第119話 老人

 空間感知と視覚、聴覚を飛ばすことを並行して、テントの中の様子を探る。


 ひとりだ。

 テントには外からの光はほとんど届いていない。張り合わせた布の、わずかな隙間から細い光が差し込む程度だ。


 そんな中、光の魔道具を利用して、何かの書物を読んでいる。

 富める者、魔力の豊富な者の特権とはいえ、贅沢なことだ。


 魔道具から発せられる光に、ターゲットの爺さんが浮かび上がる。

 短く刈り込まれた白髪に厳しい眼光。そのスッと伸びた背筋と書物をめくるのに似つかわしくない、たくましい腕から、魔法に頼りきった文官のイメージはない。


「誰だ?」


 テントの中からこちらを誰何すいかする鋭い声が響いた。


 声の主はターゲットの爺さんだ。若々しくハリのある声である。

 空間魔法で感知をしたのか? 或いは、他に索敵のようなことが可能なスキルでもあるのだろうか?


 こうも簡単に見つかるとは。

 陣営の後方にあっても、常に警戒を怠らないあたり、慎重さと思慮深さがうかがえる。


 さすがに、敵とは認識していないだろうが、口先だけで誤魔化せるとは思えないよな。

 さて、どうするかな。


 空間転移からの斬撃――硬直の短剣で無力化させるか。

 最悪は個人的な第一目標は放棄して逃走、本来の作戦目標の攻略に戻ろう。


「失礼いたしました。こちらに高名な魔術師がいらっしゃる、とうかがいましたので、ご迷惑とは思いましたが参上いたしました。私も魔法に覚えのある者として、ご面識をいただければと思います」


 特に考えるでもなく、反射的に言葉を返した。


「……入れ」


 一瞬の沈黙の後、落ち着いた口調で迎え入れる返事がした。


「失礼いたします」


 一礼をしながら、メロディを伴ってテントに入る。周囲に兵士の視線はない。

 よし。目撃者はいないな。


 テントの中に入ると同時に視認をする。事前に視覚を飛ばして確認した状況と比べて特に見落としもない。

 先ほどまで手にしていた書物がテーブルの上に置かれている。


「メロディッ! なぜここに?」


「ライムントおじいちゃんっ!」


 メロディとターゲットの爺さんが同時に驚きの声を上げた。


 知り合いか?

 聞いてないぞ。いや、俺がメロディに何も聞いてないんだから、メロディが話すはずもないよな。


 おじいちゃんって――差し詰め、メロディの祖父か祖母の知り合いか。完全に想定外だ。

 個人的な第一目標がメロディの知り合いだったとは。まいったな、メロディの知り合いからスキルを奪うのは、さすがに気がひける。


「いったいどういうことだ? なぜここにいる?」


 爺さんが再びメロディへ質問を投げかける。今度は先ほどより、幾分か落ち着いている。しかし、その表情は険しい。


 答えに詰ったのだろう、メロディが何も言えずに困惑した表情で、俺の方へ助けを求めるように視線を向けた。

 

「メロディッ! その首輪はどうしたことだ? 何があったんだ?」


 首輪に気付いたか、最悪だ。

 でも、普通に考えて気付くよな。


 俺になど目もくれずに、脱兎のごとくメロディへと駆け寄る。そのまだしっかりとした両手で、メロディの肩をつかんで問いただす。などという迂闊うかつな行動はしなかった。

 気持ちの上ではそうしたいのだろうが、メロディの横には俺がいる。

  

 爺さんは警戒を怠ることなく、その言葉や口調、表情とは裏腹にゆっくりと立ち上がり、俺との距離を取る。


 冷静な爺さんだ。

 やはり、あの豊富でレベルの高い魔法スキルと、この年齢は伊達じゃない。俺など到底及ばないような修羅場をいくつもくぐっているのだろう。


「小僧っ! 貴様、メロディに何をしたっ!」


 今にも攻撃魔法を放ってきそうな勢いで、俺へと問いただす言葉と射殺すような視線が向けられた。


 自分の知り合いの少女が隷属の首輪をつけて、見知らぬ若い男に連れられている。

 美少女奴隷を連れた若い男。


 どう考えても俺が悪い男にしか見えないよな。気持ちは分かる。

 気持ちは分かるが、誤解を甘受するつもりもない。急ぎ誤解を解かないとな。


「今、助けてやるからな」


 老人が、再びメロディへと向き直り、ヒーローのように力強く語りかけた。彼女に向けられた視線は険しさの中にも優しさをおびている。


 そして、メロディから俺へと視線を移す。視線が移る間に、険しさの中にも優しさをおびた視線から、射殺さんばかりの厳しい視線に変化をする。


 悪党を見る目だ。

 予想通りとしか言いようがない。いたいけな少女に害をなす悪い男として認定されたようだ。完全にターゲットとしてロックオンされている。


「私たちはあなたに敵対をする意思はありません」


 別に大嘘ではない。敵対の意思が消えたのは、たった今だが、現在進行形で敵対する意思がないのも事実だ。

 しかし、そんな言葉で警戒を解くはずもない。


 空間感知レベル5のなせる技か。

 老人が次の瞬間にも攻撃魔法を発動できる状態にまで、魔力がその両手に集中していることが分かる。便利なのだが、嬉しくはないな。


「ライムントおじいちゃん、本当です。敵対するつもりはありませんし、ご主人様――ミチナガさんと一緒にいて、今の私はとても幸せです」


 メロディが、その第一声と共に、俺と老人との間に飛び出した。別に示し合わせたわけではない。


 老人は俺とメロディの間を、探るような視線を何度か往復させた。

 メロディの言葉を信じたのか、魔法の射線上にメロディが飛び出したからなのかは、はかりかねるが老人の両手に集中していた魔力は霧散した。


 あれだけの魔力をことも無げに霧散させられるのか。

 まったくとんでもない老人だ。


「時間がないので手短にお話をいたします。――――」



 俺は安堵に胸をなでおろしつつ、そう切り出す。そして、いまだに警戒心、いや、敵対心をむき出しの老人に手短に説明を始めた。


 メロディが奴隷落ちした経緯いきさつ――メロディの祖父が魔道具作成中の事故で他界し、そのときに引き起こした事故による被害の賠償金として、メロディが奴隷落ちとなったこと。

 俺が購入したが、メロディに手など出していないこと。これはこの場にあっては重要なので、メロディも必死の形相で援護をしてくれた。


 自分が性奴隷として扱われていないことを必死に訴えたのは、年頃の娘として恥ずかしかっただけなのかもしれないが、理由は気にしない。

 不本意な経緯いきさつがあったとはいえ、予定に反して手を出していなかったことに、今は素直に感謝をしよう。自分自身を素直に褒められない辺り、少し引っ掛かるが、そこは気にしないでおく。


 そして、俺自身が探索者であり、現在、メロディを含めた仲間と共に、カナン王国軍に従軍していることを伝える。


 予想していたのか、老人は表情を変えずに、わずかにうなったていどだ。


 予想通り、この老人はメロディの祖父の昔の探索者仲間だった。

 さすがに、メロディの祖父が他界したことに驚きとショックをあらわにしていた。


 その死因が、魔道具作成中の事故が原因であることを説明したときには、哀れむような雰囲気をたたえた複雑な視線を、メロディへと一瞬だが向けていた。

 

 変動誘発。


 メロディの持つスキルの名前はしらなくとも、原因となるスキルを所有している可能性を疑っていたのかもしれない。

 

 この間に第一目標である食料を焼却する準備を進めた。

 アイテムボックスにあらかじめ用意をした大量の油を、直接、第一目標である食糧と食糧庫内へ転移させる。有りありていに言えば、倉庫に大量の油をぶちまけた。

 あとは点火するだけだ。


 老人も倉庫周辺の敵兵士も気付いていない。


「――――詳しいことは、次におうかがいさせて頂いたときにお願いいたします。お立場はあろうかと思いますが、この場は見逃してください」


 そう言い終えると同時に、老人の周囲に重力魔法を発動させ背後へと転移する。

 重力魔法によりひざまずいた老人の喉元のどもとへ、硬直の短剣を突きつけた。


 メロディが小さな悲鳴を上げる。

  

 もちろん傷つけるつもりはない。欲しいのは見逃してくれるという約束の言葉だ。


「メロディとお知り合いとは想像もしませんでした。高名な魔術師とおうかがいしたので、面識を得たかっただけです。他意はありません。この場は見逃していただけませんか?」


 ――この戦争はカナン王国の勝利で、間も無く集結します。終戦後に師事させて頂けませんでしょうか?――


 という言葉を呑み込み、老人の背後から穏やかな口調で語りかける。どこからどう見ても脅迫でしかないな。


 時間だ。


 俺とメロディは老人の返事を待たずに、目標である食料の保管された倉庫へと転移をした。


 ◇  


 メロディに火を放つよう指示をだし、視覚と聴覚を飛ばす。左眼で眼前に広がる炎を見ながら、右眼は老人の様子を探る。


「暑いよー」


 マリエルが、俺のアーマーから這い出してきた。


「さっきはよく我慢して隠れてたな、偉いぞ」


 自分のスカートでバッサバッサと自分自身を扇いでいるマリエルに、彼女専用のコップに入れた蜂蜜を渡す。


「ハチミツー」


 暑さを忘れたのだろうか? 目の色を変えて蜂蜜の入ったコップに飛びついた。

 

 左眼に映った、倉庫内の炎は瞬く間に燃え広がる。

 右眼に映る老人はその場に座り込み、微動だにしない。騒ぎ出す様子はない。考え込むように双眸そうぼうを閉じている。


 空間感知で周囲を確認する。

 五分間の時間差の効果を改めて感じる。


 この五分の間にかなりの人数が前線近い二ヶ所の消火活動に向かっていた。動きが速い。それだけ食料が重要であることが分かる。

 視覚を飛ばしていないので分からないが、恐らくは必死の形相で消火活動をしているんだろうな。

 こちらの炎に気付いてもすぐに消火活動には動けそうにないな。


 第二目標付近には、既に白アリとボギーさんのグループが到着している。


「すみません、魔力切れです」


 メロディがぐったりした様子でしゃがみ込む。

 

「魔力を外部に蓄えておいてそこから供給するとかできないものかな?」


「ありますよ。そういう魔道具」


 俺のつぶやきに、メロディがキョトンとした表情で答えた。


「あるのか?」


 メロディに魔力を供給したまま表情が強ばる。


「ええ、優秀な魔道具職人のそばに行けば私でも作れると思います」


「分かった。その話は後で詳しく聞かせてくれ。先ずは作戦の遂行だ」


 何だ、できるのか。これで光明が見えたな。どうせあまっている魔力だ、利用できるものは利用しよう。

 俺とメロディ、マリエルは皆の集まっている、第二目標へ向けて転移をした。

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