Ⅸ 戯れの銃撃

「――狩りは獣がかわいそうで好きになれませんけれど、射撃はなかなかおもしろいんですのよ……あ! あそこにちょうどいい樽が落ちてますわね。あれを的にいたしましょう……」


 そうして甲板へ戻ったフォンテーヌは慣れた手つきで火薬と弾丸を銃口から込め、イサベリーナともども船縁に近寄ると、遠く砂浜に転がる古いワイン樽の影をその碧い眼に捉える。


「では、いきますわよお……」


 射撃準備を整えたフォンテーヌはとなりで見守るイサベリーナにそう告げ、砂浜の樽に照準を定めてマスケット銃を構えた。


 まさかそのワイン樽の中に、イサベリーナを捜す探偵が身を潜めていようなどとは知らずに……。




「――お! 誰か出てきやがった……ああ、あれはまさにあのおてんばなお嬢さまだぜ」


 探偵カナールがこの砂浜へたどり着き、樽の影に隠れたのはちょうどそれよりわずか前のことだった。


 樽の背後から望遠鏡で船の上を覗っていた彼は、甲板に現れた見憶えのある黄色のドレス姿に、それがお目当てのイサベリーナであると確認する。


「もう一人は誰だ? あれも誘拐されたどっかのご令嬢か?」


 だが、見知らぬフォンテーヌの方に関しては、その服装から彼女の正体を完全に見誤る。よもや、水色のドレスを着たお嬢さまが海賊達の頭目などとは思いもしないだろう。


「誘拐されたにしちゃあ、なんだか自由にされすぎだが、とりあえずご無事で何よりだぜ……だが、こんな警備薄きゃあ、俺だけでも救出できそうだな……そうなりゃあ、身代金の額から考えても俺の取り分はそれこそ……」


 イサベリーナの居所とその身の安全を確認し、これで彼の依頼された仕事は万事完了なのであるが、望遠鏡から覗く船の上の状況に、思わずカナールの頭にはそんな皮算用が浮かんでしまう。


「こいつぁ一攫千金のチャンスだぜ……よし。ちょうどおあつらえ向きの隠れ蓑もあるし、この樽に隠れてあの船に近づけば……」


 思い立ったが吉日。急いで望遠鏡を懐にしまうと、ちょうど身を隠して近づくのに都合の良いその樽を被り、独断での救出作戦を実行に移そうとしたまさにその時。


 バキュゥゥゥーン…! という耳障りな炸裂音が聞こえたかと思うと、頭からすっぽり被っていた樽の胴体に突然、まん丸い穴が開き、何か熱いものがこめかみをかすめて高速で背後に飛び去ってゆく……。


 幸運にも着弾は免れたようだが、樽に開いた丸い穴と、こめかみの毛を焦がした高熱の飛翔物体に、自分が銃で狙い撃ちされたことは火を見るより明らかである。


「き、気づいてやがったか! 意外と感の鋭え野郎どもだぜ……ここは欲を出さねえ方が身のためだな……」


 まさか、その銃を放ったのが水色のドレスを着たお嬢さまだとは想像もつかず、誘拐犯達に気づかれたと誤解したカナールは、被った樽を盾代りに這々ほうほうていでその場を逃げ出した――。




「――ふぅ……快感ですわ」


「すごい! 命中しましたわ! あんな遠くの的なのに……ほんとに猟師も顔負けですわ!」


 一方、帰ってキャラック船の甲板上では、命中して揺れる樽を遠目に眺め、フォンテーヌの銃の腕前にイサベリーナが感動していた。


「そんな大したことありませんわ。慣れればこれくらいのこと誰でもできましてよ。そうだ! イサベリーナさまも試しに撃ってみませんこと?」


 興奮気味にはしゃぐイサベリーナを見て、頬を赤らめたフォンテーヌは照れ隠しにそんな提案を彼女にしてみせる。


「ええっ!? む、無理ですわ! わたくし、銃を撃ったことなんてありませんもの!」


「大丈夫ですわ。わたくしが教えてさしあげますから。今、準備をいたしますので少々お待ちになってくださいね」


 思わぬその勧めに手をひらひらと振って辞退するイサベリーナだったが、フォンテーヌは笑顔でそう諭すと、早々にまた火薬と弾をマスケット銃に込め始めた。


「さ、しっかり銃を握ったら脇をしめて、銃床を頬に当てて狙いをつけるんですわ」


 再装填を終えると、自信なさげなイサベリーナにマスケット銃を握らせ、自身もその手をとって再びワイン樽に照準を定めようとする。


「狙いをつけるって、どこに狙いをつければいいんですの?」


「もちろんさっきのあの樽ですわ……あら? 樽はどこへ行きましたの?」


 だが、イサベリーナの言葉に砂浜を見ると、なぜか先程まであった樽がどこにも見当たらない。


「おかしなこともあるものですわ。確かにさっきまであそこにあったのに……」


「足が生えて歩いていくなんてこともないでしょうし、波にでもさらわれたのかしらね?」


 まさか、本当にその足が生えて・・・・・逃げて行ったとは知る由もなく、二人は小首を傾げながら不思議そうに見つめあった。


「お嬢さま、昼食のご用意ができました。本日のメニューは、近海の海の幸を使ったパエリアとブイヤベースでございます」


 そんなところへ、船の厨房に行っていたマユリィが再びやって来てそう告げる。そういえば、いつの間にやらもうそんな時間である。


「エルドラニアとフランクルの料理の取り合わせとは、まさにわたくし達のお茶会にぴったりですわね」


「いたみいります」


 そのメニューにマユリィの趣向を汲み取り、イサベリーナは彼女の計らいをまたも賞賛する。


「では、お昼にいたしましょうか。でも、弾を込めてしまったので、せっかくですし撃ってみましょう? 的はどこでもよろしいですわよ」


「あ、はい。それではせっかくですし……う、撃ちますわよ…キャっ!」


 フォンテーヌの勧めに、浜辺に狙いをつけたイサベリーナが見よう見真似で引鉄を引くと、パーン…! と大きな音を立てたマスケット銃はその衝撃に銃身を大きく揺らす。発射された弾はどうやら明後日の方向に飛んで行ったらしい……。


「大丈夫ですか!? フォンテーヌさま!?」


「え、ええ……少々驚きましたけど、これは確かに快感ですわね」


 短い悲鳴をあげるイサベリーナに慌ててフォンテーヌは尋ねるが、銃口から白い煙をたなびかせるマスケット銃をその手に握り、おてんばな総督令嬢は感動した様子で愉しげに笑顔を見せた――。




 ところで、明後日の方向へと飛んで行ったその弾はというと……。


「――ひぃ……ま、またかすめやがった……あの距離で狙い撃つたあ、いったいどんな銃の達人が向こうにゃいんだよ……ダメだ。こりゃあ、艦隊でも連れて来なけりゃ敵う相手じゃねえぜ……」


 偶然にもカナールが背後に逃げ込んだ岩の頭に当たり、さらなる誤解を彼に与えるのであった。



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