第80話 グランフェルト領

 ワイバーンで高度を取り、雨雲の上に出ての飛行だ。

 眼下には分厚い雨雲が広がり、地上への視界を塞いでいる。


 前方に目を向けると、一際高い山脈が横たわっているのが視界に入ってくる。

 ぶ厚い雨雲が山脈の手前で途切れて、山脈から向こうは初夏の陽射しが地表に降り注いでいる。


 山脈の険しい尾根をよく見ると、木々が濡れ、地表や岩肌が水を含んでいるのが見て取れる。

 雨が通り過ぎたばかりなのが分かる。


 あの山脈の向こうにグランフェルト辺境伯の領地が広がっている。

 さすがに三万人もの兵力を動員できるだけあり、ある程度の食料を自給できる肥沃な平地を有している。

 領地内には複数の鉱山がある。中でも、ガザン王国最大の産出量を誇る銀鉱山は、今も稼働中だ。さらに、一つではあるが、ダンジョンもある。


 この食料の自給と鉱山、ダンジョンを背景に、グランフェルト伯爵は、ガザン王国の貴族の中でも有数の――裕福で力のある領主の地位を築いている。

 その領主の居城と配下貴族の館だ、戦利品をツイ期待してしまう。

 

 できることなら、魔法の武具、道具が望ましいな。

 戦利品も目的のひとつだが、本拠地が襲われたと分かれば、グランフェルト伯爵の遠征軍も前線に駐留はしていられないだろう。まして、大量の兵糧を失っている。

 成功すれば、三万の兵力を前線から引き剥がすことができるだろう。


 とはいえ危惧はある。

 食料がなければ、敵から奪えば良い。とばかりに、飢えた三万の兵士たちを、けし掛けられてはたまったものじゃない。


 本拠地急襲、の一報が前線に伝わるまでは大人しくしていてくれよ。

 グランフェルト伯爵とその幕僚がアグレッシブでないことを祈りながら、ワイバーンを待機させておけそうな山間の盆地へ向けてワイバーンを降下させた。


 ◇


 例によって、ワイバーンを山中に待機させて領都――バーン市へと侵入する。

 こちらも例によって、空間魔法での連続転移で易々と侵入できた。


 俺たちからすれば、空間転移での侵入など、どうということのない常套手段なのだが、アイリスの娘たちは相変わらず驚いてた。

 ただし、今度は空間転移で侵入するシチュエーションよりも、俺たち全員が、まだ魔力に余裕があることへの驚きのほうが大きかったようだ。


「何でまだ魔法が使えるの?」


「どれだけ魔力があるのよ」


「魔力回復のスキルとか持ってるのかな?」


「アイテムボックスの容量が尋常じゃないから魔力も多いとは思ってたけど……」


「これでも、村では一番の魔力量だったのに。自信がなくなったなぁ」


「魔法だけは身分に関係ないから平等だと思ってたけど、全然っ、平等じゃないのね」


 等々、俺たちが魔法を使う度に、驚きと若干の理不尽をなげく声が聞こえた。


 もう慣れたのか、ジェロームは特に何を言うでもなく黙ってついてくる。

 アイリスの娘たちの驚きの声を聞きながら力ない苦笑いをしてはいたが、誰もそんなことは気にしないし触れもしない。


「誰も私たちのことを気にしてませんね」


 黒アリスちゃんが、忙しそうに動き回る町の人たちを見ながらつぶやく。


「本当ですね。こんなに怪しそうな一団なのに……不思議ですね」


 聖女が瑠璃色るりいろのドレスアーマーをひるがえし、足早に通り過ぎていく人たちを振り返る。 


 確かに、見た目にも怪しげな集団だ。

 主に初期装備の思いっきり目立つドレスアーマーを装備した、女性三名とボギーさんがいるからな。


 念のため、代表で俺と白アリ、黒アリスちゃん、聖女、ボギーさんで町中をうろつく。他のメンバーは、路地裏から町の様子をうかがう。

 隠密行動を前提としたメンバー選出ではない。


 俺たちが普通に歩いていても、警戒や通報をされないかの確認するための選出メンバーである。

 もちろん、何かあってもこのメンバーなら力押しもできるし、空間転移で逃亡することも容易だ。


 ダンジョンがあるため、普段なら探索者が多い都市だ。

 普段どおりの感覚でいてくれるなら見過ごしてくれるだろうとのことなのだが……見過ごすどころか、日常風景のように受け入れてくれている。


 改めて周囲を観察する。

 活気があるにはあるのだが、少し雰囲気が違うか。どちらかといえば、慌ただしさが感じられる。

 市内は豪雨の後のため、午前中にできなかった分を取り返すかのようだ。


 思っていた通り警備は手薄、というよりも、外部からの侵入者をまるで警戒をしていない。

 加えて市民のふところのなんと広いことか。感心を通り越してあきれてしまう。


「はい、美味しいわよ」


 白アリが串焼き肉を差し出しながら話し続ける。


「ありがとう。これは?」

 

 白アリの言うとおり、美味しそうな匂いがしている、山鳥の串焼きと思しき串焼き肉を受け取りながら尋ねる。


「偵察がてら、そこの屋台で買ったの。面白い情報を仕入れたわよ」


 白アリが串焼肉をクルクルと回しながら、口元をわずかに緩めている。


「白姉さん、悪女の顔になってますよ」


 聖女が自分のことを棚に上げて白アリに耳打ちをする。


 いや、聖女の場合、悪女は中身で外面は聖女のままだから、棚に上げてる訳じゃあないか。


 聖女の耳打ちなど気にしていないように、さらに口元を緩めて話し出した。


「今のグランフェルト伯爵は、半年前に実のお兄さんを殺害して爵位を継いだんだけど――――」



 半年前に実の兄とその家族を、皆殺しにして、半ばクーデターのような感じで爵位を継いだそうだ。

 ガザン王家に限らず、この世界のほとんどの王家は、配下のお家騒動には関知しない。

 爵位の承継は何の問題もなく行われたかのように見えた。


 ところが、実の兄の家族に生き残りがいた。今年、十二歳になる孫娘だ。

 そうなると活気付くのは、現伯爵から冷や飯を食わされている貴族や豪族たちだ。


 本来なら、外戚――孫娘の母親の血筋が中心となるはずなのだが、位置が悪すぎた。王都を挟んでほぼ対角に位置している。距離がある上、軍を派遣するにしても王都をかすめる形になる。

 我関せずの王家も、さすがに王都をかすめるような行軍を許容する度量は無かった。

 派兵、行軍の許可はされず、現グランフェルト伯爵に時間を与える結果となった。


 現グランフェルト伯爵は、この時間を利用して領内の反対勢力の粛清と、生き残った孫娘を探し出すことに成功。

 孫娘はグランフェルト伯爵の居城、孫娘からすれば自身が生まれ育った城に監禁されているそうだ。


 発見した直後に、孫娘を害さなかったのは、風聞を気にしたからか、外戚が暴走しないようにと、王家から何かしかの要請があったからかは分からない。

 分からないが、いろいろな憶測が面白可笑しく飛び交っていた。



 白アリのやつ、この短時間に妙に濃い情報を集めてきたな。



 なるほど、グランフェルト伯爵としては、後顧の憂いもほぼ一掃した。

 そして、爵位継承後の間もない自分が、初手柄を立てて、王国内に自分の存在を知らしめるチャンスが今回の遠征だ。

 意気揚々と動員上限の兵を率いて出発したのだろう。

 道中はきっと、明るい未来や楽しい妄想でいっぱいだったんだろうな。


 今頃、兵糧や武具、軍資金が無くなっていることに気付いただろうか。

 間近で見たかったな。



「ひとつ確かなことは、孫娘は城内に監禁されているってことね」


 白アリの言葉に現実へと引き戻される。


 白アリに目を向ければ、口元は緩んだままに真っすぐに俺を見つめている。その瞳は妖しい光をたたえている。まるで頭の中の悪巧みが瞳から漏れているようだ。


 白アリの言わんとしていることは分かる。

 確かに、その孫娘は利用価値が高い。外戚が王都を挟んで対角と言っていたな。ベルエルス王国に近いかもしれない。後で、ティナに位置を確認しよう。


 不運な孫娘を救出して、お家再興を図る。

 さらに外戚に恩を売ってこちらの陣営に引き込めれば、領地の位置次第だがベルエルス王国への牽制けんせいとガザン王家ののどもとに剣を突きつける形になるか。


 うん、当たり前だが、良い方向にだけ考えれば、良いこと尽くめだ。

 やる価値はあるな。


「なるほど、次の標的は、利用価値の高い、そのお姫さまってことだな」

 

 ボギーさんが思案している俺の顔を、その灰色の瞳で覗き込んでいる。


 しまった、思わずほくそ笑んでしまったか?

 こちらの思惑が見透かされているようで、どうにもあの灰色の瞳にみられると緊張してしまう。


「孫娘を誘拐するんですね、賛成です」


 猫舌の黒アリスちゃんがハフハフと串焼肉を食べながら、誰も提案などしていないはずの誘拐案を支持する。


「え? 小さい女の子を尋問するのはちょっと……」


 黒アリスちゃんを見ながら、聖女が少し引き気味になり、語尾が消え入る。


 いや、尋問から離れろよ。というか、お前だけだよそんなむごいこと想像したのは。


 もちろん、そんな思いは微塵も表に出さない。

 聖女のセリフは聞かなかった振りをして皆に語りかけた。


「全員で作戦の修正をしよう。基本は『お姫さま救出作戦』を建前にしようと思う」


 俺の提案に全員が肯定の意思をしめし、皆が待つ路地裏へと急いだ。

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