第58話 契約締結

 馬小屋と倉庫へ目を向けると脱出の準備が順調に進んでいるのが見て取れる。

 聖女とメロディのお陰だと言うよりも、協力を申し出てくれた騎士団員のお陰のようだ。


 空間感知には黒アリスちゃんとテリーが向かってきているのが引っかかる。


 よし。


 白アリとジェロームを伴って皆から少し距離を取ってから話し始めた。


「ジェローム、ありがとう」


「いえ、出過ぎたことをしてすみません」


「言いたくなければ答えなくても良い。パジークと何かあったのか?」


「え? ええ」


 逡巡はあったがすぐに話し始めた。


「お恥ずかしい話ですが、親父があいつにしてやられて破産しちゃったんですよ。領都の商人なら結構知ってることですから……」


 無理に笑っているのが分かる。語尾が消え入るようだ。


「パジークってのはどんなヤツなんだ? 詳しく教えてくれないか――――」


 パジークは領都でもトップクラスの規模の奴隷商で、奴隷商を基盤に多方面に手を広げて拡大したらしい。

 今ではルウェリン伯爵の騎士団への武器や防具、伯爵の城への食料品を納めている。

 また、国内の行商――貿易のようなものもしており、こちらも五本の指に入るほどの規模だそうだ。


 予想通りだが、当然のように黒い噂が絶えないらしい。


「ヤっちゃいましょうよ」


 白アリがさもありなんと言った表情で強硬策の一択を主張する。


「ミチナガさん、脱出の準備が進んでいるようですが、監視兵の方も準備を急ぎましょうか?」


 駆けつけるなり、脱出の準備を確認した黒アリスちゃんが聞いてきた。


 良いタイミングだ。黒アリスちゃんとテリーが合流したところで、不穏分子である五名の対応についての腹案を話し始めた。


「予想していなかったが、不穏分子が出た。これの対処について相談をしたい――――」


 パジークをはじめとする不穏分子が五名発生したこと。

 不穏分子だからと言って、外聞もあれば、今後のこともあるので無闇な対応はできないこと。


 本人が主張する財産は全て返却すること。

 今回の救出作戦の対象からは外すこと。


 救出作戦に同行したい場合は別枠にて有償対応をすること。

 これらのことを四人――俺と白アリ、黒アリスちゃん、テリーで合意の上での決定とした。


「その上で、三人に相談がある。知っていたら教えてくれ――――」


 ◇

 ◆

 ◇


 四人で今後の対応についての相談を終え、聖女と合流をする。

 脱出の準備の指揮をローガン隊長にお願いをし、メロディとティナ、ローザリアをその手伝いに回した。


 さて、俺たち五人は不穏分子五名の対応にかかる。


 宿舎の一室を使って、先ほど四人で話した内容の詳細な説明と個別契約書の取り交わしである。


「では、最初の方どうぞ」


 聖女の優しげな声が白み始めた外の明かりが差す廊下に響く。


 ドアの外――廊下側に聖女が案内係として立ち、ドアの内側――室内側にテリーが立つ。


 最初に入ってきたのはパジークだ。

 おそらく執務室なのだろう、十畳ほどの広さの部屋の中央に大きめの机を配置し、机をはさんでドアとは逆側に俺たち三人が腰を下ろしている。中央に俺、右側に白アリ、左側に黒アリスちゃん。


「時間が惜しい。座ってくれ」


 俺はパジークに机をはさんでドア側に用意した椅子へ座るようにうながす。


 白み始めた明かりが差してきたとは言え、部屋の中はまだ薄暗い。

 お互いの顔が識別でき書類の文字が何とか読める程度である。


 先ほどまで強気だったパジークだが、その薄暗さも手伝ってか、或いは一人になり不安なのか落ち着かない様子だ。


「先ほど、皆の前で簡単に説明をした通り、有償で救出することと、そのための契約書を交わさせてもらう。異存はないな!」


 机上に契約書を乱暴に放り投げながらかなり強い語調で伝えた。


 書類に目を通すにしたがい、パジークの顔色が変わる。書類を持つ手が震えている。


「ふざけるなっ! いくらなんでもこんなバカな金額を払えるものかっ! 人の足下を見るにもほどがあるっ!」


 契約書を机に叩きつけ、怒り心頭と言った風でこちらを睨みつけた。


 金貨一千枚――日本円でおよそ十億円を要求することが書かれている契約書だ、その反応ももっともか。


「パジーク、お前の命の値段だ。お前はそんなに安い人間なのか?」


「屁理屈を言うなっ!」


 からかう様な俺の言い方にさらに頭に血が上ったのか、今にも殴りかからんばかりである。


「じゃ、救出はできないわ。残念だけど置いて行くことになるわね。もちろん、あたしたちの脱出作戦の妨げになる可能性があるので、すぐに後を追うことはできないようにして行くからね」


 白アリが机の上の書類を、バンッ、と叩きながらパジークを睨み返す。


「くっ! 分かった、サインをしよう」


 机の上の書類を手に取り、乱暴にサインをし、何やら喚きながら退室をして行った。


 予定通りだ。

 ここまで上手く行ったのも事前準備をしたことと、金貨一千枚がパジークにとって決して払えない金額設定じゃないからだ。


「借金踏み倒しの話題を皆さんの中に流しておいたのが上手く行きましたね」


「本当、こんな簡単に引っかかるなんてちょっと拍子抜けね」


「それだけ自分に自信があるのと、俺たちを侮ってたってことだろう」


 黒アリスちゃんと白アリの言葉を聞きながら、パジークの出て行ったドアに目を向け、テリーへ次の不穏分子を呼び込むよう合図を出した。


 その後、続く四人もほぼ同様のやり取りをすることとなった。

 一人だけ、盗賊からの救出と認め、財産の放棄を申し出た。

 賢明だ。


「ただいまー」


「どうだった?」


 上機嫌で部屋に飛び込んできたマリエルに、書類を整理する手を止めて、成果を確認する。


「バカだよねー、踏み倒すぞ、って大声で言ってたよ」


 俺たち四人はマリエルの言葉に顔を見合わせ、ほくそ笑む。

 不穏分子処分の第一段階が完了したか。


「じゃあ、こっちの書類は燃やしちゃうわよ」

 言うが早いか、白アリが不要となった書類の束を、一瞬で消炭に変えた。


「では、これは俺が保管しておく」


 サインの入った四通の書類をアイテムボックスへと移す。


「ところで、全員の費用が違うことに、何か言ってませんでしたか?」


「豚親父は得意そうにしてたよ」

 黒アリスちゃんの質問に、豚親父の真似なのだろうか、空中でお腹を突き出す格好でマリエルが答えた。


「不穏分子の話はそれくらいにしよう。そろそろ監視兵が起きる頃だろう」


「そうね、豚親父たちからは後でたっぷりとふんだくってやりましょう」


 真っ先にドアへと向かいながら、もの凄く幸せそうな顔で皆を振り返る。


 俺たちは白アリの笑顔に続いて宿舎へと向かった。


 ◇


 宿舎に戻り、眠らされている監視兵を、黒アリスちゃんの闇魔法で無理やり覚醒させる。

 そして、再び闇魔法で深い眠りに……


 ……繰り返すこと十数回、まだ続いている。


 何をしているんだろう?

 闇魔法の練習とか実験だろうか?


「何をやっているんだ?」


 含み笑いをしながら、闇魔法を行使する黒アリスちゃんに恐る恐る聞いてみた。


「睡眠障害の実験です。闇魔法を使って短時間で睡眠障害を引き起こせれば、今後の尋問で役に立つから、とひいらぎさんにアドバイスをもらいました」


 この痴れ者がぁ。

 俺の黒アリスちゃんに、何てことを教えるんだ。


「今は作戦行動を急ぎたいから、そう言うのは後にしような」


 明後日の方向を向いて無関係を装っている聖女を睨み付けた後で、優しく黒アリスちゃんに語りかける。


 黒アリスちゃんはうなずくと、監視兵全員に覚醒の魔法をかけた。

 

 最初こそ不審者の侵入に驚いたが、すぐに高圧的な態度で誰何すいかしてきたり、嘲笑しながら脅してきたりであった。

 しかし、すぐに何人かが違和感に気付き、それは疑念と不安となり全体へと広がって行く。


「なっ何だっ? これはっ?」


「お前、それ……」


「お前も、首輪が……」


「どう言うことだ?」


 何人かが気付き波及していく。

 この世界の常識なのだろう、自分に装着された首輪の意味が分かっているようだ。

 崩れ落ちるようにして、しゃがみこむ者や頭を抱える者が散見される。

 首輪を引きちぎろうとでも言うのか、首輪を引っ張り、自身の首を絞める者もいた。

 泣き出す者も少なくない。

 何れにしても、自身を襲った突然の不幸への対処としては、お粗末なものだ。


「皆、面白い反応してますね」


「もう少し、慌てふためくかと思いましたが、意外とそうでもないですね」


「いや、十分に慌ててるだろう」


 黒アリスちゃん、聖女、テリーが慌てふためき、絶望している監視兵たちを、面白そうに見ている。

 

「伏せっ! とか言ったら伏せをするかしら?」


「こいつらで遊ぶのは後にしてくれ。さあ、作戦行動を急ごう」


 本当に、伏せとかをさせそうな白アリを制しながら、全員に向けて言う。


 ようやく、行軍開始か。長かったな。

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