1 彼らは平凡な生活と別れを告げる
窓から差し込む太陽の光がいつもより眩しくて目が覚めるのが少し早くなってしまった。日に日に増していく日差しの強さには、春を感じるものがあったが、寝起きというのは実に体が重い。ベッドと磁石のようにくっついている感覚になる。このまま身を委ねればとても楽なのだが、今日からだらけている生活は出来ない。新しく始まる新生活に遅れてしまうからだ。俺──希歩・アラロードは、母方の遺伝である金色の髪をくしゃくしゃと左手で掻きながら壁に掛けられた時計を見る。時刻は【7:00】今から準備すれば余裕で間に合う。そう思いながら俺は、荷物をまとめた鞄を片手に自室を出る。
「おう、希歩!起きたか!」
まだダルさの抜けない体を動かして階段を降りながら一階のリビングに向かうとそこには、スーツを着た大柄の男が想像もつけがたいぐらい似合っていないエプロンを腰に巻いて家事をしていた。テーブルにはご飯と味噌汁、鮭の塩焼きが置かれていた。器用なのか分からないが、俺が育ってきた数年の間にこれ程上達したと彼は喜んでいた。
「おはよう、父さん」
俺は、リビングに居る大柄の男──アレクに挨拶すると一旦リビングを出て洗面所へと向かう。春先ではあるがまだ薄らと感じる寒さに耐えながら俺は、目の前にある鏡をよく見る。父さんからは「お前は母似」と言われるくらい顔が整っているが、目は父さんに似てスカイブルーの瞳を持っている。
母親の方が遺伝子的には色濃く受け継いでいるのだが、俺の記憶には母さんがほとんど居ない。俺がまだ保育園の頃だろうか、母さんが突然姿を消してしまったのだ。勿論幼い頃の俺は喉を枯らすぐらい泣き続けたが、その思いは母さんには届かなかった。今は、父さんと一緒に二人で暮らしているがこの暮らしも慣れれば悪くはない。しかし、それもしばらくお別れなのだと何か心細い感じがする。
俺は、少し出し続けた水に手を出して溢れるくらいに溜めた水を持ち上げて肌に当てる。冷たい感覚によりまだ残っていた睡魔は何処かへと消えるのを感じた。
「──希歩、今日も俺と母さんの馴れ初め聞くか?」
リビングから声が聞こえる。父さんは何故か馴れ初めを凄く俺に話したがる。もう顔も覚えていない息子に対しての責任からなのかと俺は一人勝手に思い込んでいるが俺には他人の恋路に興味はない。それが自身の親なら尚更だ。だが、そんな俺を差し置いて親父は一人淡々とその時の出来事を語る。
20年前の防衛戦争の時に敵同士だった二人が出会って父さんが一目惚れしたという話をこれで何度も聞かされた事だろうか。聞き慣れても背中が痒くなるくらいロマンチックの塊のような二人の馴れ初めを俺は、「はいはい」と適当に流しながらリビングへと戻ると予め用意していたシワひとつもない真新しい制服の白いブレザーに袖を通した。
父さんからは、「おい、聞いているのか?」と注意されるがそんな暇は俺にはない。むしろ、そんな二人の子供であるから大変な目にあっているのだ。
「父さん、もう何回もその話聞いたけどさ、俺にはそんなことを聞いている時間ないんだよ」
我が父ながら20年も前の話を長々とされても困るのだ。かつては、英雄だったのかもしれない父さんも今となっては仕事に励むただのサラリーマンだ。母星であるガルド星の誇りを捨ててこの星に住み着いた異星人それが父さんの正体だ。異星人のしかも侵略部隊の出身である父さんは、時間にルーズだ。そして今日しかない命だと常に思っているせいか、やたら俺にロマンを求めろと言ってくるのだ。父さん曰く、部隊に居た頃に上官が教えてくれた事らしいが、彼らはロマンをとても大事に軍人生活を謳歌しているらしい。その為か、必要以上に言ってくるがここは地球。父さんのふるさとの様な環境ではない。よってそう言った事を追いかける必要性が俺にはないのだ。
「希歩、お前は少しロマンを追うべきだ」
「そういう父さんこそ、早くしないと遅刻だよ」
そう言う父さんに対して俺は、時間がないことを彼に告げながらテーブルの椅子に腰をかけた。ゆっくりと準備している俺とは対照的にニュース番組に表示されている時刻と睨めっこしながら急いでいるアレクは、まるで獣かのように食べ物を口へ頬張る。
父さんの生まれた星には、食事に対する礼儀作法が曖昧なせいで時々周囲を汚しながら食べる癖が出る。俺は、そんな父を他所にもう居ない母さんから唯一教わった正しい礼儀作法で食事を進める。そんな俺を見て何かを思ったのか、急に父さんが俺に話しかけてきた。
「お前、そんな食い方して腹膨れるのか?」
いかにも異星人の言いそうな質問だなと思いつつも父さんの質問に俺は答えていた。
「うん、それにこれしか母さんから教わってないからね」
「そうか……」
そう言って父さんは、また無言になる。よほど責任を感じているのだろうか、少し表情が曇っている。母さんが居ない生活は慣れれば苦労はしない。けど、日に日に薄れていく母さんの顔や喋り方などを思うと不安で仕方が無い。だからか、唯一の教えである礼儀作法はきちんと守ろうと決めている。
朝食を食べ終え「ご馳走様」と言ってから椅子から立ち上がり使った皿などを片付けると俺は、用意していた鞄を手に取るとまだ椅子に座っている父さんの方を見る。目線に気づくと父さんが俺の方を向く。今まで一緒だったせいか、やっぱり寂しい。
「希歩」
そんなことを思っていると父さんが俺の名前を呼ぶ。逞しい顔には、これまで幾つもの戦いを制した戦士の顔に見える。だが、これが俺の父さんなんだ。地球のマナーや常識が知らなくても彼が母さんとこの星を守ってくれたから今の生活がある。それは、父さんに感謝しないといけない。
「お前も頑張ってこい!」
そう言うと父さんは軽く握りこぶしを作った右手を俺に突き出してきた。流石に何年も同じ屋根の下で生活をしていれば、彼がどう言う気持ちで己の武器でもあった拳を俺に向けたのか理解が出来る。俺は、自分の左手を軽く見つめるとぎゅっと力強く拳を作ると父さんの方へ突き出す。
「うん、死なない程度には頑張ってくるよ」
それを聞くなり、父さんは「そうか」と言って俺とグータッチをする。ガルド星人のエールを送る行為らしく、何かある度に父さんとこうしてグータッチをしている。
「それじゃ、父さん。行ってきます」
「おう、行ってこい!」
俺の呼び掛けに父さんは白い歯を見せながら言う。父の眩しいほどの笑顔を背に俺は、家を出た。
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