第91話 準備中

 え? 

 泣いている?

 涙するラウラ姫のかたわらで、二人の侍女――セルマさんとローゼがオロオロとしている。

 だが、一番慌てているのはティナだ。


 普段は冷静なティナも、お茶を入れただけでラウラ姫が泣き出したのだから、慌てもするだろう。

 お茶のポットを抱えたままラウラ姫と侍女、テリーへとクルクルと視線を巡らせている。

 あのポット、熱いんじゃないのか?

 魔力障壁で体表を保護して、熱いポットを抱えているのだろうか?


「ごめん、ちょっと向こうの様子を確認してくる」


 席を立ちながら、アイリスの娘とロビンに謝り、テリーに目配せをする。

 無言のうなずきが返ってくる。

 テリーも既に席を離れて、ラウラ姫たちの方へと歩き出すところだった。


「良いわ、こっちは任せて。二人はそっちの対応をお願い」


 後方から白アリが声を掛けてきた。

 振り向けば、聖女と一緒にラウラ姫たちの方へと駆け寄って行く姿が映った。


 再び、テリーと顔を見合わせる。

 逡巡――ティナのことを気遣うようすはあったが、無言で踵を返した。俺としても、異存はない。

 出来れば、泣いている女の子の相手はしたくない。二人っきりならともかく、大勢の視線に晒されてなど遠慮したい。


「ごめん、先ほどの続きだけど、ジェロームにはこちらから伝えておくので、買い手を集めるのは頼めるかな」


 アイリスの娘もラウラ姫たちが気になるのか、チラチラと覗き込みながら承知をする。


 さて、やることが増えたな。食事の前にジェロームに話をつけてくるか。

 

「鈍足のジェロームには俺が話をしてこよう」

 

 ラウラ姫のところから逃げてきたボギーさんがまるで俺の心の中を見透かしたようなタイミングで、申し出てくれた。


「でも、雑用ですし――」


「気にすんな」


 ボギーさんが俺の言葉に被せるようにそう言うと、突然、目の前からかき消えた。

 転移か。

 先ほどもそうだったが、転移魔法の使用頻度が高いな。

 自身の転移から物の移動まで、ことさらに使っている。

 あの様子だと、次の戦闘で何か試すつもりなんだろうな。


 ボギーさんが消えた虚空から調理場へと視線を走らせる。

 調理場のほうは、鬼の居ぬまになんとやらで、マリエルとレーナが野菜を重そうに抱えて、フラフラと飛びながら持ち出していた。


 そのまま、岩陰へ運んでかじり付いている。

 地球で同じような光景を見たことがある。観光客の食べ物を盗むカモメがあんな感じだったな。

 もう少し軽快に飛んではいたけど。


 さて、肝心のラウラ姫たちへと視線を巡らせる。

 白アリと聖女が、ラウラ姫を左右から支えるようにして肩を抱いていた。

 

 白アリは良い。面倒見の良いお姉さんに見える。

 だが、聖女はダメだ。

 聖女がラウラ姫の肩を抱いてる姿は、妖しいお姉さんがいたいけな少女を騙そうとしている――加害者予備軍と被害者予備軍にしか見えない。

 まぁ、傍に白アリもいるし、侍女二人もいる。さすがの聖女もこの状況で悪さはしないだろう。


 それにしても、聖女も守備範囲が広いな。俺と聖女の女性に対する趣味や守備範囲はかなり重なっているようだ。


 俺とテリーは顔を見合わせた後で、お互いに静観することで納得した。

 アイリスの娘もラウラ姫の泣き顔が気になるのだろうか、チラチラと振り返りながら戻って行った。


 さて、ジェロームの方に問題がなければ、これで明日の朝には臨時の奴隷市が開催できるかな。

 どうせなら、奴隷以外も明日中に売却を済ませたいところだが。


 特に兵糧関係だ。


 時間が経っている。既にダナン砦にも、後方部隊が兵糧を失った情報は入っているだろう。

 俺が敵なら、こちらの兵糧を奪いにでる。

 奪うというよりも取り返す形になるのだし、心情的にもモチベーションを上げやすいと思う。

 多少の犠牲を覚悟で人数を絞り込んだ機動力のある部隊を用意して、乱戦の中でどさくさに紛れて兵糧の奪取を図る可能性は否定できない。


 兵糧を売らずに、こちらの手持ちのまま、おとりの輜重部隊を編成しても良いのだが、交渉相手があのカッパハゲとか思うと悪戯心が刺激される。

 買った翌日に敵の機動部隊に兵糧を奪われるとか、カッパハゲも胃が痛くなるんじゃないかな? いや、髪の毛が減るか?

 そう考えると、カッパハゲの態度ひとつで売るのをやめる、などという大人気ないことはやめよう。


 となると、テリーが目を付けている奴隷もそうだが、必要なものは選り分けておく必要があるか。


「ロビンは奴隷とか欲しいか?」


 テリーに目を付けている奴隷との契約を、今夜のうちに済ませるように伝えた後でロビンに話を振る。


「え? 奴隷ですか? 私は特に必要ではないので気にしないでください。ただ、魔道具には興味がありますね」

 

 俺の質問を聞き返すロビンの表情に、わずかに嫌悪感が見えた。しかし、それはすぐに消え、魔道具への興味を顕わにする。


 テリーの奴隷を増やす話にも特に嫌悪感は抱いていないようだが、自身が奴隷を持つことには抵抗があるようだ。

 このあたりの感覚は聖女に近いか。

 聖女などは真っ先に女奴隷を欲しがりそうなものだが、その素振りすら見せないどころか、自分で奴隷を持つことには抵抗があるようだ。


「魔道具か……確かに魔道具もアイテムボックスへ収納していても宝の持ち腐れだな」


 テリーがロビンの言葉を受けて、魔道具を含めた戦利品の分配に肯定的な態度を示す。


「そうだよな、今夜にも目ぼしいものは分配をしてしまおうか」


 メロディに目配せをしながら、テリーとロビンに提案をした。


「戦利品の分配か? 良いな、魔道具は興味があるぜ」


 ボギーさんが、突然、姿を現すとそのまま何の違和感もなく会話に加わる。


「聞いてたんですか?」


「ああ、聞こえちまったよ。お前さんたち、声が大きいぜ」


 ロビンが驚いた表情でボギーさんにたずねると、ボギーさんは何でもないことのように答えた。


「ん? 終わったようだよ」


 テリーがラウラ姫たちの方を親指で差しながら、どうする? と問いたげな表情を俺に向ける。


「すみません、俺とテリーはラウラ姫の様子を見に行きますが、二人はどうしますか?」


「涙の理由が分かったら教えてくれ」


「遠慮しておきます」


 俺は立ち上がりながらボギーさんとロビンに聞くと、二人から間髪いれずに回答があった。


 ◇


 ラウラ姫たち用にと用意した大理石のテーブルには、細かな刺繍が施された手の込んだクロスが敷かれている。グランフェルト城から接収したものだ。

 時間は午後五時をすでに回っていたが、初夏の晴れた日ということもありまだ明るい。

 テーブルの傍に用意された明かりの魔道具は、まだ暫らくは使わないで済みそうだ。

 

 俺とテリーが近づいてくるのに気付いた二人の侍女に緊張が走る。

 ローゼが白アリに何かを訴えかけている。


「行っちゃ拙いのかな?」


「近寄らない方が良さそうな雰囲気だね」


 俺は歩く速度を緩めてテリーへと振り返ると、テリーは軽く肩をすくめて立ち止まった。


 俺も立ち止まり、ラウラ姫たちの方へと視線を戻すのと、白アリがこちらへ歩き出すのが同じタイミングだった。

 

「どうしたんだ?」

 

 ラウラ姫の涙の原因とも、ローゼがこちらを睨んでいる理由を確認するとも取れる、曖昧あいまいな問いかけを白アリに向かってする。


「うーん、一先ずはこれ以上ラウラ姫には近づかないようにね、特に男性は」


 わずかに考える素振りをしたと思ったら、初っ端からクギを刺さして、さらに話を続ける。


「侍女二人は、ラウラ姫の泣き顔や泣いた後の顔を、男性に見せたくないそうよ」


 そう言うと、白アリはさらに説明を続けた。


 突然泣き出したのは、抑えていた感情が噴き出したかららしい。

 用意した食器はラウラ姫の家族がまだ健在だった時に、自分たちで使用していたものだったようだ。


「失敗したわ、その可能性は埒外らちがいだった」


 珍しいことに、白アリが肩を落として反省をしている。


「それで、もう、落ち着いたのか?」


 ラウラ姫の方へは視線を向けないように白アリと位置を入れ替えながら聞く。


「ええ、後は侍女二人に任せておけば良いでしょう」


「食器はどうする?」


「思い出の品だから使わせて欲しい、って言っていたから、そのままにしてあるの。あの食器、あのままラウラ姫に返そうと思うんだけど、どうかしら?」


 ラウラ姫へと視線を走らせながら聞いてきたテリーのことを、白アリがたしなめるように軽く睨んだ後で、俺とテリーを交互に見る。


「ああ、賛成だ」


「俺もミチナガと同じで賛成だ。で、それは構わないけど」


 俺の言葉に続きテリーがラウラ姫の方を見るように、相手から見えない位置から右手で指差す。そして、さらに話を続ける。


「そろそろ、聖女を引き離した方が良いんじゃないかな?」

 

「だな。お姫様相手に、風聞の良くない問題を起こされたら、俺たち全員の信用が無くなるぜ」


 テリーのすぐ横に突然現れたボギーさんが、もの凄く嫌な未来を暗示させる。


 驚くテリーをそのままに、ラウラ姫たちへと視線を向けた。

 

 嫌な光景だ。


 ラウラ姫は聖女の豊かな胸に顔を埋めて泣いている。聖女の左手はラウラ姫の背中に回され、そのまま肩を抱いている。右手に至っては、あろうことか、親指がわずかに腰に掛かっているが、手のひらのほとんどはラウラ姫の臀部でんぶにある。

 まったく、油断も隙もあったもんじゃ無いな。


「はいはい、分かったわよ」


 白アリが俺とテリーの訴えるような視線にホールドアップするような仕草で応え、そのまま聖女の方へと歩いて行った。


 ボギーさんはそんな白アリの反応に口元を綻ばせている。

 もしかして、この状況を楽しんでる?


「ジェロームの方は、明日の朝の奴隷売買を了解してくれたぜ。今頃、準備に奔走してるんじゃネェか?」


「ありがとうございます」

 

 突然、奴隷売買のことを伝えてくれたボギーさんにお礼を述べながらも、意識を再び聖女へと向ける。


 白アリに左耳をつままれて、何かを叫びながらこちらに引っ張られてくる聖女と憤然とした表情の白アリがいた。


 ラウラ姫と二人の侍女――セルマさんとローゼは不思議なものを見るような表情で見送っていた。

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