Ⅵ 困った時のあの男 (1)

 イサベリーナがお茶会の会場であるメジュッカ一家の海賊船に乗せられ、彼女のメイドであるマリアーとジョーヌ、さらに護衛の衛兵までもがジョナタンのキャラベル船にまんまと誘い込まれたその頃、サント・ミゲル総督府には一通の手紙が届いていた。


「――た、大変です! お、お嬢さまが!」


「なんだ、ノックもなしに騒々しい」


 転がるように部屋へ飛び込んで来た若いが優秀な部下の役人モルディオ・スカリーノに、自身の席で執務に当たっていたクルロスは渋い顔を作る。


「お、お嬢さまが…イサベリーナお嬢さまが誘拐されたらしく!」


 だが、血相を変えたモルディオはそれも無視すると、普段の冷静な彼からは想像もつかないような狼狽ぶりで、一枚の羊皮紙を総督に差し出す。


「なんだと!? そんなバカなことがあるか! 今、イサベリーナはメジロ殿の屋敷でお茶会に呼ばれているはずだ……」


 驚きの声をあげるも、訝しげな表情を浮かべながらクルロスはその手紙を受け取り、紙面に書かれた文字の列を細めた目で追う。


 すると、その褐色の毛羽だった紙の上には、次のような文面が記されていた……。




 親愛なるドン・クルロス・デ・オバンデス総督様


 現在、我々はあなたの大切な愛娘、イサベリーナ嬢の身柄を預かっております。


 なるべく失礼のないよう、心よりのおもてなしをするつもりではおりますが、何分、金銭が物を言うこの世の中、事と次第によってはお嬢さまの身の安全を保証することができなくなってしまいます。


 つきましては、エルドラニア銀貨でいっぱいに満たしたワイン樽を1ダース、明日の朝までにご用意いただけますよう、よろしくお願いいたします。


 お嬢さまとの交換方法は追ってまたご連絡いたします。


 イサベリーナお嬢さまの身を案じる者より


 追伸:


 なお、けして衛兵や軍にお嬢さまを捜させることのないよう、ご注意ください。


 その姿を見かけた場合、お嬢さまの身にどんな災いが降りかかるかはわかりかねます。


 我々としても、うら若きお嬢さまの命を散らすことは本意ではありません。何卒なにとぞよしなに。




「………………」


 読み終えると、クルロスは表情を硬く強張らせ、呆然とその場で固まってしまう。


 傍らでそれを見守るモルディオも、そのハンサムな顔からはすっかり血の気が失せ、いつもはバッチリ決めている茶色の髪も今はボサボサに乱れてしまっている。


「……いったいどういうことだ? イサベリーナはお茶会に行っているのではないのか? ……この手紙はどうした? どこから届いたものだ!?」


 それでも我に返ると、次第に湧いてきたその疑問にクルロスはモルディオを問い質す。


「……あ、はい! 受け取った者の話では、浮浪児が頼まれたと言って持って来たらしく……渡してすぐに立ち去ってしまったので、どのような者に頼まれたかまではわかりません」


 一拍遅れ、気を取り直したモルディオも慌てて上司の問いにそう答える。


「うーむ……メジロ殿のお屋敷は山の手の新興住宅地だったな? 場所はわかるか?」


「いえ、詳細な場所までは把握しておりませんが、直ちにお嬢さまがご無事でいるか確認いたします。ただの悪戯である可能性もありますからね…」


「あ、待て! 念のために衛兵は使うな。情報が漏れぬよう、おまえ自身が行け。衛兵や軍兵の姿を見かけたら、イサベリーナの身に危険が及ぶとここには書かれておる」


 さらなる質問にも即座に答え、優秀にもその真意までを悟ると、早々、執務室から出て行こうと踵を返すモルディオだったが、クルロスはその背中を呼び止めてそんな懸念を口にする。


「了解いたしました。ただの悪戯ならばよいのですが……」


 クルロスの注意に改めてモルディオは頷くと、半信半疑のままで山の手の住宅街へ向けて駆けて行った……。




 だが、それよりしばらく後のこと、落ち着きなく執務室内を歩き回りながら待っていたクルロスのもとへ、よりいっそう青褪めた顔になってモルディオが帰ってくる。


「――どうだった!?」


「そ、それが、山の手にメジロという人物の所有する屋敷は一件もありませんでした。そこで、山の手の開発を行っている住宅業者も訪ねてみたのですが、やはりそのような顧客は聞いたことがないと……」


 彼の顔を見るなり飛びつくようにしてクルロスが尋ねると、モルディオは自らも混乱している様子でそう答える。


「だが、確かに今朝、イサベリーナはメジロ家の馬車が迎えに来て出て行ったのだぞ? それにメイドと護衛の衛兵もついているはずだ! 何がいったいどうなっている……」


 思いもしなかったその話に、まるで狐にでも抓まれたような顔をして、クルロスはまたしても呆然と立ち尽くしてしまう。


「と、ともかくも、イサベリーナを捜さなくては……しかし、衛兵を使ってはあの子の身に危険が及ぶやもしれぬし……」


「そうだ! あの男を使いましょう! ほら、前に魔物が出るというホテルの一件で使ってみた探偵デテクティヴェとかいう職業の男です。彼ならば衛兵ではないし、犯人に見られても気づかれることはないでしょう」


 何がなんだか訳がわからぬが、とりあえず娘の身の安全を確かめようと考えるクルロスに、モルディオは妙案を思いついたというような調子でそう答えた。


「ああ、そういえば、そのような輩がいたような……連絡はすぐ取れるのか?」


「前に目抜き通りでチラシを配っている姿を目撃したので、おそらくその辺に行けばすぐに捕まるものかと」


 モルディオのその案にはクルロスも乗ってきて、二人は実行に向けてすぐさまその話を詰める。


「よし、では呼んできてくれ。それから、もしも誘拐が本当だった時のために、言う通り身代金も用意しておかなくては……だが、イサベリーナの命がかかっておる。くれぐれも他の者には漏れぬようにな!」


「かしこまりました。では、直ちに……」


 そして、クルロスの指示に急いでお辞儀を返すと、モルディオは忙しなく再び執務室を出て行った――。

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