Ⅹ 友拐の結末(1)
「――はあ……今日は久しぶりにほんと楽しかったですわ」
「わたくしもです。このお茶会を開けたことを神に感謝しなくてはいけませんわね」
昼食をとった後も、イサベリーナとフォンテーヌの二人はおしゃべりをしたり、船縁から糸を垂らして釣りをしたり、はたまたルシアンの
「でも、そろそろ夕方ですし、お父さまも煩いですからお家に帰らないと……」
だが、楽しい時間というものはあっという間に過ぎてしまう……西日が傾き始めたのを見て、残念そうにイサベリーナはそう口にした。
「………………」
その言葉を耳にすると、不意にフォンテーヌは現実の自分が置かれた立場を否応なしに思い出す。
自分は海賊メジュッカ一家の頭領……そして、このお茶会は総督令嬢イサベリーナを誘拐するための方便であったのだと……。
フォンテーヌが修正を加えた計画でも、この後、身代金の受け渡しが済むまでは、丁重にイサベリーナをおもてなししつつも、この船で軟禁状態にすることとなっていた。
だが、今日一日彼女と一緒に過ごし、友情を育んだフォンテーヌの心には再び揺らぎが生じている。
サキュマル達のわたくしやメジュッカ一家を思う気持ちは痛いほどよくわかります……ですが、やはり大切な友人を裏切ることなど、わたくしには到底できませんわ!
「……フォンテーヌさん? どうかなさいましたの?」
いつにない深刻な表情を浮かべて黙りこくるフォンテーヌに、心配そうな面持ちでイサベリーナが尋ねる。
「い、いえ、なんでもありませんわ。わかりました。サキュマル…いいえ、父に港へ戻るよう頼んでまいりますわね」
そんな裏切り者の自分をなおも心配してくれるイサベリーナの姿を見て、ついにフォンテーヌは覚悟を決めると、そう断りを入れてから船首楼の方へと向かった。
「サキュマル! 船を港へお戻しなさい。イサベリーナさまをお帰しいたします」
ガレオンよりも大きなキャラックの船首楼内に設けられた一室へ入るなり、そこで密かに待機していたサキュマルの顔を真っ直ぐに見据え、険しい表情のフォンテーヌは凛とした態度で彼にそう命じる。
「ええっ!? 何をおっしゃるんです。それではこの誘拐計画が…」
「いいえ! わたくしはもう決めました。この計画は中止にいたします。早々にイサベリーナさまを…それにお付きの方々も無事にお家へ送り届けるのです!」
当然、慌てて聞き返すサキュマルだったが、彼が言い終わらない内にもフォンテーヌはその口を封じ、自身のその判断を改めて申し付ける。
「ちょ、ちょっと待ってくだせえ! 何を今さら……それじゃあ、メジュッカ一家はどうなるんです? 身代金が手に入らなけりゃあ一家の存続に関わるんですぜ!?」
「そんなことは百も承知ですわ! ですが、大切なお友達を裏切るくらいなら、メジュッカ一家など滅んだ方がまだましです! わたくしは、この命に代えてでもイサベリーナさんとの友情を守り通しますわ!」
無論、そんな話は承服しかね、当惑しながらも反論するサキュマルであったが、フォンテーヌの方もいつになく声を荒げ、どんなに反対されようとも一歩も退こうとはしない。
「もしも聞き入れてもらえないのならば、わたくしはこの場で海に身を投げて、この仁義にもとる非道の罪を償います! お金がないというのであれば、あなたが密かにやっていた魔導書の密輸もこれからは認めます。なんなら、わたくしも一家の主として、その事業を率先して行ってもかまいません! だからお願いです。わたくしにお友達を裏切るような非道な行いだけは、どうかさせないでくださいませんこと!?」
「お嬢さま……」
ここまできて、そんな方針転換はまさに今さらであるし、そのような甘い考えは海賊の頭として完全に失格である……だが、その仁義を何よりも重んじる彼女の言動を前に、サキュマルは今は亡き先代ルシアンの姿をはからずも思い出していた。
「ハァ……それじゃあ今までの苦労が全部水の泡ですが、それでこそフォンテーヌお嬢さまってもんでさあ……わかりやした。言う通りイサベリーナ嬢は送り届けやしょう」
「サキュマル……」
彼女の熱意に絆され、命令に従うことにしたサキュマルにフォンテーヌは表情を綻ばせる。
「ただし、先代から託されたメジュッカの名を途絶えさせる訳にもいきやせん。魔導書の密輸の件、約束でございやすからね」
「はい。承知いたしましたわ」
やれやれという様子で頭を掻きながら、そう言って交換条件を口にするサキュマルに、フォンテーヌは満面の笑みを浮かべて大きく頷いた――。
その後、サキュマルらの操るキャラック船により、イサベリーナはサント・ミゲルの港に無事、送り届けられた。
「――今日は本当に楽しかったですわ。また一緒に遊びましょう? そうだ! 今度はわたくしの方でお茶会を開きますから、ぜひぜひいらしてくださいませんこと?」
「はい。ぜひともお伺いさせていただきますわ」
桟橋に呼びつけた辻馬車の前で、イサベリーナとフォンテーヌは名残惜しそうに別れの挨拶を交わす……もともとは誘拐のための方便に過ぎなかったのであるが、最早、今の二人は完全に無二の親友である。
「どうやらパーリーは終わりのようだ。楽しんでいただけたかな? セニョーラ達」
「もう帰るんですの? なんならお泊りしてもよろしかったのに……」
「そうですわ。メンズ達にお持ち帰りしてもらいたいですわ」
また、その傍らではジョナタン達パリピな海賊を前にして、メイドのマリアーとジョーヌが文句をタラタラ流している。
ジョナタンのキャラベル船もサキュマルの連絡を受け、キャラックの後について帰って来たのだ。
「お兄さん達、またいらしてぇ〜」
「今度はもっと楽しいこと一緒にしましょう?」
「デヘヘヘヘ、もう君らなしでは生きていけないよ、セニョーラ」
「よかったら連絡先を教えてくれよぉ~」
イサベリーナの護衛について来たはずの衛兵二人も、へべれけに酔っ払って顔中にキスマークをつけると、飲み屋のお姉ちゃんみたいなことを言う女性達に骨抜きにされてしまっている。
「それでは、また近い内に
「はい。またその内に
名残惜しげに改めてお互い別れを告げると、イサベリーナは酔っ払いの従者達を引き連れて、雇った辻馬車で街の方へと帰ってゆく。
「イサベリーナさまぁ〜! 絶対また一緒に遊びましょお〜!」
去り行くその辻馬車に、フォンテーヌは大きく手を振りながら、なんとも穏やかな笑みを湛えてそう叫んだ。
「よろしかったのですか? これで」
そんなフォンテーヌの姿を背後で見守りながら、そっとマユリィがとなりのサキュマルにそう尋ねる。
「なあに、かまやしねえさ。これがフォンテーヌお嬢さまのメジュッカ一家ってもんだろう。それに、総督令嬢とじっこんになりゃあ、表の運送業にも参入のチャンスがありそうだしな……て、これじゃあ、ますます海賊というより海運業者だな」
マユリィのその問いに、誘拐計画は失敗に終わったもののどこか満足げにそう答えると、サキュマルは人相の悪いその顔に奇妙な苦笑いを作ってみせた――。
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