Ⅱ 内緒のシノギ

 その日の午前中、メジュッカ一家の邸宅に併設された倉庫前の道で、サキュマルは一人の少年と言葉を交わしていた。


「――それじゃあ、約束の『ソロモン王の鍵』百冊、確かにお引き渡ししました。お代は商品がハケたらでいいって、お頭が言ってましたんで」


「いつもほんとすまねえ……船長カピタンマルクには、この御恩、一生忘れねえとよろしく伝えてくだせえな」


 木箱をいっぱいに積んだ荷車の傍、それを運んで来た船乗り風の童顔少年に、ふた回りも年上のサキュマルは神妙な面持ちで頭を下げている。


「よ、よしてくださいよ! こちらとしても魔導書を流通していただけるのでWin-Winな関係なんですから。特にメジュッカさんとこは他の海賊と違ってあこぎ・・・な真似しないんで、うちとしても大変重宝しています」


 強面なヤクザ者のそんな態度に、少年は慌てて手をバタバタ振ると彼に頭を上げるよう促す。


 一見、船乗りの見習いかなんかに見えるこの少年――名をサウロ・ポンサといい、じつは新天地でも名の知れた海賊の一味、魔術師船長マゴ・カピタンことマルク・デ・スファラニア率いる〝禁書の秘鍵ひけん団〟の一員だったりする。


 彼ら秘鍵団はこのトリニティーガー島を根城にする海賊の中でも特殊な一団であり、禁書である〝魔導書〟を専門に奪ってはその写本を作り、それを非合法に売り捌いて生計を立てている変わり種だ。


 魔導書グリモリオ――それは森羅万象に宿り、この世界の様々な事象に影響を与えている悪魔デーモン(※精霊)を召喚し、彼らを使役することで願望をかなえるための方法が書かれた魔術の書である。


 故にその力は絶大であり、霊的権威であるプロフェシア教会やそれを国教とする国々は、表向き「危険で邪悪な書物」としてその所持・使用を原則禁止する反面、自分達が許可を与えた者のみにその使用を許すことで魔導書の力を独占していた。


 もっとも、そのように便利な道具、「はいそうですか」と素直に聞く民衆ばかりではない……禁令が破られるのは世の常。違法と知りながらも欲する者は後を絶たず、裏の市場マーケットでは密かに魔導書が売買されていたりもするであるが……。


 で、今しがたサウロが運んできた荷車の上の木箱の中にも、かくいう魔導書の写本が大量に収められている。


 そう……サキュマルがフォンテーヌに内緒で行なっている密輸とは、この魔導書を自前の海賊船で運び、ヌエバ・エルドラーニャ副王領(※新天地におけるエルドラニア帝国の植民地)のあちこちで売り歩くというものなのである。


 ま、そんな訳で、禁書であるはずの魔導書の売買も、闇市場では暗黙の了解といった状況なのであるが、敬虔なプロフェシア教徒であるフォンテーヌが知れば、その罪深き行いに卒倒しかねないだろう。


 だから、なんとしても彼女にはバレないよう、ただの海運業と偽って、サキュマル達メジュッカ一家の者はこの魔導書の密輸を行なっている。


 本来なら主人に嘘など吐きたくないところだが、エルドラニアの植民地であるこの新天地において、真っ当な海運業はエルドラニア人が独占している……余程のコネでもない限り、他の国出身者が食い込むことはまず不可能であり、背に腹は変えられぬ苦渋の決断なのである。


「サキュマルの兄貴、とりあえず倉庫に隠しておけばいいですかい?」


「おう! ぜってえお嬢さまには見つからねえようにな!」


 サキュマルがサウロと語らう内にも、彼の手下達が三人、木箱を荷車から下ろして倉庫内へせっせと運んでゆく。


「じゃ、そろそろ行きますね。フォンテーヌお嬢様にもよろしくお伝えください」


「ええ。では、またよろしく頼みやす。船長カピタンマルクにもどうぞ、よしなに」


 それを見届けたサウロは、サキュマルと別れの挨拶を交わし、空になった荷車を牽いてもと来た道を戻って行った。


「さてと、無事に荷も届けたし、ちょっと市にでも寄ってくかな。旦那様の鎧磨く研磨剤が切れてたし、なんかお昼用の食材も買ってくか……ん?」


 一仕事終え、この後の計画をあれこれと考えつつのんびり足を進めるサウロであったが、ふと、前からやって来る一人の男に目が止まる。


「……ん? ああっ! てめえは魔術師船長マゴ・カピタンとこの!」


 すると、向こうもサウロに気づき、その細いまなこを大きく見開いて驚きの声をあげた。


「ジョシュアさん……」


 あちら同様、サウロの方もその男のことをよく知っており、どこか嫌そうに眉をひそめる……。


 黒いジュストコール(※上着)に黒いオー・ド・ショース(※膨らんだハーフパンツ)、首には白いスカーフをキザに巻き、オールバックの黒髪に片メガネをかけた商人風の男……だが、商人ではなく彼もまた海賊だ。


 いや。やっぱり悪徳商人と言った方が正確かもしれない。同業者の間では〝詐欺師〟の名で通る、このトリニティーガー島でも指折りの船長の一人、アングラント人海賊ジョシュア・ホークヤードである。


「てめえらのおかげで船は沈むし手下は死ぬし、儲かるどころか大損害だ! てめえんとこの船長に言っとけ! 損害賠償は耳を揃えてきっちり払ってもらうとな!」


 サウロの姿を認めるなり、ジョシュアはつかつかと早足に近づいて来て、片眼鏡を上下させながらいきなり激しく怒鳴りちらす。


 じつは先日、彼は他の有力船長達と船長カピタンマルクの話に乗り、禁書の秘鍵団と組んでエルドラニアの護送船団(※武装したガレオン船による輸送船の艦隊)を襲撃したのだが、あえなく返り討ちにあって船を撃沈されているのだ。


 ま、それでもご本人はこの通りピンピンしているのだから、なんともしぶといゴキブリ並みの生命力である。


「それは無理な相談というものです。お頭の計画に同意した時点で、後どうなるかは自己責任でしょう? 商売で間違った判断をすれば損をするのと同じ理屈です」


 だが、どやし上げられても臆することなく、ますます眉をひそめながら冷静にサウロは言い返す。


「うるせえ! もし損害賠償を支払わなかったらどうなるかわかってるんだろうな? 昼も夜もおちおち表を歩けなくしてやるぞ!?」


「ゴロツキでも雇って襲わせるつもりかなんだか知りませんが、やめておいた方が身のためですよ? ここのところ戦闘の機会もなく平和そのものなんで、うちの旦那様は剣の相手がいないと毎日嘆いてますし、リュカさんなんか、とにかく暴れたくてうずうずしてますからね。こちらこそ、命の保証は致しかねます」


 なおも脅しをかけてくるジョシュアだが、それでもサウロはひるまない。いや、ひるまないどころか、逆に可愛い顔して詐欺師を脅し返している。


「くぅ……」


 すると、ジョシュアは不意に言葉を飲み込み、みるみる内に蒼い顔になってしまう。


 サウロの主人でもある〝百刃の騎士〟ことドン・キホルテスや〝人狼〟のリュカ・ド・サンマルジュ、他にも東方の拳法を使う武術家少女やゴーレムを操る少女錬金術師など、優秀な魔術師である船長をはじめとして、禁書の秘鍵団には海賊達も一目置く、恐ろしい力を持った人材が揃っているのだ。


 かくいうこのサウロとてそのショタ萌えする外見とは裏腹に、かつては騎士である主人について戦場を渡り歩き、海賊になった後も幾多の修羅場を潜り抜けている、じつは凄腕のナイフの使い手だったりする。


「お、おぼえてろよ! この負債は必ず回収させてもらうからな!」


 冷徹な眼差しで睨み返すサウロに対し、ジョシュアはそんな捨て台詞を残すと再び足を動かし始め、サウロの脇をさっさと通り過ぎて行ってしまう……もう、完全に典型的なやられ役のチンピラだ。


「…………あれ?」


 そんな、苛立たしげに去ってゆく悪徳商人の背中を、侮蔑するような眼差しで見送るサウロだったが、そのジョシュアはどういうわけか、今しがた後にしたメジュッカ一家の屋敷へと入ってゆく。


「あの悪徳とは無縁なメジュッカ一家に詐欺師のジョシュアがなぜ……」


 そのどうにも不似合いな取り合わせに、他人事ながらも良識者のサウロは、彼らの身を心配するのだった。

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