大量に配置してきた。距離にしておよそ五キロメートル。よほどの魔術師がいない限り、それを撤去するだけでも丸一日以上はかかるだろう。


「有刺鉄線の準備もできいてます」


 アイリスのリーダー、ライラさんがお茶の入ったコップを手にしたまま報告する。


「残るは明日のトレインですね」


 大きく伸びをしながら聖女が誰とはなしに話しかける。


「本当にやるんですか? その、トレインとかいうのを?」


 アイリスの娘のひとりがもの凄く不安そうな表情で、伸びをした聖女から白アリに視線を移す。


 トレインという単語は当然存在しておらず、その行為そのものも一般的ではないそうだ。少なくともアイリスの娘たちは知識としても持っていなかった。

 俺たちが当たり前のようにトレインを作戦に組み込んだときなどは、アイリスの娘ばかりか、奴隷たちまで言葉を失っていた。


「大丈夫よ。別に危険なことをするわけじゃないから」


 空間魔法を持っている白アリが事もなげに言う。


「それに、トレイン自体はよくやっていましたから」


 聖女が慈愛に満ちた微笑をたたえて言った。


 やってたのかよ。

 どこでだ? ゲームの中でだよな? 向こう側の異世界でじゃないよな? 


「トレインじゃなくて、魔物を捕まえておいて、敵が来たら放す。とかじゃダメなんでしょうか?」


 ひとり、熱いお茶を飲んでいた――いや、猫舌なので飲めずに冷ましていた、黒アリスちゃんがトレインの発案者である白アリに問い掛けた。


「確かにそうだな。トレインだとタイミングが合わせづらいな。捕まえた魔物を放す方が確実だよな」


「そうですね、あまり強くない魔物なら捕まえておけそうですね」


 黒アリスちゃんの疑問に、テリーとロビンが続けて同意をする。


「そうね、捕まえちゃう?」


 そう言うと、白アリは葡萄ぶどうのようなものを、冷却系の火魔法でシャーベット状にして、自身の口に運ぶ。そして、冷たそうに顔をしかめた状態にしたままこちらを見る。


 白アリだけじゃない、皆の視線が俺へと注がれる。

 

「時間もあるし、捕まえに行くか」


 あわよくば、黒アリスちゃんとボギーさんは使い魔を、俺や白アリは使役獣を得られるかもしれない。いや、それ以上に珍しいスキルを手に入れるチャンスかもしれないな。

 

 そんな副次効果に期待しながら、午後と明日の予定を決定した。


 ◇

 ◆

 ◇


「何てことしてるんですかっ?」


 鬼のような形相の女神がそこにいた。


 あれ? 前回はあんなに可愛らしかったのに? 何があったんだ?

 女神さまが出てきたってことは、これは夢の中か。


「あのー、何のことでしょうか?」


 恐る恐る聞いてみた。


 心当たりがない。

 一体何に対してこれほど怒っているのだろうか?


 美人の怒った顔というのは迫力があると聞いたが、確かにその通りだな。

 だが、そこは美少女だ。迫力の中にも、美しさと可愛らしさが見え隠れしている。


「ダンジョンを上層階から、一層ずつ完全破壊して下層を目指すとか、こちらの予想外の行動過ぎます。地表を残して、一層から二十一層までぶち抜きで地下に大空間ができてるじゃないですかっ!」


 気のせいだろうか? 女神の瞳に光るものが見えたような。


「あの……階層毎に完全破壊して降りていくと、帰りとか凄く楽だし、次に潜るときは一度通過した階層をパスできて効率的だな、と思ったんですが?」


 何かまずかったでしょうか? という言葉を飲み込んで女神の様子をうかがう。


「ダンジョンは攻略するものであって、破壊するものじゃありません」


 女神さまが、なおも怒って、詰め寄ってくる。


「破壊すると何かまずいことでもあるんですか?」


「当たり前ですっ! 魔物を倒すことで、魔力が供給されるんです。ダンジョンコアを破壊するならともかく、ダンジョンそのものを破壊しちゃったら魔物がもう出てこなくなるじゃないですか」


 なるほど。

 言われて見ればそうだ。楽をすることだけを考えて、そこには思いが至らなかった。


「それは申し訳ありませんでした」


 素直に謝り、詰め寄ってきた女神の腰に手を回して抱き寄せる。


「今日は目的が違うんですっ――」


 身体をよじり、抗議の言葉を発する女神さまの口を、俺の口でふさぐ。


 今、「今日は」とか言ったような……いつもはそういう目的で来てくれているのだろうか? 聞いてみたいが、こういうのを聞くのはやっぱり野暮なんだろうか? よく分からん。

 そんな疑問は意識の底に沈める。


 なおも、俺の腕のなかで身体をよじって、抵抗を続ける女神さまを抱きしめる腕に、少しだけ力を入れる。

 抱きしめる腕に力を込めると、逆に女神さまの全身から力が抜けていく。

 

 女神さまの抵抗がなくなったところで、抱きしめる腕の力を緩めてくちびるを離す。


「ともかく、今日はゆっくりしている時間がありません」


 女神さまが、俺の胸に頬を当てたまま、胸元から俺の目を見上げる。


「何かあるんですか?」


「ダンジョンの破壊に加担した人たちとその仲間、あなたを含めて七名の転移者の夢に出ないといけないんです」


 俺の腕の中で、女神さまが、少しだけ拗ねたような表情をする。


 なるほど、全員にクギを刺して回るのか。

 律義りちぎというか、真面目というか。いや、俺たちの考え無しの行動のせいなのは分かっている。


「いや、それは、本当に申し訳ありません。俺から皆に言っておく、というのはダメなんでしょうか?」

 

「ダメです。私が直接、皆さんに言います」


 女神さまが、そっと目を閉じてゆっくりと首を横に振る。そして、以前のように冷たさを含んだ口調できっぱりと言い切った。


 あれ? もしかして信用をなくしたかな?

 いや、最初から無いのかもしれないな。


「本当に……今度は、安心して来られるようにお願いしますね」


 俺の左頬にその小さな右手をそっと伸ばしながら柔らかな口調で言った。


 その右手を取り、手のひらに口づけをする。

 よし、抵抗はないな。


 そのまま再び女神さまを抱き寄せてキスをする。

 

 ◇


 女神さまが皆のところへと移動したのはキスから一時間ほどしてからだった。

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