Ⅰ 跡取りのご令嬢 (2)

「――神よ、今日も我らに生きる糧を与え賜うたことに感謝いたします」


 淡い水色のドレスに着替え、同じく水色のリボンを髪に飾ったフォンテーヌは、瀟洒な広間に置かれた長机の上座に着き、用意されたパンとスープ、そしてゆでたまごの朝食を前に神への祈りを捧げる。


「さ、皆さん、いただきましょう」


 そして、円らな瞳を静かに開くと声をかけるその食卓には、彼女とマユリィの他にもう一人、マユリィと対面する形で男性が座っていた。


 しかし、その麻のシュミーズ(※シャツ)にオー・ド・ショース(※短パン)という船乗り風の格好をした中年男性は、鋭い猛禽のような眼光にエッジの利いた剃り込み・・・・の入る髪型、頬には傷まであるという、どうにもお嬢さまな雰囲気のフォンテーヌとは似つかわしくない風貌の人物だ。


「……あ、あの、お嬢さま。少しお話が……」


「お話? なんですの? サキュマル」


 その人相の悪い、明らかに無法者な見てくれのオヤジ――シモン・サキュマルは、祈りが終わっても一人だけ食事に手をつけることなく、その外見とは裏腹なボソボソ声で、恐る恐るフォンテーヌに声をかける。


「ご存知の通り、前の一件・・・・でこの島の名だたる船長達は船を失い、ろくに商売・・もできない状況です。ですから、その……ライバル達が弱まっている今こそ、かつてのように我らメジュッカ一家の名声を取り戻す好機かと……」


「好機? ……それは、つまり、海賊行為・・・・を行いたいということですの?」


 チラチラとフォンテーヌの方をうかがいながら、言いづらそうに話すサキュマルの言葉に、彼女もスープ用のスプーンを置くと、その可愛らしい細い眉を不愉快げにしかめる。


「え、ええ、まあ……簡単に言ってしまえば、そういう次第で……」


他人ひとさまのものを強引に奪うなんていけませんわ! 神さまの罰があたりますわ!」


 彼女の表情の変化を察し、視線を逸らすと気まずい様子で答えるサキュマルであったが、それを聞いたフォンテーヌはちょっと迫力にかけるながらも、怒気を含んだ美しい声を張り上げる。


「し、しかし、その海賊が我らメジュッカ一家の家業でして……お嬢さまも先代の跡を継いだからには、その自覚というものをもう少し持っていただかないと……」


 それでも、人相の悪い顔に困惑の表情を浮かべながら、今日こそは厳しくご意見申し上げようと覚悟を決めていたサキュマルはなおも続ける。


 一見、この瀟洒な屋敷の中ではヤクザなサキュマルが異分子のように見えてしまうのだが、その実、この家・・・に似つかわしくないのはむしろフォンテーヌの方だったりする……彼女は現在、このトリニティーガー島でも古株の、いわば名門ともいうべき海賊〝メジュッカ一家〟の当主なのである。


 フランクル王国の名門一族出身で、新天地に渡って海賊となった先代ルシアン・ド・エトワールは、その豪胆さと仁義に熱い性格からトリニティーガーはおろか新天地全土にもその名を馳せた大海賊であったが、先年、南洋特有の熱病に冒され、呆気なくもポックリとこの世を去ってしまった。


 そこで跡を継いだのが、一人娘のフォンテーヌだったというわけなのだが、母を幼くして喪ったこともあり、目に入れても痛くないその愛娘を父ルシアンは溺愛し、野蛮で暴力的な海賊などとはまるで無縁の、良家のご令嬢か何かのように大切に育てた。


 そして、そんな愛情に満ちた教育方針が功を奏し、次期当主となったフォンテーヌは海賊稼業にまったく不向きな、慈悲深く信仰心の篤い、上品で善良な淑女に成長してしまったのである。


「それはわかっておりますわ。わたしも跡を継いだからには、お父さまのような立派な海賊にならねばならないと……ですが、やはりそのような人でなしな行い、わたくしには到底できません!」


 一応、海賊の頭としての自覚はあるようなのであるが、それでも野蛮な掠奪行為を行うことをフォンテーヌは悲痛な面持ちで拒絶する。


「ですから、わたくしは人の道に反するようなことはけしてしない、清く正しい海賊を目指そうと思いますの!」


「き、清く正しい海賊……?」


 そして、なんだかたわけたことを口走り始めるフォンテーヌに、サキュマルも、そしてマユリィも唖然とポカン顔になる。


「ええ、その通りですわ。掠奪も人殺しも喧嘩もしない、人に優しい良い海賊さんですわ」


「あ、あのう……それでは海賊の生業なりわいとしてなりたたないような……」


 碧い瞳をキラキラと輝かせ、夢見心地に理想を語るフォンテーヌに、再びサキュマルは恐る恐るツッコミを入れる。


「大丈夫ですわ。お船があるんですもの、これまで通り大陸や新天地の島々に商品を運ぶ海運業をすればいいんですわ。それなら世のため人のためにもなりますし」


 だが、やはりフォンテーヌは聞く耳を持たず、サキュマルのもっともな反論を一蹴する。


「それでは最早、海賊ではなく完全に海運業者のような……」


「サキュマル、あなた達にお仕事を任せきりにしておいて申し訳ないんですけれど、まさか悪いことはしてないですわよね?」


 再び小声でツッコむサキュマルも無視し、フォンテーヌは可愛らしく眼を釣り上げると逆に彼を問い質す。


「……え?……は、はい。も、もちろん……です……」


 問われたサキュマルは目を泳がせ、けして視線を合わせないようにしてそう答える。嘘を吐いているのは見るからに明らかだ。


 じつは彼、さすがに海賊行為こそしてはいなかったものの、フォンテーヌに知られれば絶対に怒られるような、となる商品・・・・・の密輸には手を染めている。


 だが、彼を責めるようなことはけしてできない……先代が亡くなり、フォンテーヌが跡を継いでからというもの、彼女がまだ若い上にこんな感じなので、多くの手下達が出奔して一家は衰退。今ではサキュマルやマユリィを含め、わずか五人しか残ってはいない。


 そんな中、最古参で先代への忠義に篤いサキュマルがフォンテーヌに代わり、一家の生業しのぎを一手に担っていたのであるが、如何せんそのような状況なので内情は火の車。海賊行為もできないとなれば、もう密輸でもしない限り立ち行かないのだ。


「本当ですのね? 神に誓って嘘は吐いていませんわね?」


 それでも後ろめたさを感じ、挙動不審になるサキュマルの逸らした目をじっと覗き込み、フォンテーヌは汚れなき瞳で再度問い質す。


「……は、はい……神に誓って……」


「でしたらけっこうですわ。サキュマルがわたくしに嘘を吐くわけありませんものね。わたくしこそ、疑ぐってしまってごめんなさい」


 今度も目を合わせられず、またもや嘘を吐いてしまうサキュマルであったが、フォンテーヌは素直にそれを信じ込むと、むしろ自らの疑心を恥じて彼に頭を下げる。


「お嬢さま……」


 そんな純真無垢で悪意を知らないフォンテーヌの態度に、顔に似合わずサキュマルはキュン…と心に痛みを覚えてしまう。


 本来ならそんな世迷いごとは一切無視して、海賊らしく振る舞えばいいようなものなのだが、この天使のような心優しい少女にはどうしても逆らうことができない。


「さ、冷めない内に早く食べましょう」


 いつの間にやら止まってしまっていた皆の食事の手に、そのなんとなく気まずい空気を打ち消すかのようにして、いつもの穏やかな微笑みを湛えたフォンテーヌが朗らかな声で二人を促す。


「お嬢さまぁ……」×2


 その超絶的な神々しいまでの可愛らしさに、サキュマルもマユリィも再びぽぉー…っと、天にも登る心持ちでうっとり顔になってしまった。


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