第118話 ダナン砦潜入

 良い天気だ。

 地上百メートル、バリケードの上から、ゆっくりと空を振り仰ぐ。そこには、雲ひとつない、抜けるような青空が広がっている。

 夏の強い陽射しを遮るものは何もない。


 風もほとんどない。

 ロングヘアの少女二人に視線を向けると、二人の、その長い白髪と黒髪をわずかに揺らす程度だ。


 強い陽射しとわずかにそよぐ風、今日も暑くなりそうだな。


 バリケードの上から眼下に広がる平地を見下ろす。

 昨夜のままだ。


 バリケードの前に、横幅一キロメートルにも及ぶ落とし穴が、奈落の裂け目のように横たわっている。

 その奈落の裂け目とバリケードの間に、同様の落とし穴があるのだが、見た目にはどこにあるのか判断がつかない。


 昨日の今日で、同じ手に引っ掛かるとは思えないが……

 視線を奈落の裂け目から、さらに北、遠方へとゆっくり移動させる。


 奈落の裂け目の向こう、ダナンの砦との間に、敵の歩兵部隊が展開しているのが見える。

 数はおよそ八千。視覚を飛ばして、展開中の歩兵の表情を確認する。


 やる気が微塵も感じられない。十分な食事を与えられないばかりか、昨夜は味方が壊滅しているんだ。それはやる気もなくなるよな。

 いや、マイナス方向の意欲を感じる。今にも逃げ出しそうな雰囲気だ。


 泣き出しそうな表情で、キョロキョロと周囲の状況と仲間の様子をうかがっている。隙あらば逃げ出そうとでもいうのだろうか。

 あの様子では戦いにもならないな。ひと当てしたら、壊走しそうだ。


「白昼仕掛けてくるとは思ってないだろうな」


 テリーが俺の横に並ぶようにして、ダナン砦へと視線を向けた。その目は輝いている。敵の歩兵部隊とは大違いだ。


「まあな。でも、だからこそ昼間に仕掛けるんだろう?」


 テリーの方へ首だけを巡らせて、先ほどの会議で何度か繰り返した言葉を、ここでも当たり前のように繰り返す。


「成功すると思うか?」


 テリーがさらに聞いてきた。目に力がある。形こそ疑問形だが、その表情は成功させる意欲にあふれている。


「何、失敗してもこちらの被害はほとんどゼロのはずだ。それに確実に嫌がらせにはなるな」


 今回の俺たちが敢行する作戦が、さして重要でないことを改めてほのめかす。

 

 そう、今日と明日の二日間は、短期決戦を望む敵の攻撃を、最小限の被害で耐え切ることが命題だ。

 この二日間で、敵の士気と兵力をさらに削ぐ。


 その上で、ダナン砦を落とす。


 俺たちの作戦は味方が防衛に専念している間に、機動力と火力を以て敵の士気を削ぐことと、奪われた食料を焼き払うことだ。

 奪われた食料を見事に奪い返し、わずかだが希望を持ったところでその食料を今度は焼き払う。

 

 やることが陰険な気もするが効果は大きいはずだ。

 食料を焼き払うことができれば、継戦能力を失ったダナン砦は早々に落ちる。


 ◇


 さて、ダナンの砦への潜入作戦敢行である。今回、アイリスの娘たちには留守番をしてもらっている。

 名目上は、ラウラ姫一行の護衛なのだが、それも周囲を固めるワイバーンや使い魔、使役獣がいるから出番はなさそうだ。


 今日から二日間、食料の乏しい敵の猛攻が予想される。

 攻めたい奴には攻めさせろとばかりに、味方は防衛に徹する。


 砦にこもるべき敵が打って出て、砦攻めをしなければならないはずの、こちらが拠点防衛に終始する。

 何とも奇妙な構図である。どう考えても、攻める方が消耗は激しい。


 人間、余裕がなくなるとろくな結果にならないという見本になりそうだ。


 そして、そんな余裕のない敵に奇襲というか、潜入しての不意打ちを仕掛ける。敵の戦力を一ヶ所に集中させて、手薄になったところを狙い撃つ。いつも通りの作戦である。


 もちろん、そんなことを縦横にできるのも、空間魔法と高火力の魔法があるからだ。本当に魔法というのは反則だよな。使えない側からしたら卑怯なことこの上ないことだろう。


 作戦開始時間の迫る中、聖女が聞いたこともないような、馬の歌を口ずさみながら、せっせと準備をしている。


 馬が好きなのだろうか?

 普通に考えて美女が歌を口ずさみなから仕事にせいを出す姿というのは微笑ましいというか、可愛らしいはずだ。


 しかし、聖女が馬の歌を口ずさみながら、訊問の道具を用意している姿は妖しさにあふれている。

 だいたい、あの訊問の道具をどこで使うつもりなんだ?


「聖女の準備ができたら作戦を開始しよう」


 今回の作戦参加メンバー全員――白アリ、黒アリスちゃん、テリー、聖女、ボギーさん、ロビン、メロディ、ティナ、ローザリア、マリエル、レーナらへと皆を見渡しながら告げる。


 全員、無言でうなずく。


「終わりました。もう大丈夫ですよ」


 尋問の道具をしまい終えた聖女が、明るい声で準備が整ったことを伝えてきた。


 聖女のその声を合図に、全員で敵の陣営へ向けて転移を開始した。


 ◇


 バリケードの上層部から、五回の連続転移でダナン砦への潜入を成功させた。

 ダナン砦内の出現場所は、人気ひとけのない倉庫の裏手である。

 

 空間転移での潜入なので失敗するとは思っていなかったが、あまりにもあっさりと成功したことに、若干の拍子抜けを感じる。


 念のため、倉庫内を確認するが、どうでも良いような日用品が、わずかに放り込まれているだけだった。

 もしかしたら、グランフェルト伯爵軍が運び込む予定だった食料保管スペースだったのかもしれない。


 倉庫内から外をうかがいつつ、第一目標である、兵糧の位置を探る。

 

 食料保管場所を見つけた。

 三ヶ所に保管をされている。量から判断して、リスク分散でそのように保管されているのではなさそうだ。

 単純に、もともとあった食料と、グランフェルト伯爵軍が持ち込んだ、わずかばかりの食料、そして、昨日奪還した食料が、それぞれ保管されているだけのようだ。


「二ヶ所に食料があるのを確認した。前線寄りの方は周囲に人が多いな」


「私も二ヶ所見つけたわ」


「わりと近くにありましたね。警備兵がいるようですが、二人と三人――問題にならない数ですね」


 ボギーさんと白アリ、黒アリスちゃんの空間魔法レベル3を所持した三人が、昨日奪われた食料と、もともとダナン砦にあったであろう食料の位置を把握したようだ。


「もう一ヶ所ある、後方だ。おそらくグランフェルト伯爵軍が持ち込んだものだろう」


 砦の外、さらに後方に設置されている仮設テントに、食料が保管されているのを再確認する。


 いた。食料以上に重要な個人的な第一目標。

 魔力精密操作レベル3を所持した、厄介そうな老人だ。


「三ヶ所か、想定内の分散数だな。予定通りに時間を合わせて一気に焼き払うか」


 テリーが第二目標など眼中にないかのように言い切り、同意を求めるように俺の方を見る。


「えー、それじゃあ、つまらないじゃないですか。お馬さんも鹵獲ろかくしましょうよ」


 聖女が、瞳を輝かせて第二目標の奪取を主張するその後ろでは、白アリと黒アリスちゃんが期待に満ちた目で見ている。


 ここで面倒だから、という理由で反対したらマシンガンのような口撃が飛んできそうだ。


 そうだ、味方は?


 テリーに視線を移すと、降参とばかりに両手を肩の付近まで上げていた。


 敵前逃亡、一名。


 ロビンは?

 ロビンに視線を向けると、白アリたちの方へと、足早に歩み寄って行くのが見えた。

 裏切り者、一名。


 ホギーさんは?

 ……われ関せずと、壁の隙間から外をうかがっている。


 傍観者、一名。


 孤立無援かよ。

 仕方がない。面倒だが、やるか。


「分かった、第二目標の奪取もやろう」


「騎馬は事前に調査した通り、砦の後方にテントを張っている、グランフェルト伯爵軍の後方にいる」


「この、近くにある二ヶ所の食料を燃やして陽動としよう。時間差をつけて、後方にある食料を燃やす。これを合図に騎馬の奪取を実行だ」


「一番前線に近い場所にある食料を、白アリ、黒アリスちゃん、ロビンで頼む。ボギーさんとテリーたちで、もう一ヶ所をお願いします。最後方の食料を俺とメロディが襲撃する」


「時間は?」


「今から五分後に襲撃を頼む。さらに五分後に俺が襲撃をする。それを合図に第二目標の奪取にかかる」


 女性陣は全員が満面の笑みで作戦の了解の返事をした。

 これに続き、裏切り者、敵前逃亡者、傍観者が、了解の返事をする。


 ◇


 五分か。

 時間の余裕はないな。もう少し時間を取りたかったが、まさか全体の第二目標よりも、個人的な第一目標を優先するわけにもいかない。


 ターゲットの爺さんが休んでいるテントから三百メートルほどの場所にマリエルをアーマーの中に潜り込ませたまま、メロディと共に転移をする。


 無造作に乱立しているテントの陰に身を潜めて周囲の様子をうかがう。


 グランフェルト領で起きたことがまだ情報として届いていないのか、上層部が握り潰しているのかは分からないが、最前線の兵士たちよりも士気は高そうだ。

 しかし、ところどころに――見るからに身分が低そうな兵士や奴隷などは、空腹に耐えかねるようにうずくまっている者もいる。


 さて、ターゲットの爺さんをおびき出すか、潜入をするか。何れにしても少し揺さぶってみるか。


 メロディを連れ立ってターゲットの爺さんがいるテントへと歩いていくが、騒ぎが起きる様子がない。

 いや、それどころか部外者というか、敵である俺たちがこうして堂々と砦の中を歩いていても、とがめるどころか不審に思い呼び止める者さえいない。


 さすが、昨日、一昨日に、探索者を大勢抱えたままの大軍が、合流しただけのことはある。敵味方の判別がついていないようだ。

 合い言葉とかスパイをあぶりだすための、隠れたマークとかもなさそうだ。敵陣営のことながら、心配になってきた。


 これは……このまま爺さんのいるテントまで歩いて近付き、そのまま襲えそうだな。もしかして、俺の能力があれば、要人の暗殺をし放題なんじゃないのか?


 そんなことを考えながら、ターゲットの爺さんがいるテントの前にたった。

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