第18話 永遠の彼方へ

 アウラン。

 その名は、ルナールにとって衝撃だった。双眸を大きく見開いて、ロードを見、それから廊下の男性に視線を戻した。

 アウランは、四角い眼鏡を外していた。三百年前、ルナールの許婚だった頃の彼は、眼鏡を掛けていなかったからである。だから、今のアウランの顔は、ルナールの記憶の中のアウランそのままだった。

「アウラン…? コールレーン家のアウラン…?」

 ルナールは、絶句した。後の言葉が続かない。

 信じられなかった。三百年前の異端狩りで、魔性の血を持つ者は一掃されたと思っていたのに。自分を除いて、同族はみんな殺されたものだとばかり思っていたのに。

 自分と同じ血を持つ者が生きていた。それが、何の因果かかつての自分の婚約者。燃えるほどに愛した、かつての恋人。ルナールは、言葉を失っていた。

「そうだよ、ルナール。僕だ。コールレーン家のアウランだ。偽物じゃない。君と同じ『力』が、僕の中から感じられるだろう?」

 アウランの言葉は真実だった。廊下に立つ男性からは、自分と同種の『力』を感じる。それは、どんな証拠品よりも確かな証明だった。

「アウラン…生きて…生きていたのね…」

 ルナールの瞳から、涙が溢れる。それは風に乗って、きらめきながら舞い散った。

「アウランさんが、ルナールさんと同じ…信じられない」

 カレリアは、驚きを隠せないようだった。ロードはその耳に囁く。

「でも、本当のことだよ」

「会いたかった…私のアウラン。三百年もの間、私はあなたなしで生きてきた。それは、どんな拷問よりも辛かったわ。でも…また、こうして会えるなんて…!」

「そうだよ、僕は君のもとに帰ってきた。これからは、ずっと一緒にいられるんだ。どこかで静かに暮らそう。今すぐ、ここを離れて」

 アウランのその言葉に、ルナールは我に返ったように首を左右に振った。

「駄目よ。私には、やることがあるの。あなたと暮らすのは、その後だわ」

「復讐…だね?」

「そうよ! 殺された家族の恨みを晴らすのよ!」

「だめだ、ルナールさん!」

 ロードが叫ぶ。アウランは片手を挙げて、ロードを制した。

 僕に任せてくれないか。そう語る表情は、ロードに伝わったようだった。

「ルナール…君の気持ちはわかるよ。僕もかつては同じことをしたからね」

「えっ…?」

「異端狩りで、僕たちの屋敷が襲われた時、僕は井戸に隠れて助かった。神父が張った結界も、地下深くまでは届かない。僕は必死に井戸の底から穴を掘って、手を血だらけにしながら四日がかりで外に出た。その時の僕は、今の君と同じ…復讐鬼だった」

 アウランの表情は、悲しげだった。

「家族はことごとく殺され、死体は無残に晒されていた。僕は街の人間を憎んだよ。そして、その気持ちのまま行動したんだ…」

 苦笑。

「殺したよ。街の人間を、一人残らず。『力』を使って、女も子供も、老人さえも、みんな殺した。神父は、特に残酷なやり方で殺したよ。できるだけ苦しみが長引くように、手足を一本ずつもぎ取ってやったんだ…」

「ひどい…」

 思わず、カレリアが洩らす。

「そう…ひどいものさ。でも、あの時の僕には爽快だった。家族という、何物にも代えがたいものを奪われた恨みを晴らしたんだからね。だけど、僕の周りに生きている人間が一人もいなくなって、目に入るのが血にまみれた死体ばかりになった時、その爽快感は突然消えてしまったんだ」

 ルナールは、黙ってアウランの話に聞き入っている。だが、身体を包む青白い炎や、荒れ狂う風は、未だその勢いを衰えさせてはいない。

「虚しかった。どうしようもなく虚しかったんだ。どんなに殺したって、大好きだった父さんや母さん、兄弟たちは帰ってこない。それがわかった時、どうしようもなく空虚な気持ちが僕の心を支配していたんだ…」

 いつしか、アウランは涙を流していた。それは、後悔の涙。何も得ることのできない殺戮を行ってしまったことへの、激しい後悔の涙だった。

「復讐が生むのは。虚しさと後悔だけだ。そんな気持ちを、君にまで味合わせたくない」

「でも、私の気持ちはどうなるの!」

 ルナールは、絶叫した。

「私の気持ちは、それに、死んでいったお父様たちの気持ちはどうなるのよ! あんな不条理な殺され方をして、浮かばれると思って? 三百年も孤独を強いられた私の気持ちが、このままで収まると思って?」

 ルナールの『力』の波動が、一段と強まった。『力』は、本人の感情に大きく左右される面があるらしい。

 ロードとカレリアは、見えない波によって、壁に押し付けられた。

「寂しかった日々。誰も、過ぎ去ったその時間を取り戻すことはできないわ! 私は、無知な人間たちのために、三百年も…!」

 風が、部屋の中を奔馬のごとく暴れ回った。ロードとカレリアが押し付けられた壁がきしみ、屋根が少しずつ押し上げられていくように見えた。ロードとカレリアは胸を強く圧迫されて呼吸もままならず、苦しげに呻いた。

「やめるんだ、ルナール!」

 アウランは、声を限りに叫んだ。

「だからこそ、僕がここに来たんじゃないか! 君が失った時間の分まで、君を愛してあげるよ! そう思ったから、ここに来たんだよ!」

 だが、アウランの説得も効果がない。ルナールは寂しげな笑顔さえ見せて、彼女の持つ『力』を最大限まで高めていった。

「お願い、アウラン。私を愛しているのなら、止めないで。私は復讐しなければならないの。三百年間、それだけを支えに生きてきたのだから…」

「駄目だ、ルナール!」

 アウランは叫ぶと、『力』を開放した。復讐鬼と化したルナールを、力ずくで止めるつもりなのだ。

 それを察したルナールは、アウランの『力』が高まる前に、強力な衝撃波を放った。アウランは見えない力に吹き飛ばされ、廊下の壁に強く背中を打ちつけた。

「邪魔をしないで、アウラン。お願いだから」

 ルナールの瞳が、カッと見開かれる。その瞬間、天井が吹き飛び、頭上に星々の瞬き始めた夜空が広がった。

「復讐を果たしたら、必ず帰ってくるわ。その時こそ、私を愛して…」

 そう言って、ルナールは夜空へと舞い上がった。

 猛り狂う嵐の圧迫から解放されたロードとカレリアは、かっくりと膝をついて、月の輝く夜空を呆然と見上げた。激しく咳き込みながら立ち上がったアウランは部屋に駆け込んできて、ルナールの名を呼んだ。

 淡い黄金色に輝く真円の月を背に、ルナールは浮かんでいた。その身体を、青白い光球が包んでいる。その眩しい輝きは、まるで銀色の太陽のようだ。

「駄目だ、殺しちゃいけない! やめるんだ!」

 アウランの声も、ルナールには聞こえていないようだった。

 光球は、次第にその大きさを増している。その周囲では、激しい風が吹き荒れ、古城の壁を小刻みに震わせていた。

 『力』が高まる。恐ろしく強大な『力』が。

「もっと…もっとよ! 私の『力』よ、もっと高まれ! 街を一瞬で焼き尽くせるほどに!」

「いけない…ルナールは、『力』に酔いしれている。このまま『力』を高め続けると、自分でも制御しきれなくなるぞ…!」

 アウランが、苦しげに呻きながら言った。

「制御しきれなくなるって…どうなるんです?」

 ロードが、切迫した表情で尋ねた。その間にも、ルナールの狂気に満ちた笑い声が耳に届く。もはや、説得に耳を貸すような状態でないことは、ロードにもわかった。

「『力』が暴走して、ルナールは自己崩壊を起こしてしまうんだ。このままでは、街の人たちもルナールも助からない…!」

「そんな…!」

 カレリアが青ざめて、ルナールを見遣る。

 風は嵐と化し、草木を巻き込んで吹き荒れた。風圧で窓という窓のガラスが粉々に砕け散り、城全体が激しい振動に見舞われる。

「止めなければ…ルナールを、止めなければ…!」

 アウランはそう繰り返しながら、床の上に横たわっていたハロルドの剣を掴む。その瞬間、アウランの身体に耐え難い激痛が走る。まるで、身体の中を稲妻が駆け抜けていくような痛みだ。アウランは呻いて、剣を手放した。

「何をする気なんです、アウランさん!」

 ハロルドの剣に宿る霊力は、アウランたちの持つ『力』と反発しあう。そう言ったのはアウランだ。そのアウランがなぜ、剣を取ろうとしたのか。

 苦痛に顔を歪めながらも、アウランはまた剣に手を伸ばした。

「アウランさん!」

 ロードが止めようとするが、アウランはその手を振り払った。

 激痛に必死で耐えながら、アウランは剣を持って立ち上がった。そして、未だ『力』に陶酔しているルナールを見上げる。光球はすでに直径五メートルには達していようか。表面では、青白い炎がコロナのごとくうねっている。

「僕の『力』では、ルナールの『力』を抑え込むことはできない。彼女の『力』は、幼い頃からずば抜けていたからね。だから、反発しあう力をぶつけて、双方の『力』を消滅させるんだ。ルナールを止めるには、それしかない…!」

「消滅…?」

「何としても、ルナールを止めるんだ。無意味な殺戮は、もうたくさんだ…!」

「待って下さい! そんなことをしたら…!」

 ロードは、アウランの言葉の意味を理解した。だが、相反する力がぶつかり合い、互いに消滅する際には、膨大なエネルギーが放出されるはずだ。つまり、爆発を起こすのである。

 下手をすれば、ロードもカレリアもこの城ごと吹き飛びかねない。爆発の中心となるアウランとルナールに至っては、死体も残らないほど粉々になるかも知れないのだ。

 だが、アウランは微笑して、

「大丈夫。君たちは僕が護る。絶対にね」

 そう言って、アウランは床を蹴った。同時に、彼の身体が青白い光に包まれる。

「アウランさん!」

 ロードが叫ぶが、アウランは振り向かなかった。ただ一瞬だけ、アウランの別れの言葉が聞こえたような気がした。

 膨大な『力』の奔流に酔いしれていたルナールは、異質な『力』が急接近してくるのを感じ取った。それがアウランだと知って、驚愕する。

「アウラン!」

「ルナール! 君に、人殺しはさせない!」

「その剣は…まさか、アウラン!」

 アウランはハロルドの剣を水平に構え、流星のごとく光球に突っ込んでいった。

「消えろ! 忌まわしい『力』!」

 アウランの叫び。ルナールの絶叫が、それに重なる。

 ルナールの持つ魔性の力と、剣の持つ霊力。反発しあう二つの『力』が真正面から激突し、爆発的なエネルギーが放出された。

 目もくらむほどの閃光の中、アウランは心の中で呟いた。

 ──ルナール、一緒に行こう。永遠の彼方へ…。

 そして、アウランは光の中に消え、ルナールの断末魔の悲鳴も、轟音にかき消されていった。

 眩い閃光が、古城を包む。それから一瞬遅れて、激しい衝撃の波が。ウェックスフォルト城はその衝撃に耐え切れず、崩壊を始めた。

 閃光に目がくらみ、激しい振動に翻弄されていたロードとカレリアは足場を失い、崩れた床の破片とともに落下した。だが、すでに気を失っている二人は半透明の球体に優しく包まれ、落下の衝撃からも、頭上から降り注ぐ破片からも護られた。

 屋根が吹き飛び、壁を構成していた石のブロックが上部から崩れてゆく。それはさらに粉微塵に砕け、土煙とともに夜空に舞った。城壁も、アーチ状の城門も、すべてが滅んでゆく。轟音とともに。

 光の奔流の中、ウェックスフォルト城は、その姿を消したのである。



 ──できれば、君も助けたかった。でも、あの子たちを犠牲にするわけにはいかなかったんだ。許しておくれ、ルナール。

 ──ううん、いいの。これでよかったのよ。

 ──本当に?

 ──ええ。あなただけが死んで、私が生き延びるなんて、耐えられないもの。それに、ほら、肉体を失っても、私たちはこうして、一緒にいられるんだから。

 ──そうだね。

 ──あの時の私は、復讐しか頭になかった。でも、今になって考えてみると、あなたが止めてくれてよかったと思うわ。復讐は、何も生まない。今は、それがよくわかるの。あなたと、魂が結びついたせいかしらね。

 ──たぶん、僕たちは今、お互いの記憶を共有しているんだろう。だから、三百年前に僕が感じた虚しさを理解できるんだよ。

 ──私、こんなに恐ろしいことをしようとしていたのね…。

 ──『力』にとらわれていた君には、それが理解できなかった。でも、今は違う。君は昔のままの、優しいルナールに戻ったんだ。

 ──私たち、ずっと一緒にいられるのね。

 ──そうだよ。肉体という束縛から解き放たれた魂は、永遠に生き続けるんだ。だから僕たちも、永遠に一緒にいられるんだよ。

 ──そして、愛し合えるのね。

 ──そうさ。行こう、愛しいルナール。もっと、静かなところへ。

 ──あ、待って。

 ──どうしたんだい?

 ──あの子たちに約束したのよ。私を結界から解き放ってくれたら、この城にある宝物をあげるって。

 ──そうか。じゃあ、約束は果たさなきゃね。

 ──ええ…。



 ロードとカレリアが目覚めた時、ウェックスフォルト城は跡形もなくなっていた。

 周囲にあるのは、荒涼とした地面と、砕けた城壁の破片。それだけだった。ツェルアム山の中腹を掘り抜いた広い空間には、もう何もなかったのである。

 あの爆発の中、二人が生きていること自体不思議なのだが、ロードもカレリアも、アウランの『力』が自分たちを救ってくれたのだとわかっていた。

 意識を失っている間、二人ともはっきりと聞いていたのである。アウランとルナールの声を。

 だから、足下に小さな宝石箱を見つけた時も、驚きはしなかった。

 ルナールが、二人のために置いていったものだ。そう確信できた。

「二人とも、死んじゃったんだ…」

 カレリアが、ぽつりと呟く。寂しげに。

「あのまま『力』が高まっていけば、ルナールさんは自己崩壊を起こすって、アウランさんは言ってた。だから、ルナールさんの魂が壊れる前に、一緒に死のうと考えたんだ。魂が崩壊してしまったら、死んだ後に会うこともできなくなるからね…」

 ロードは、ごく自然にそんなことを言った。

 死後、魂は肉体を離れ、永遠に生き続ける。それは、常識人なら信じがたいことであろう。だが今のロードは、それを素直に認めることができた。ロードもカレリアも、確かに二人の声を聞いたのだから。

「アウランさんは、ルナールさんを救ったのね…」

「そうだよ。そして、街の人たちも…」

 二人は、南に目を向けた。ツェルマス山とツェルアク山とが目前に聳え、眼下に二つの山に挟まれた谷が見える。

 あの向こうに、マドゥーイの街が、カレリアの家と牧場がある。そして家では、カレリアの父、ピーターが、娘の帰りを待ち焦がれていることだろう。

「行こうか」

 ロードが促すと、カレリアは微笑んで、

「ええ」

と頷いた。

 二人は、つい何時間か前まではウェックスフォルト城の城門に続いていたはずの石段を下り始めた。宝石箱を持って。

 何とはなしに、二人は背後を振り返った。

 すると──。

「あ…ロード」

「ああ」

 二人の視線の先に、おぼろげな人影が立っていた。一人はまだ若い男性。もう一人は、長い艶やかな黒髪の、美しい女性。

 彼らは寄り添って、ロードとカレリアに微笑みかけていた。

 ロードとカレリアは二人に手を振って、同時に心の中で呟いた。

 ──お幸せに。

 こうして、すべてが終わった。ルナールからもらった宝石類を売れば、借金を返すことも、ピーターの病気を治療することもできる。

 冒険は、終わった。

 二人とも、そう信じて疑わなかったのだが──。

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