第5話 マリエル

 パンツやら何やらを洗ってすっきりしたところで、再びマリエルと対峙した。

 光魔法で部屋に薄っすらと明かりをともす。


 先ほどの怒鳴り声で誰も起きてこなかったのは幸いだった。

 外はまだ暗い。

 腕時計を確認すると午前三時を少し回ったところだ。

 幸いなことに、この世界も地球と同じ自転周期をもっていた。一日二十四時間である。


 水魔法が使えないので外の井戸水を使わせてもらった。もちろん、この時間なので無断、いや、違った。事後承諾を頂く予定だ。

 できるだけ早いうちに水魔法の力を入手しないとならないな。


 水魔法を持っている魔物ってどんなヤツだろう?

 これは、早々に魔物に関する知識の習得も急がないとならないな。それにしても、やることが多すぎる。


「それで、今、言ったことは全て本当なんだな?」


 俺はベッドに腰かけたまま、厳しい口調で念を押す。


「うん、本当だよ。えへへへー」


 こちらの厳しい口調など意に介さず、相変わらずの明るい笑顔で説明を続ける。


「夢の中では自由に夢を作れるの。ミチナガの思い通りの夢が見られるよ。声も感触も現実と変わらないんだよ」


「じゃあ、昨夜の夢でひいらぎちゃんが出てきたのは?」


 マリエルがひいらぎちゃんを知っているわけがない。

 とすると、俺の記憶を覗いた? それは怖いな。それにいろいろと不都合がある。今後の付き合いを考えないとならない。

 或いは、夢の中に入ったのか? サッキュバスみたいだな。


 いろいろと疑問が渦巻くが、疑問や警戒を表情に出さないようにして聞いてみる。


「夢の中に出てきた女の子、ひいらぎちゃん。マリエルは知らないよな?」


「ミチナガの記憶の中にある女の子で一番印象が強い娘を選んだんだよ。それがどんな女の子なのかは私は知らなーい。顔も声も知らないよ。夢の中の女の子は全部ミチナガの記憶が作り出したものだよ。で、ミチナガがその娘に一番したいことをさせてあげたの」


 マリエルには珍しく長い説明の後、クルクルとスピンをしながら俺の周りを回っている。何の歌だか分からないが鼻歌まで歌っている。


「記憶を覗いたり夢の中に入ってきたりして、こう、もっと詳細にいろいろとできないのか?」


「何それ? 記憶を覗くなんてできないよ。それに、夢の中に入るの? 面白ーいっ」


 そう言うと、キャラキャラと空中で仰向けになり、両足をバタつかせお腹を抱えて笑っている。


「そうか、そうだよな。夢の中に入るなんてできないよな」


 どうやら、心配していたことは杞憂きゆうだったようだ。

 愛想笑いをしながらも、肝心なことを確認する。


「念のために確認する。本当に自由になるんだな? 感触も声も全部、現実と変わらないんだよな? 間違いないな?」


「本当よ、信じて。私、ウソ言わないからね」


 今の今までキャラキャラと笑っていたのに、もう涙で目を潤ませている。


「分かった、信じるよ。でも念のため、今夜、俺の言うとおりの夢を見せてくれ」


 なんでもない事のような素振りで俺は本題を切り出した。


「無理」


「何でだよーっ!」


 無常にも即答するマリエルに向かって反射的に叫んでしまった。


「ウワーンッ! 怒ったー」


「いや、ごめん。怒ってないから。本当だよ、怒ってないから」


 泣き声が部屋中に響き、慌ててなだめに掛かる。


 しかし、泣き声が響いた瞬間に扉を振り返るあたり俺も小心者だよな。


「本当? 怒ってない?」


 グスグス言いながら上目遣いでこちらをうかがっている。


「俺が大好きなマリエルのことを怒る訳無いじゃないか」


 ここは今後のこともある。ヘソを曲げられては困る。一世一代の大芝居をうとう。マリエルの上目遣いに少しドキドキして、余計な力が入ったのは内緒だ。


「大好き? 私のこと? 本当? 信じて良いよね?」


 いったい、何を期待しているんだ、お前は? と聞きたくなるくらい、期待に目を輝かせている。


「好きでもない娘と一緒にいる訳が無いだろう。世の中にはそう言う男もいるけどさ、俺は違う。だからマリエルも付いてきたんだろう?」


 自分でも感心する。相手が人間の若い娘じゃないと、こうもスラスラと適当な言葉が出てくるのかと。というか、もしかしたら俺はやれば出来る子なのかもしれない。今、気がついた。


「うんっ! そうだよね。ミチナガは私が選んだんだもんね」


 さっきまで泣いていたのがウソのような満面の笑みで空中をスキップしている。

 ダメンズウォーカーの素質十分なんじゃないか? この娘。

 もしかして、俺は今、可哀想な子を見る目でマリエルのことを見ているかもしれない。


「ところで、どうして今夜は夢を見せてもらえないのかな?」


 優しく、穏やかに、愛情を持って。と心の中で自分に言い聞かせながらマリエルに尋ねる。


「フェアリーの加護は、三日に一回しか使えないの」


 今度は、クルクルと緩やかなスピンをしながら言う。機嫌、直ったのかな?

 何と言うか感情の起伏の激しい娘だ。


 それにしても三日に一回か、微妙だな。三十代なら素直に受け入れられたかも知れない。しかし、今の俺は十八歳だ。正直不満は残る。

 だが、ここは不満じゃなくメリットを享受することを考えよう。


 そう、これは受け取りようによっては、もの凄いものを手に入れたのかもしれない。マリエルさえいればハーレムを手に入れたのも同然じゃないか。


 しかも、相手も人数もシチュエーションも自由自在。

 それこそ、道ですれ違っただけの娘、お姫様、一度、目にさえすれば、自由自在だ。夢の中で思い通りにできる。


 しかも、感触は現実と変わらない。

 まさに妄想ハーレム。

 ……いや、その響きは少し悲しいな。夢想ハーレムと呼ぼう。


「そうか、じゃぁ、三日後に頼むよ。いろいろと要望を考えておくから。さぁ、もう一眠りしたら出かけるぞ」


 俺は内心の期待に満ちた気持ちが表に出ないよう、落ち着き払ってマリエルに告げると、朝までもう一眠りすることにした。


 ◇

 ◆

 ◇

 

 昨夜の店――「アタリ食堂」で朝食を済ませ、予定通り探索者ギルドへと向かう。


 時間は七時を少し過ぎた頃だ。

 予想はしていたが、この町の朝は早いな。道行く人が皆、忙しそうに足早に過ぎ去っていく。


 先ほど、ドワーフとエルフっぽい人たちとすれ違った。

 朝まで飲み明かしたのだろうか?


 ドワーフが二人とエルフが三人、全員アルコールの臭いをさせながら、右に左にとヨロめいたりフラついたりしながら談笑していた。

 ドワーフとエルフって仲が悪いわけじゃないんだな。


 ドワーフとエルフのイメージが一新された瞬間だった。

 それにしても、ドワーフと朝まで飲み明かすエルフってのも凄いな。現代日本人の感覚なんだろうが、つい、そう思ってしまう。


 ドワーフやエルフだけじゃない。獣人と呼ばれる獣のような耳と尻尾をもった人たちも普通に行き来している。

 ゲームの説明文には亜人や獣人差別について記載がなかった。


 しかし、ラノベなどではよくある話なので心配をしていたのだが、特に差別をされているようには見えない。

 少なくとも、ここまで見た限りではどの種族も平等に見える。


 荷馬車も何台も見かけている。どれも大量の物資を積んであった。もちろん、積んであるものはさまざまだ。

 だが、比較的多く見かけたのは食料品と家畜の飼料である。

 食料が豊富かまでを判断するには情報が少ないが、少なくとも食料の流通は盛んなようだ。


「服ー、新しい服ー。ミチナガが買ってくれる服ー」


 俺の周りを空中でステップを踏みながら飛んでいる。

 それにもの凄く嬉しそうにしている。


 服ひとつでそんなに嬉しいものかね?

 まぁ、俺を追いかけて来たとき、自分の荷物を全て巣に置いて来たそうだから、着の身着のままだし着替えができるのは嬉しいのかもな。


「マリエル、探索者ギルドを後回しにして先に服を買いに行こうか」


 喜ぶマリエルの顔を見ていたら口をついて出てしまった。


「本当? 良いの? ワーイ」


 もの凄い勢いで俺の鼻の頭にボディプレスをかましながら抱きついて来た。


「ウワップッ。こら、顔に抱きつくんじゃない、顔に」


 顔からマリエルを引き剥がしながら続ける。


「焦らすのも可哀想だからな」


 喜んでいるのを見ていたら、もっと喜ぶ顔が見たくなった。と言う言葉を飲み込みマリエルをうながす。


「ほら、置いて行くぞ」


「行くー、直ぐ行くー。大好き、ミチナガ、大好きー」


 空中での妙な動きや飛び方も感情表現なのだろうか、ジグザグに飛行しながら後を追いかけて来るのが見えた。


 可愛いことは可愛いんだよな。顔もスタイルも。足りないのは身長くらいなものだもんな。これであと、百二十センチメートル身長が有ったらなぁ。

 そんなことを考えながら服屋へと向かった。


 ◇


 ここか……

 その店は宿屋のある大通りから、二本ほどそれた通りにあった。


 宿屋のおっちゃんに教えてもらった服屋の前で固まってしまった。店の中に入る勇気が無い。

 別に強面こわもてのお兄さんが居るわけじゃ無い。

 店は大きなガラスの窓があり、外から店内が見通せる作りになっていて、店内もとても明るい。ショウウインドウこそ無いが日本の女性向けの服屋のようだ。


 しかし、外から見える限りでも店内は小さな――フェアリーサイズの可愛らしい服が所狭しと並んでいる。

 ファンシーショップってこんな感じなのかな? よく分からないけど。


 女性向けの服屋になど無縁だった俺にとって、この可愛らしい空間はハードルが高すぎる。

 やっぱり、探索者ギルドを先にしようかな……今からでも遅くないよな?

 マリエルの哀しむ顔が脳裏を過るが――今は俺のメンタルを優先しよう。


「マリエル、悪いがやっぱりギルドの登録だけでも先に済ませよう……か?」


 マリエルをどうやってなだめるか、思案しながら振り返る……が居ない。


 え? 居ない? はぐれた?

 慌てて周囲を見回す。目の端に見覚えのあるヒラヒラと舞うものをとらえた。


 マリエルだ。


 居たよ……店の中だ。何でそんなところに居るんだよっ! お前はっ!

 ガラスの向こう――フェアリー専門の服屋で、楽しそうに服を抱えているマリエルに向かって思わず叫びそうになってしまった。


 逃げるか?

 マリエルを置いて? さすがにそれは男としてどうなんだろう? 


 しかし、この中に入る勇気が……

 逃げればハーレムを失う

 いや、違った。マリエルを失う。


 俺は覚悟を決めて、服屋の扉をそっと開けた。

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