第74話 準備

「キャーッ!」


 絹を引き裂くような女性の悲鳴が辺りに鳴り響く。


 白アリの悲鳴だ。

 まさか奇襲か? こんな軍が駐留するど真ん中で? 俺とロビンにボギーさんが顔を見合わせる。にわかには信じられないが、敵には覚醒者がいる。どんな能力があるのかも分からない。


 三人がほぼ一斉に眠気を振り払うようにしてテントの外へ飛び出した。

 辺りはまだ暗い。夜空には星が瞬いている。ほとんどの人が眠っている時間のはずだ。辺りは夜の闇の中、静まり返っている。

 俺たち三人以外、誰も起きてきていない。


 ダナンの砦への攻撃開始は明日の昼を予定している。いや、既に日付が変わっているから今日の昼か。

 そりゃあ、ゆっくりと寝ておきたいよな。


 そして俺たちは未明に陣を離れ、グラム城へと向かう予定だ。

 出発まであと二時間くらいか。

 

 マリエルは俺たちのテントの中で熟睡中だ。

 カラフルと名づけた、神獣なスライムをベッド代わりにして、幸せそうな顔で眠っている。

 グラム城攻略の際には十分に働いてもらおう。


 他のテントや寝袋の中で眠っている兵士や探索者たちにも、今の悲鳴は聞こえているはずだ。

 二十メートルほど離れたところを巡回している警備兵もこちらを見ようとしない。明らかに目を合わせないようにしている。

 俺たちが悲鳴に驚いてテントを飛び出したのは気付いているはずだ。巡回中の警備兵の視線や表情、動作が明らかに不自然だ。


 気のせいじゃないな。

 明らかに俺たちと関わりを持つのを避けている? いや、トラブルになりそうな状況で関わりを持つのを避けているのか。


 昼間などは、共同作戦の申し入れや配下に組み込んで欲しいとの嘆願たんがんが後を絶たなかった。

 つまり、敏感な彼らからすると、白アリの悲鳴が上がった、今の状況は関わりたくない状況と言うことだ。


 テリーとティナ、ローザリアが、眠そうに目を擦りながらテントから起き出してきた。

 ティナとローザリアは、ご主人様であるテリーの手前もあってか、欠伸あくびを噛み締め、揃って涙を浮かべている。

 テリーに至っては上半身裸の状態で、ズボンを直しながら欠伸あくびをしている。


 女性陣――白アリ、黒アリスちゃん、聖女、メロディの眠っているはずのテントから悲鳴に続く動きはない。

 

「おいっ! どうした? 今の悲鳴はなんだ? 大丈夫か?」

 

 さすがに踏み込む訳にも行かないのでテントの外から声をかける。


「寝ぼけたんじゃあネェのか?」

 

 ボギーさんが火の着いていない葉巻を咥えながら、面倒くさそうな調子でもの凄くありそうなことを口にした。


「大丈夫です。ちょっと待ってくださいね」

 

 ボギーさんの言葉に重なるようにタイミングでテントの中から、聖女が答えた。その声の様子から、大ごとにはなっていない事が伝わってくる。


「今、四人とも着替えていますから、踏み込んできちゃダメですよ」


 黒アリスちゃんがいろいろと想像を掻き立てるようなセリフを言う。

 

 四人ともか。

 そろいも揃って、一体、どんな格好で寝てたんだ?


「暑かったからな、寝苦しかったんだろう」

 

 テリーが身も蓋もないことを言い、それを横で聞いていたロビンが、何とも困ったような顔で俺の方を見る。


「ご主人様、皆様、お騒がせ致しました。申し訳ございません」


 真っ先にテントから出てきた、何の罪もないメロディが、深々と頭を下げて謝罪をした。


「いや、それは良いんだが。何があったんだ?」

 

 頭をもたげたメロディに中の状況を尋ねた。


「ごめんなさいね。また、女神が夢に出てきたのよ。それでツイね」

 

 頬をわずかに上気させた白アリが、先ほどのマリエル以上に幸せそうな顔をテントから覗かせている。


 女神が?

 今度は何をしにきたんだ?


「女神の用件は何だったんだい? 嬢ちゃん」


 ボギーさんが火の着いていない葉巻を咥え直すと、テントから這い出してきた白アリへ向けて質問を投げかけた。


「ダナンの砦に転移者三名が合流したそうよ」

 

 気持ち悪いくらいに上機嫌で、今にも踊りだしそうな勢いだ。含み笑いまでしている。

 そんな上機嫌の白アリに続いて、俺たち同様に眠そうな顔の黒アリスちゃんと聖女がテントから出てきた。


 気のせいだろうか?

 二人とも、どこか疲れた雰囲気を漂わせている。


「それとね……」


 含み笑いを隠すように、両手を口に持って行きなおも続ける。


「聞きたい?」


 その表情はまるで子ども、いや、悪戯っ子のようだ。実に楽しそうな表情をしている。

 同じテントで寝ていたのに、こいつだけは元気だな。


「こんな時間に起こされたんだ。せめて教えてくれ。それでスッキリしたところで、もう一度、眠りたいんだ」

 

 俺は白アリに覆いかぶさるように上から顔を近づけ、げんなりした調子で話すようにうながした。


「なーんとっ! モンスターテイムのスキルを貰っちゃったのよ」


 テンションが高い。

 合点がいった。それで前回のように嬉しい悲鳴を上げたのか……迷惑な話である。

 

「二つも貰ったんですか?」


「二つ目の特典なんて良くもらえたな」


 ロビンとテリーの驚きの声と羨望の眼差しが白アリに向けられた。


 そうか、俺自身二つ――召喚魔法と神獣を貰っていたから気にならなかったが、普通は気になるよな。

 いや、ロビンなんて何ひとつ貰ってない者からすればおよそ納得のできるものじゃあないだろう。


 テリーにしても、自分の発想のオーソドックスさを後悔していたな。

 それも贅沢な話だ。

 ボギーさんの拳銃ほどじゃあないが、十分にチートな剣じゃないか。

 

「もう一度寝るか?」

 

 これ以上付き合いたくないので、誰ともなしに問いかけてみた。自分でも分かるほどに投げやりな口調である。


「予定よりも二時間弱早いが、準備を始めた方が良いんじゃあネェか? 寝付けないヤツもいるだろう? それとも女神を期待して眠ってみるかい?」

 

 ボギーさんが火の着いていない葉巻を右手でもてあそびながら皆を見渡す。

 被害妄想だろうか? どこか俺たちのことを、からかうような、反応を楽しむような感じがする。


 誰も反対する者はいない。


「いいなー、白姉。私も可愛くて便利な使い魔が欲しい」


 黒アリスちゃんが自身の足元に視線を落とし、ゆるく三つ編みした髪をほどきながらつぶやいた。

 小さな声だ。聞き取れたのは何人いたか。


「黒ちゃん、私も使役魔獣が欲しいの。一緒に捕まえましょうっ! ドラゴンとかフェンリルとか希少なやつが良いわね」


 テンションの低い黒アリスちゃんに話しかけるのはテンションの異常に高い白アリだ。

 目が輝いている。

 何とも対照的な二人だ。


「そうですね、頑張りましょう。私の場合、捕獲じゃなくて殺しちゃっても良いのでその分楽ですよね?」

 

 白アリにつられてか、黒アリちゃんのテンションが若干上がったようだ。

 右の拳を握り締めて見つめている。

 わずかに笑みがこぼれるのが見て取れた。


「さあっ! 準備を始めようか」


 俺の言葉を合図に、全員が一斉に動き出した。


 ◇ 


「メロディ、念のため全員のワイバーンの装具をチェックしてくれ」


 自身のワイバーンのチェックはそれぞれ完了したところで、最終チェックをメロディに頼む。


「はい、畏まりました」


 元気な声が返ってくる。


 まだまだ、ワイバーンにからかわれて泣き出す状態ではあるが、それにも大分なれたようだ。

 何よりも、メロディとティナ、ローザリアに、いつの間にか、操竜術レベル2が備わっていた。

 二人だけじゃない、他のメンバーも操竜術レベル1を取得している。


 何となく、何となくだが、スキル強奪 タイプAで奪った俺は負けたような気がする。


 メロディがワイバーンの装具をチェックしているのを眺めていると、後ろから黒アリスちゃんの声が聞こえてきた。

 自分の乗竜である、白いワイバーンの最終チェックでもしているのか?


「お前、一度死んでみる? 大丈夫、アンデッドとして蘇らせてあげるから」


 何だ?

 後ろで、黒アリスちゃんが恐ろしげな事を、優しい口調で語りかけている。

 恐る恐る振り返ると、こうべを垂れるワイバーンの頭を優しくなでている黒アリスちゃんがいた。


 ワイバーンは賢い魔物だ。しかし、人語を理解する訳ではない。

 黒アリスちゃんの、その優しそうな雰囲気から思いやりのある優しい言葉をかけられていると思っているんだろうな。

 どこか嬉しそうに頭をなでられている。


 何だろう、この切ない気持ちは。ワイバーンに同情をしてしまう。


 ドラゴンを諦めてワイバーンにするのか? 妥協点が低すぎるんじゃないのか?

 いや、まさか、ここでワイバーンをアンデッドにするつもりじゃあないよね?


「まぁ、良いや。そのお話はまた今度ね」

 

 気を取り直したのか、ワイバーンに向かって明るくそう告げると、白く長い髪を揺らし、黒いドレスアーマーの裾を翻して、テントの方へと走って行った。


 そろそろ、空が白み始める頃か。予定よりも一時間ほど早く出発できるな。

 敵の転移者をダナンの砦に釘付けにして、その間にグラム城を落とす。


 使い魔に使役魔獣か。どんなのが良いんだろう。

 後で、ティナとアイリスの娘たちに相談をしてみよう。


 攻略を早めれば、近くで魔獣を狩ることもできるだろう。

 二人の喜ぶ顔を想像し、思わず笑みが漏れてしまう。

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