第86話 褒美

 ルウェリン伯爵の陣幕を出て自分たちのテントへと向かう。

 空を見上げれば、まだ星が瞬いている。

 報告に時間をとったし、間もなく白み始めるだろうか? いや、夜が明けるにはもう少しかかるかな。


「ねぇっ、目録は何が書いてあるの? 最後に伯爵が何か書き込んでたじゃない? あれは何?」


 ルウェリン伯爵の陣幕から離れた途端、白アリが褒美の目録が気になるらしく、右腕を俺の左腕に絡めてきた。


 やけに上機嫌だな?

 褒美を断る形だったから文句が出ると思っていたのに。


「それよりも、お仲間だけで話し合いをする時間が欲しいな」


 相変わらず足元は悪いが、歩く速度を幾分か早めながら、目録を白アリに渡す。


「そうね。何かあるの?」


 短剣で目録の封を剥がしながらも、歩く速度は俺と変わらない。このぬかるんだ地面で器用なものだ。


「戦争が終わった後のダンジョン攻略と、他のお仲間を味方に引き入れることについて、意思統一をしておいた方が良いだろう?」


 白アリの広げた目録を横から覗き込んだ。


「賛成ね」


 目録に目を通すのに夢中なのか俺のことなど気にする様子がない。


 うん、普段ならこの角度で覗き込んだりしたら、「どこ見てんのよっ!」と睨まれているところだ。

 白アリの豊かな胸の谷間を視界におさめつつ、俺も一緒になって目録に目を通す。


「凄いじゃないの、これ」


 目録に目を通す白アリの声が弾む。

 現金だな。もの凄く上機嫌だ。眠気すら感じられない。


 確かに凄い。今回は人数が多かったのもあるが、金貨だけでも一人当たり二百枚――日本円にして二億円ほどだ。

 さらに、伯爵領全域の商業権と商利益に対する減税許可証の発行が約束されている。


 ん?

 最後にルウェリン伯爵の直筆で付け加えられた二項目が目に飛び込んできた。


「何よ、これ」


 白アリの目録を持つ指に力が加わる。実に不機嫌そうな声だ。

 すぅっと、俺の方を振り向く。目が細められている。


「知らない、俺は知らない。一緒にいただろう、ずっと」


 予想外のことに俺も慌ててしまったようだ。首を横に振りながらそれだけを言うのが精一杯だった。


「そうね、そうよね……」


「ここで話し合っても仕方がない。テントに戻って皆で話し合おう」


 先ほどのことを思い返しているのだろうか、考え込むように再び目録へと視線を落としたところで、素早く問題の先送りを提案した。

 

「いいわ、そうしましょう。でも、それよりも先に、さっきの群がっていた連中の対応よ。聖女なんて外面が良いから、話だけは聞いちゃってそうよ」


 そう言うと、機嫌を直したのか、再び右腕を俺の左腕に絡めて歩き出した。


 何だろう?

 解決策でも思い浮かんだのか? この状況で上機嫌だということが解せない。もの凄く不安だ。


 ◇


「――――と、以上が次回の作戦と今回貰った褒美だ、これと冒頭に報せた戦利品のうち現金化できたものと宝石が今回の分配対象になる」


 

 今回の作戦に参加したメンバー、奴隷を除いた全員とラウラ姫、侍女二名を前に、先ほど、ルウェリン伯爵のところで話した内容と褒美の目録の報告をした。


 さすがにこの人数はテントに入りきらない。

 ルウェリン伯爵を見習って、衝立で陣幕を作成。その周囲をワイバーンで包囲している。

 遠巻きにしている者はいるが、近づく者はいない。


「金品については戦利品と褒美を合わせて等分するが、そのほかの戦利品や褒美については相談させて欲しい」


 戦利品については接収しながら、白アリとテリーが中心になって、ジェロームの助言を受けながらまとめていたので、現金や宝石の類は既に把握できている。

 マジックアイテムや美術品、調度品などが一部算出できていないくらいか。

 一般の武具と食料はルウェリン伯爵を筆頭に、軍勢を抱える貴族へ売却することになるので、こちらも現金化でき次第等分することになる。


 全員反応に困っているのが分かる。理由はそれぞれなんだろうな。


 アイリスの娘たちは自分たちの受け取る金額に言葉もない。茫然としている者と夢心地の者とがいる。

 テリーと聖女、ロビン、ボギーさんは口元を緩めているが、書き加えられた二項目に対しての白アリと黒アリスちゃんの反応が気になるようでチラチラと二人を見ている。


 黒アリスちゃんは泣きそうな顔をしているな。予想通りだ、うん。

 白アリは薄笑いを浮かべている。何を考えているんだろう? 心配だ。


「すみません。私たちは奴隷ということになるのでしょうか?」


 侍女のひとり、オレンジ色の髪をしたセルマさんが震える声で聞いてきた。震えているのは声だけじゃない。全身が小刻みに震えている。顔も強ばっている。

 二十歳と言っていたっけ。

 囚われの身でも、落ち着いて振る舞い、ラウラ姫の心の支えになろうとしていた人でも、さすがにショックは隠せないようだ。


 ラウラ姫はローゼに支えられて、かろうじて立っている状態だ。

 ローゼは、さすが口が悪いだけの事はある。気丈にも俺のことを睨みつけている。だが、その瞳からは涙が流れている。


「奴隷ではありません。そんなことにはしませんから安心してください」


 俺はできるだけ穏やかな口調となるように努めて、セルマさん、ローゼと視線を移す。最後にラウラ姫に視線を止めて、さらに説明を続けた。


「これはラウラ姫の身の安全のためにルウェリン伯爵が配慮してくれたことです。ここに書き足された事項のように、ラウラ姫とお二人を私とアリス・ホワイトの二名の褒美とすることで、他者から守ることができます。私とアリス・ホワイトの所有物に手をだす者はこの軍団にはいないでしょう。仮にいたとしても、お守りし、報復をします」


 俺の話す内容を理解してくれたのか、ラウラ姫とセルマさん、ローゼの顔に血色が戻っている。そんな三人の表情を確認しさらに話を続ける。


「ラウラ姫、貴女は私が必ず守ります。貴女の祖父である、リューブラント侯爵のもとへ必ずお連れいたします」


 最後はラウラ姫だけを見つめて力強く言い切る。


 ラウラ姫の瞳から涙が流れ出した。

 しかし、その表情からうかがえるのは、不安や絶望ではなく、安堵であろう。笑顔が見える。


 ラウラ姫の表情を確認した後、もの言いたげな白アリへと視線を移す。目が合う。内心の不安が表に出ないよう気をつけて、俺は静かにうなずいた。


「ラウラ姫、安心してくださいね。ミチナガが守ってくれますよ。そして、貴女の傍には私がいるようにします。不埒ふらちやからは近づけさせません」


 白アリがラウラ姫の傍まで近づいて、満面の笑みをたたえる。


 真っ先に反応したのはローゼだ。希望に満ちた瞳で白アリのことを見ている。

 いや、違うな。

 真っ先に反応したのは黒アリスちゃんだ。

 両手を胸の前で組み、頼もしそうに白アリを見ている。


 セルマさんとラウラ姫も頼もしそうに白アリを見つめている。ラウラ姫、俺を見つめていたときよりも安堵していないか?

 何だろう、面白くない。


「兄ちゃん、真っ先に反応していたぜ。顔色を変え過ぎだ」

 

 いつの間にか俺の直ぐ後ろに移動していたボギーさんが小声で教えてくれた。実に楽しそうな響きを伴って。


 すぐさま、視界を飛ばして周囲を見渡す。

 テリーもロビンも聖女も、声を立てずに笑っている。アイリスの娘たちもだ。

 まいった。

 本当に顔に出ていたみたいだ。しかも、真っ先に反応していただって? ポーカーフェイスというスキルを見かけたら最優先で奪おう。


「で、最後の一項目についてだ」


 俺は気を取り直して、何ごともなかったかのように話を続けた。


「これは、今すぐどうこうというものではないので、保留で良いな」


 問題の先送りであることに変わりない。しかし、正直あまり深く考えたくないのも事実だ。


「確かに今すぐどうこう、って訳じゃあないが、兄ちゃんの考えだけは明確にしとかないとな」


 ボギーさんが真っすぐに俺のことを見ながら真顔で言う。

 先ほどまでの状況を楽しむような感じは微塵もない。


 なるほど。

 これは先送りするのはまずいってことか。


 目録に書き加えられた最後の項目に視線を落とす。


『グランフェルト領の代官として、チェックメイト、ミチナガ・フジワラを中心とした六名を任命する。これは終戦後の領地割譲により変更の可能性があるものとする』


 ラウラ姫を褒美として受け取った上、戦後にグランフェルト領を代官として治めるだ?

 ルウェリン伯爵は気を利かせて、他からの介入ができないようにしたつもりのようだが……

 取りようによっては、単なる占領地の統治代行ではない。ラウラ姫との婚姻を前提とした占領地の統治代行だ。その場合、夫は俺だよな。


「グランフェルト領の統治についても、どうなるか分からないことだ。仮に譲渡が決まったとしても、誰が代官に任じられるか分からない」


 そこでいったん言葉を切り、全員の表情を見る。

 皆、真剣な面持ちで聞いている。


 ラウラ姫も真剣な表情だ。しかし、その表情は自分の故郷を心配する少女の顔だ。統治の道具として強制的に結婚させられる可能性までは想像はできていないようだ。

 むしろ、蒼ざめている二人の侍女の方が可能性を理解している。


「ラウラ姫にはグランフェルト領の統治で利用されることのないようにリューブラント侯爵のもとへ送り届ける」


 皆に向かって、はっきりと宣言をした。


 皆が、無言でうなずく中、黒アリスちゃんが安どの表情を見せる。

 

 俺はそんな黒アリスちゃんからボギーさんへと視線を移す。

 腕組みをした状態で、他からは見えないようにサムズアップをしていた。



 ◇


 ジェロームとアイリスの娘たちの退出に続いて、ティナに伴われて、ラウラ姫たち三人が陣幕を後にした。


 外はワイバーンとメロディ、ローザリア、さらにマリエルとレーナが固めている。


「さて、眠い中、皆に残ってもらったのは、今後の進め方と終戦後について、話し合いたいと思ってだ。それと、商業権と減税許可証について同意が欲しかったんだ」


 俺も眠気を振り払うようにお茶を一気に飲み干してから話し出す。


 全員が眠そうな表情をしながらうなずく。


「先ず、商業権と減税許可証はジェロームに受け取ってもらおうと思うが、どうだろう?」


「賛成よ、これからも協力してもらいたいし、彼には大きくなってもらいましょう」

 

 全員が眠そうにしているなか、ひとり、元気な白アリが真っ先に賛成をしてくれた。


 もちろん、反対をする者はなく、全員が次々と同意をしてくれる中、聖女が小さく右手を挙げて発言を求めた。


「ジェロームさんの件は私も賛成です。今後のことについて話し合う前に、見て欲しいものがあります」


 そう言っておもむろに長剣を取り出した。


 日本刀のような、片刃で反りの入った長剣だ。いや、 柄とつばの部分が西洋の直剣を思わせる以外は日本刀そのものだ。


「グランフェルト城の宝物庫から出てきた物の中に紛れていました。現地で気付いていれば、付帯する情報を集められたのですが、手がかりはこれだけです」


 聖女はそう言いながら、柄の部分に刻まれた文字を指差した。


 ――Sei・Simu――


 柄にはローマ字でそう書かれていた。

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