第88話 女神との会話(1)
ん? 何だ?
遠くで何か物音が聞こえる。
違うな、遠くじゃない。テントの中だ。
誰かテントを出て行く?
入り口の方へ視線を向ける。
黒尽くめの男がいた。ライトアーマーにマント、ソフト帽子という独特の後ろ姿が目に映る。ボギーさんだ。
タバコかな?
今は何時頃だろう? どれくらい眠ったんだ?
部屋を見渡すとロビンの姿がない。もう起きて活動をしているのだろうか。
頭では起きなきゃ、と思うのだが身体が言うことをきかない。
そうとう疲れているな、これは。
皆には悪いがもう少し寝かせてもらおう。そのうち誰か起こしにくるだろう。
「ミチナガさん? 起きてますかー?」
眠りなおそうとする矢先に、テントの入り口付近から涼やかな女性の声が楽しげに響く。
声が弾んでいる。白アリだ。
「眠ってるのー? 入りますよー、良いですかー? 入っちゃいますよー」
白アリの声に続いて、テントに人が入ってくる気配を感じる。
眠った振りはそのままに、視界を飛ばす。
長い黒髪を、左右にお下げのようにゆるく三つ編みにした女性が映る。
やっぱり白アリだ。
珍しいな、三つ編みなんて初めてみた。それに、ドレスアーマーを装着していない。ノースリーブの薄いワンピースのような服を着ている。
拙い。
こっちへ歩いてくる。
頼む、来ないでくれ。そっとしておいてくれ。
夜間飛行中のワイバーンの上で熟睡したお前とは違う。俺はもう少し眠りたいんだ。
でも、冷静になって考えたら、夜間に高速飛行中のワイバーンの上で熟睡とかスゲェーな。
俺は驚きを隠したまま眠った振りを続ける。
ここはこのまま眠った振りを続けて立ち去るのを待とう。我ながら消極的な策だとは思うが、最良の策のような気がする。
白アリに背を向けるようにして眠った振りをしていると、ベッドの上に体重がかかるのに続き、背中に体温と弾力を感じた。さらに鼻腔をくすぐるような甘い香り漂う。
それに続いて耳元でささやく声が聞こえる。
「朝ですよー、起きてくださーい」
白アリが耳に吐息を吐きかけるようにしてささやいている。心地よい弾力はさらに背中に押し当てられ、その形状を変えているのが分かる。
おおっ! この感触はっ!
これって胸だよな? 胸だろっ! しかもこの感じ、ブラはしていない。
そうじゃない。白アリの胸に喜んでいる場合じゃない。
いや、嬉しいことは嬉しいんだが、優先順位は俺の睡眠だ。
だいたい、何で「朝ですよー」なんだよ。眠ったのが朝をとっくに回っていただろう。あれから四・五時間眠ったとして、とっくに昼過ぎだろうな。
もしかして、こいつ暇だったのか?
あれから、眠らないでいたのか?
まあいい。このまま白アリの胸の感触を楽しみながら、眠った振りを続けよう。
のわっ!
耳に暖かくて柔らかい感触。え? 何だ? 生暖かい息も感じる。これって、舌?
「な、何するんだよっ」
心地よい弾力は非常に残念だったが、白アリからわずかに遠ざかるように飛び起きて、彼女の方を向く。
ベッドに腰かけた、
ブラを付けてないどころじゃない。期待以上だ。
というか、いつ全裸になったんだ?
その表情は瞳を潤ませながらも、恥ずかしそうに俺のことを見つめている。
白アリの表情を確認した俺は視線を下げる。
胸から太ももを視界におさめたところで動きを止める。
実に良い眺めだ。
平べったいのも良いが、こういうのも良いな、うん。
意外と薄いんだな。
これは夢だな。
一通り、眺めを楽しんだ後に隅に追いやっていた考えを呼び戻す。
よく考えてみれば、白アリが「眠ってるのー? 入りますよー、良いですかー? 入っちゃいますよー」などと言いながら入ってくる訳がない。
そもそも、自分で起こしに来るか? 誰か――メロディあたりを起こしに寄越すはずだ。
仮に自分自身で起こしにくるにしても、「入るわよ、見られて困るようなものはしまいなさいよ」と警告一発で、隠す時間も与えずに踏み込んでくるはずだ。
フェアリーの加護に白アリが登場するのは良い。それ自体は歓迎なんだが、これじゃあ、中身が別人じゃないか。もう少し、こう、何かあっても良い気がする。
まぁ、俺の願望なのかもしれないが。
やはり、疲れているんだな、俺。
「起きたぁ?」
白アリが
そのまま肢体を絡めてくる。
見た目だけなら申し分ない。いや、好みだ。
抜けるような白い肌に、長く艶やかな黒髪。内面とは裏腹のおとなしそうな容貌。言葉を交わさなければ絶対に
当然のように、すぐさま身体が反応をしてしまう。
疲れてはいてもそこは夢の中だからか、若いからかは分からない。
俺も上半身裸で眠っていたため、白アリの柔らかい素肌を直に感じる。
白アリの唇をふさぎ、抱き寄せる。
俺の腕の力に反応するように小さな声を上げ、口をわずかに開く。その隙は逃さない。
白アリも反応をする。
俺の背中に回された腕に、わずかだが力が込められる。そのまま、抱きしめる俺の腕に身体をあずけてくる。
そのまま押し倒し白アリの柔らかさと吐息を漏らしながらの声と反応を楽しんだ後で、背中を這う腕を優しくほどく。そして視線を白アリの上気しているであろう顔へと向ける。
そこには、ここ最近、最も親しいかもしれない、金髪の美しい女性の顔があった。女神だ。
その視線は相変わらず冷たい。
気のせいかな? 能面のような表情ではあるがわずかに上気している。
「お久しぶりです。お会いしたかったんですよ」
何となくだが予想をしていたので、慌てることなく落ち着いた口調で女神に挨拶をした。
女神は俺の挨拶を聞くと、小さなため息を漏らした後で、両腕を俺の首へと回してきた。
回された腕に力が込められる。
意外と非力なんだな。
非力な女神の腕の力に逆らうことなく、引き寄せられるままに覆いかぶさる。
明らかに白アリよりも、ひとまわりは大きな弾力のある膨らみを、俺の胸で押しつぶしてその形を変える。
「あなたたちは、本来の目的を見失って、一体何をやっているんですか」
女神が小さな吐息に続いていつもの冷たい口調に、微妙にすねた感じがない交ぜとなった口調でささやく。
声と吐息が耳をくすぐる。
「ダンジョン攻略をしたいのは山々なんですが、戦争が妨げになっています」
ここまでの戦乱は、あなたの管理不行き届きではないですか? というセリフは飲み込んだ。
「まあ、あちら側もいろいろと揉め事があったようで、攻略が滞っています。大きく情勢が動くことはないでしょう」
女神が嬉しそうに話している。
ライバルとはいえ、他者の失敗を喜ぶというのは女神としてどうかと思うんだが。
「ところで、こちら側に来た人たち――聖女とボギーさんの夢には出られるんですか?」
これ以上ダンジョン攻略について話をしても、健全な方向には話が行きそうにないので、こちらの知りたいことへと話題を変える。
「出られますよ、そのうち出る予定です」
顔は上気しているが、口調は冷たい。しかし、小さな声をさせたかと思ったら優しげな笑みでさらに続ける。
「でも、これ以上のアイテムは渡しませんよ。あちら側がやっている以上のことをするつもりはありませんから」
まるで、こちらの聞きたいことが分かっていたかのように、キッパリとした口調で言い切る。
なるほど。ルール違反はやむを得ないが、あちら側以上の違反をするつもりはないということか。
生真面目というか、意外と小心者だな。
まぁ、良い。次の疑問だ。
「なぜロビンの夢には出ないんですか?」
「行きましたよ」
俺の質問に、女神がキョトンとした顔で間髪を容れずに答える。
「え? でも、夢には出て来ていないって……」
あいつ、嘘をついていた? 隠したのか。でも、なぜ?
「彼は武器や防具、アイテムは望みませんでした。あなたと一緒ですね」
「じゃあ、何かスキルを?」
「いいえ、彼は覚醒を望みました。こちらの世界では二人目となる覚醒者です」
女神は小さく仰け反り、途切れ途切れで言葉を発した。
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