Ⅳ ご令嬢の訪問

 それから一月ほど後のこと。準備万端整えたフォンテーヌとサキュマルの姿は、サント・ミゲル総督府内の総督執務室にあった……。


「――ほう。フランドレーンからご商売でこちらへ。それはどうもお初にお目にかかります」


 二人の前には黒光りする大きな執務用の机を挟み、金糸の刺繍や切り込み装飾の施された山吹色のプールポワン(※上着)に、首には蛇腹状の大きな襞襟ひだえりを着けた黒い巻き髪のいかにもなエルドラニア貴族――このほど、新たに総督として着任したクルロス・デ・オバンデスがいる。


 また、フォンテーヌはいつも通りの淡い水色のドレス姿という安定のご令嬢っぷりだが、今日はサキュマルも紺のジュストコール(※ジャケット)に白いジャボ(※首に巻くひだひだ・・・・の胸飾り)を着け、髪もオールバックに撫でつけるという、どうにも着こなせていない上品な装いである。


 今、二人は〝詐欺師〟――ジョシュア・ホークヤードの立てた計画通り、フランクル王国に隣接するエルドニア領・フランドレーン地方から来た貿易商親子という触れ込みでこの総督府を訪れている。


 おとなりトリニティーガー島に住む海賊だと名乗れないのはもちろんのこと、出身もそうして偽っているのは、二人のルーツであるフランクル王国がエルドラニアとは犬猿の仲の敵国だからである。


 〝フランドレーン〟はその地政学上、両国がその勢力圏に取り込むべくずっと争ってきた歴史があり、長きに渡りフランクルの影響も多分に受けているため、文化や人種が近いのでなんとか誤魔化せるだろう……というジョシュア浅知恵だ。


「これからは新天地の時代。我らメジュッカ…もとい、メジロ家でもこのエルドラーニャ島に拠点を置いて商いをしてえと…い、いえ、したいと思いまして……」


 総督の言葉に、おのぼりさんのような格好のサキュマルは嘘の設定と慣れない言葉遣いに苦慮しながらも、懸命に自身の役目を演じようと勤めている。


 ちなみにサキュマルは貿易商メジロ家の当主、フォンテーヌはその娘という設定になっている。


「そうですかそうですか。それは良いご判断です。この島はまさに新天地への玄関口。交易の基地とするには最良の場所といえるでしょう」


 サキュマルの返事に、クルロス総督は満面の笑みを浮かべて愛想よく相槌を打つ。


 人相は悪いし、どうにも板に付いていない大金持ちの商人役であるが、船乗りの荒くれどもを使う海運業者という設定が功を奏してか? 人の良さそうな総督はどうやら疑っていないらしい。


 また、百戦錬磨のジョシュアの入れ知恵により、魔導書『ソロモン王の鍵』の記載通りに製作した〝木星第二のペンタクル〟という護符を今日のサキュマルは懐に忍ばせている……この護符には悪魔の力によって「威厳、栄光、名誉、心の平安、富、あらゆる良いものを得る」御利益が宿されており、こうしてうまく騙せているのには、その効果というものもあるのかもしれない。


「そ、それでですね、しばらくこちらへ逗留するつもりでいるんですが、一緒に連れて来たあっし…じゃなかった私の娘、こちらのフォンテーヌに友達がいないのはかわいそうだと思いまして、誰か年頃のご令嬢はいないものかと探していたところ、新総督閣下にも同い歳くらいのお嬢さあがいるとお聞きしたもので、へえ……」


「ああ、イサベリーナのことですね! いや、じつは私も先程からそちらのお嬢さんを拝見するに、ちょうどうちの娘と同じくらいだなあと思っていたのですよ」


 続けて、さっそくここへ来た本題(…という設定の口実)をサキュマルが口にすると、不意に出た愛娘の話題にクルロス総督はパッとその表情を輝かせる。


「いや、そういうことでしたら大歓迎です。イサベリーナもこちらへ来てまだ日が浅く、やはり同じ年頃の女友達が近くにおらんので、どこかに相応しい子女はいないものかと考えていたところです」


 奇遇にも……いや、それがまさにジョシュアの狙いだったのであるが、じつはクルロス総督もサキュマルの嘘設定と同じ希望を持っていたのだ。


「まあ! それならばお話が早いですわ! わたくし、イサベリーナさまとぜひともお友達になりたいのです!」


 若干の驚きとともに総督が食いついてくると、今度は瞳をキラキラと輝かせながら、満を持してフォンテーヌも二人の会話に参戦する。


「つきましてはお近づきの印に、わたくし達の船で開くお茶会にイサベリーナさまをご招待いたしたく、本日はご挨拶がてら参った次第ですわ」


「ほう、お茶会ですか。それはますますもってけっこうですな。きっとイサベリーナも喜ぶことでしょう」


 こちらはサキュマルと違い、演技ではなくほぼ日常と同じの姿であるため、よりいっそう本物の豪商令嬢だと信じ込んでしまうクルロスは、満面の笑みを湛えながらうんうんと頷いてみせる。


 このお茶会への招待……それこそが詐欺師ジョシュアの捻り出した、武力行使なしに総督令嬢を誘拐するための方便である。


 同じ年頃の友人を求め、辺境の地で遊びにも飢えている貴族のご令嬢ならば、まず間違いなくこの誘いにホイホイついてくることだろう……。


 彼らを取り巻く諸事情を調べ上げたジョシュアは、父親に連れられ、遠く見知らぬ土地へ来たご令嬢の最も欲しがるものがなんであるかを、その磨き上げられた犯罪者の直感から鋭く見抜いていたのだ。さすがは〝詐欺師〟の異名をとるだけのことはある。


「まあ、訊くまでもないとは思うのですが、一応、イサベリーナに確認してみましょう。日々の勉強もありますし、あの子にもそれなりに予定があるでしょうからな…」


 案の定、狙い通りにまんまとお誘いに乗ってくるクルロスがそう答えたその時。


「その必要はございませんわ!」


 突然、バン! と勢いよく厚く立派なドアが開き、そんな少女の叫び声が執務室内に木霊した。


「い、イサベリーナ……」


 大きく目を見開くクルロス総督の呟きに、フォンテーヌとサキュマルも背後を振り返ると、そこには長く麗しい黒髪に淡い黄色のドレスがよく似合う、ラテン系の顔立ちをした美しい少女が威風堂々と仁王立ちしている。


 そう……彼女こそがこの誘拐計画のターゲット、総督令嬢のイサベリーナ・デ・オバンデスなのである。


「お話はすべて聞かせていただきましたわ! セニョール・メジロ、そしてセニョーラ・フォンテーヌ……そのお茶会、何をおいてでもお伺いいたしますわ!」


 くだんのイサベリーナはそのまま部屋へと足を踏み入れ、ツカツカと二人の方へ歩み寄ってゆく。


「イサベリーナ、おまえ、盗み聞きをしていたのか? なんとはしたない……」


「フォンテーヌさん、わたくしもぜひ、あなたとお友達になりたいですわ! ここの役人達の家には同じ世代の女の子いないし、街場の子とは身分違いだとかなんとか言って遊ばせてくれないし、ずっとあなたのようなお友達が欲しかったんですの!」


 廊下で盗み聞きをしていたらしいおてんばな娘に、眉をひそめた父クルロスは小言を口にするが、その声も今の彼女の耳には最早入らず、イサベリーナは目をキラキラと輝かせながら、早々、嬉々としてフォンテーヌに話しかける。


「まあ! それは奇遇! わたくし達、とっても気が合いそうですわね!」


 対するフォンテーヌも輪をかけて瞳をキラキラとさせ、出会って間もないのに二人は意気投合してしまっている。


 しかも、それは誘拐計画のための演技ではない。イサベリーナと似たような境遇にいるフォンテーヌの方にしても、じつは本気でそう思っているのである。


 いや、それどころか、これが嘘の話であることすら忘れてしまっている感がある……。


「お茶会はいつお開きになるんですの? なんなら今日でも……いえ、これからすぐにでもお呼ばれいたしますわ!」


 だが、目に見えて興奮気味のイサベリーナは、同じくテンションを高くしているフォンテーヌを急き立てるようにして尋ねる。


「わたくしも待ちきれないですわ。それでは今から…」


「い、いえ、いろいろと準備もありやすし、さすがに今日というのは……また、日を改めまして、ご案内いたしてえと存じやす」


 このままではほんとに即連れ帰ってしまいそうな勢いなので…否、もうすでにそんなことを口走っているので、慌ててサキュマルが二人の間へと割って入る。


 今日は顔見せの挨拶と、お茶会の約束を取り付けるまでの計画だったので、逆に今すぐ来られてもそれ以降の手筈を整えてはいないのだ。


「そうだぞ、イサベリーナ。物事には順序というものがある」


「致し方ありませんわね……それでは、お招きいただける日を楽しみにしておりますわ」


 続けてクルロスにもいさめられ、さすがのイサベリーナも残念そうに眉をひそめると、やむなくそのワガママを諦める。


「はい。わたくしも今からその日が待ち遠しいですわ」


 そんな自分と同じ思いのイサベリーナに、フォンテーヌはいつもの心洗われる朗らかな笑みを浮かべて、そう慰めるように言葉を返した。


「フォンテーヌさん……」


 その殺人的な笑顔を向けられると、イサベリーナも思わずぽー…っと天にも昇るような心持ちになって癒やされてしまう。


 こうして、どこかピントのずれているフォンテーヌに不安要素を感じつつも、サキュマルらメジュッカ一家の総督令嬢誘拐計画の賽は投げられたのであった。

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