第4話 フェアリーの加護

「一週間ほどこの町にいます。もし、お困りのことがあれば訪ねてきてください」


 ドーンさんが相変わらず人の良い笑顔で俺の両手を取りながら心配そうに言う。


「はい、そのときはお願いいたします。頼らせていただきます。今回は助かりました。ありがとうございました」


 ドーンさんに深々とお辞儀をする。


 隊商の皆さんにもお辞儀をしたり手を振ったりしながらお別れの挨拶をする。

 そして、イーノスさんを初めとする護衛の皆さんに改めてお礼を言い、別れを告げた。


 トール町には予定通りに到着をした。

 町は城壁に囲まれており門には衛兵が門番として配置され、町に入る人たちや搬入物資をチェックしている。


 さすがに門を通過するときには緊張をしたが身分証の提示を求められることもなく、すんなりと通過することができた。

 手続きといっても滞在中だけ有効な臨時の身分証の発行とその費用、入町税を支払ったくらいですんだ。


 もちろん、門で発行してもらった身分証は臨時のものなので、一月毎に門か衛兵の詰め所へ更新手続きをしに行かなければならない。

 正式な身分証が必要なら、この町の代官に発行してもらうかギルドで発行してもらう必要がある。


 ギルドは幾つもありどのギルドで発行してもらっても身分証として機能する。

 ギルドから身分証を発行してもらうと、その発行元のギルドに所属している扱いとなる。

 といっても、必要に応じて所属ギルドの変更はできるので然程さほど神経質になることはないようだ。


 皆と別れた俺は異世界情緒のあふれる町を一人でのんびりと見物しながら、イーノスさんに教えてもらった宿屋へと向かう。

 いや、違うな。一人と一匹? 俺の頭の上で伸びをしているフェアリーのマリエルと一緒だ。


「なぁ、マリエル。フェアリーの加護って何なんだ?」


 俺の頭の二十センチメートルくらい上で、楽しそうに奇妙なダンスを踊っているマリエルに聞いてみた。


 フェアリーの加護は女神から貰った鑑定で確認できた。しかし、その内容まで知ることはできなかった。

 謎のスキルだ。

 いや、スキルじゃないのかもしれない。加護ってなっているしな。


「知りたい?」


 両手を後ろに組み身を乗り出すような恰好で俺の顔を覗き込んでいる。


「知りたい」


「秘密、えへへへー」


 俺の返事に納得がいったのか「クスクス」と笑ったかと思ったら、俺の目の前をユラユラと奇妙な動きをしている。

 もの凄く嬉しそうにしているマリエルを見ていると、強引に教えろとも言えずに諦めた。


「じゃ、気が向いたら教えてくれよ」


「うん、気が向いたらね」


 そう言うと俺の右肩の上に着地をしてそのまま腰かけた。


 やはり、フェアリーを個人所有しているのは珍しいのだろうか? ときどき、道行く人が振り返っている。


「なぁ、フェアリーを個人で所有しているって珍しいのか?」


「分かんない。私、世間知らずだもん」


「そうか」


 マリエルからフェアリーに関する一般人の見解や常識と言うものを引き出すのは諦めよう。


 まぁ、良いや。常識を含めていろいろと集めなきゃならないものは多いんだ。のんびり行くさ。

 それよりも宿と風呂だ。


 白狼の牙、ここか。イーノスさんに教えてもらった宿屋だ。

 この世界の宿屋の平均がどんなものか分からないが、イーノスさんの話ではこの町の中でも平均以上の宿屋で欠点は飯が不味いことだそうだ。


 正直、食事が不味いってのは考えものだったが、食事は外で美味いところを探すのも一興だと割り切ることにした。

 外観は同じ並びにある他の宿屋や食事処と大差はないな。


「泊まりたいんですが部屋は空いていますか?」


 扉を開けて入るなりカウンターにいる四十代半ばのおっちゃんに向かって用件を伝える。


「空いていますよ。一泊銅貨四十枚、朝食と夕食付きで銅貨五十枚です。料金は先払いです。長期滞在なら割引も相談にのりますよ」


 予想以上に丁寧な対応だ。


 女神が初期装備としてくれたお金は金貨一枚と銀貨百枚だ。うん、宿に引きこもっていれば一年間暮らせるが普通に生活していたら一年間は持たないな。

 どうやら女神の考えていた生活水準は随分と低いようだ。

 自分の手持ちのお金を考えると、あまりのんびりもしていられないことが分かった。


「滞在は取り敢えず一週間お願いします。それと、フェアリーが一緒なんですが料金は追加ですか? あと、風呂を使いたいんですが料金と利用方法をお願いします」


 後々問題になっても嫌なのでフェアリーのことを先に告げ、風呂の利用を確認する。


「食事をするならその分追加料金ですが、寝泊まりするだけなら追加は不要です。風呂は別料金で一回銅貨十枚です。十七時から二十時の間だけですので気をつけてください」


 宿帳だろうか? 帳面を取り出しながら愛想よく説明してくれた。


「では、今夜から食事なしで一週間の宿泊をお願いします。それと今夜、風呂を使いたいのでその分も払っておきます」


 そう言いながら、銀貨三枚を渡した。


 おっちゃんは、少し驚いた顔をしながらも銅貨十枚を渡し、宿帳を俺の方へ差し出した。

 文字の読み書きが出来るのは既に確認済みだ。戸惑うことなく宿帳へ名前を記入する。


「では、こちらへどうぞ」


 現代日本の対面キッチンのような構造のカウンターを回り込んで、客側のフロアーへと出てきた。手には鍵とA4サイズの木の板を持っている。


 カウンターの天板の一部を跳ね上げたり、カウンターの一部が扉になっていたりはしない。

 もの凄くシンプルな造りのカウンターだ。


 金額を抑えるためなのか、そもそもそういう発想がないのか。

 後で聞いてみよう。


 馬車の中での会話で分かったが、現代日本で普通に利用されている知識や仕組みをこちらの人たちは知らない。

 当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、俺自身そのことに驚きがあったのと知識がそのままお金になりそうに思えた。


 転生者は百名いる。


 俺がやらなくても、誰かがやる。なら、早い者勝ちである。いや、知識を拡散させてお金に変えた者勝ちか。

 いずれにしても、知識の出し惜しみは何の得にもならなさそうだ。


 そんなことを考え、貪欲に周囲を観察しながらおっちゃんに付いて階段を上る。

 二階か、風呂は一階と言っていたから少し面倒だな。


「どうぞ、二百七号室です。こちらが鍵です。外出されるときはフロントにいる、従業員の誰かに鍵を預けてください。それと注意事項はこちらに書いてあるので、後で目を通しておいてください」


 おっちゃんは右手に持った鍵を軽く持ち上げ、A4サイズの木の板の上に置くとそれを差し出した。


 お礼を言いながら木の板と鍵を受け取り室内を見渡した。

 案内された部屋は八畳ほどの広さでベッドと椅子が一つずつ、それとクローゼットが一つあるだけのシンプルなものだ。

 窓はガラスではなく木の窓だ。部屋が全体的に暗い。これがこの世界の標準的な部屋なのか。快適とは言いがたいな。


「ありがとうございます。では少ししたら外出するので、よろしくお願いします」


 内心の落胆を表に出さないように、笑顔でお礼を言い部屋に入った。


 ◇


「ふぁー、疲れた。外に行くって何しに行くの?」


 頭上でマリエルが大きく伸びをしながら聞いてきた。


「うん? 町の様子を見ながら食事をするところを探そうと思ったんだ」


 渡された、注意事項が書いてある木の板に目を通しながら答える。


「私も一緒? ねぇ、一緒でしょう? 一緒だよね?」


「当たり前だろう。置いていったりしないから安心して良いよ」


 泣きそうな顔で懇願してくるマリエル、憐憫れんびんを感じながらも、安心させるように優しく伝えた。


「ありがとう。えへへへー」


 嬉しそうに空中で踊っている。


 あの笑顔だ。可愛いことは可愛いんだよな。

 俺の周りを飛び回るマリエルを適当に相手をしながら、荷物をクローゼットへしまった。


 ◇

 

 宿を出て通り沿いにある建物を観察し、道行く人たちへそれとなく視線を投げかける。

 時間は午後六時になろうといったところか。


 季節的なものなのか外はまだ明るい。

 人通りも多く活気が感じられる。夕食の食材の買い出しだろうか、若い女性がひとりで歩く姿もある。少なくともこの通りの治安は良さそうだ。


「少し、歩いてみるか」


「はーい」


 俺はマリエルを伴って、夕食を摂る店を探しながら町を少し見物することにした。

 通りは広く――馬車が四台くらいなら並んで走れそうな道幅だ。先ほど、魚屋の店主に聞いた話では、一応、大通りの部類に入るらしい。


 通りの両側に並ぶ店もさまざまだ。

 生活に密着した食品、雑貨、衣類に混じって、武器や防具、妖しげなアイテムを陳列している店もある。

 食事を出す店も多い。もっともその大半は酒場を兼ねていた。


 あれか。結構大きな建物だな。それに併設された広場に馬車が何台も止まっている。

 町見学の目的のひとつである探索者ギルドの場所を確認する。


 宿屋のおっちゃんの説明によれば、探索者ギルドは一方を大通り、他の三方を併設の広場に囲まれている。

 ここから見える左右の広場は、それぞれサッカーグラウンド並みの広さがある。

 ここからは見えないが、裏には訓練場があるのか。


「ミチナガー、お腹すいたよー」


 マリエルが俺の目の前でお腹を押さえて空腹をアピールしている。

 仕方がない、少し早いが食事にするか。


「何か食べたいものとかあるか?」


「野菜、新鮮な野菜が食べたい」


 マリエルが、俺の質問にもの凄い勢いで回答する。


「分かった、分かった。野菜だな」


 身を乗り出すようにしているマリエルの頭を軽くなでる。

 旅の間もそうだったが、フェアリー、――いや、マリエルは雑食なのだが野菜や果物が好きなようだ。本人は野菜と言って果物も食べていた。


 ◇


 割と賑やかそうな酒場と一緒になった食事処へ入ってみる。と言っても宿屋の二軒隣の食堂だ。結局ここまで戻ってきてしまった。しかし、これで当たりなら近くて良い。


 店に入ると光の魔道具がいくつも設置されているのが目に付いた。

 さすがに宿屋とは違うな。

 

「今の時間から食事できますか? それとフェアリーも一緒でかまいませんか?」


 一応、確認の意味も含めて店に入るとすぐさま店員さんに聞いてみる。


「はい、食事も大丈夫ですし、フェアリーの同席も大丈夫です」

 

 若い女性の店員さんはマリエルを見ると、一瞬、こわばった表情をしたが即座に笑顔にもどり、問題の無いことを教えてくれた。


「助かります。今日のお勧めとかってありますか? それと、こいつに野菜を少しお願いします」


 別にお勧めが食べたい訳じゃないのだが、そう言う文化、風習があるのかも確認しておきたかった。


「はい、今日は焼き魚定食がお勧めです。一食、銅貨五枚です。魚は今朝、川で獲れたばかりのダダンですよ」


「じゃ、それを一人前と生野菜を少しお願いします。あとエールがあればそれも」


 ダダンと言う川魚は知らないが、旅の途中も川で変な魚は目撃してないし普通に売っているんだ、大丈夫だろうとの判断で焼き魚定食を頼む。


 猫じゃらしの要領で麻のひもでマリエルをじゃらしていると程なく食事が届いた。

 生野菜は適当な大きさに切られ皿に盛り付けられている。少し多いかとも思ったが、皿ごとマリエルの方へと押しやる。

 すると、早速野菜をかじり出した。毎度のことだが何の味付けもしていないただの生野菜だ。


 さて、ダダンだが、スズキのようというかブラックバスのような外見の魚だ。このダダンと少しの野菜に、ふかした芋とナンのように薄いパンが出てきた。

 焼き魚とパンの組み合わせに躊躇ちゅうちょしながらも口にした。


 うまいっ!

 ダダン、美味いじゃないか。

 明日からは面倒なときは全て食事をここですまそう。


「マリエル、明日は服を買いに行こうと思うんだ。そのときにマリエルの服もあれば買いたいんだが、どうだ?」


 夢中で野菜をかじっているマリエルに聞いてみる。


「え? 服、買ってくれるの? わーい。嬉しいな」


 小松菜のような葉野菜を抱えて、空中を飛び跳ねている。器用なものだ。


「合う服があればだぞ。それと、ギルドによって登録を済ませてからな」


 はしゃぐマリエルを見ていると、少し幸せな気分になれる。


 ◇


 食事を終えるとそのまま宿へと戻った。

 旅の疲れもあったのかベッドへ倒れこむなり睡魔に襲われる。

 ベッドの中で、風呂に入るのを忘れたことに気付きながらも、睡魔には逆らえずそのまま眠ってしまった。


 ◇


「なっ!」


 短い声を上げ、ベッドから半身を起こすようにして目が覚めた。

 何だったんだ今のは? 心臓の鼓動が早い。自分でもかなり興奮していたのが分かる。今見ていた夢を思い出す。不思議と克明に思い出せる。


 ひいらぎちゃんだった。生々しい感触が残っているようだ。

 右手を見ながら思い出す。あの魅力的なツルペタの胸に手を伸ばして、触れていた。


 その後に続くことも思い出す。いろいろと……いろいろと……

 最後はたっぷりと味見をした後、美味しく頂いていた。

 感触や声が鮮明に蘇る。

 何だったんだあの夢は?


 時間が気になり窓へ視線を移す。窓の隙間から陽が射している。もう、朝なのか。

 起きるか。ベッドから出ようと身体を動かした途端、動きが止まる。


 何だ?

 あれ? しまった。やっちまったか? これは、下着が汚れている。あの夢のせいか。

 まいったな、水魔法使えないのに。


「おはよう。どうだった?」


 軽く落ち込みながらも夢を思い出して、幸せな気分に浸りながら下着を替えているとマリエルが頭上から話しかけてきた。


「うわっ、何だ? 着替えているんだから覗くんじゃない」


 慌てて、拭いていたタオルで前を隠しながらマリエルをしかったが、意に介さず俺の腰の周りを一周すると脱ぎ捨てたパンツの方へ飛んでいった。

 不味い、あんなものを知られたら繊細な俺の神経はどうにかなっちまう。


「こら、それはダメだ」


 自分でも感心するような素早い動きで、マリエルを追い越してパンツを死守する。


「えへへへー」


 またあの無邪気な笑みを見せながら、俺の周りをくるくると回っている。今度は顔の高さだ。


「今朝はいろいろあっていそがしいんだ。相手している時間は無い。用事が済むまで少し大人しくしていてくれないか?」


 ばれている? ばれてないよな? いや、ばれているかもしれない。そもそもフェアリーは人間のことどの程度分かっているんだ? 疑問は渦巻くが平静を装い、冷静な口調とで伝えた。


「成功だーっ、うれしいなっ」


「何が成功したんだ? 凄く嬉しそうだけど」


 空中でピョンピョンと飛び跳ねて喜ぶマリエルに疑問を投げかけた。


「フェアリーの加護よ。気持ちの良い夢がみられたでしょう」


 無邪気にほほ笑みながら俺が握り締めている汚れたパンツを指差した。


 フェアリーの加護? 気持ちの良い夢? 汚れたパンツ……その笑顔……理解した。


「お前の仕業かーっ!」


 次の瞬間、全てを理解した俺はマリエルを怒鳴りつけていた。

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