第13話 魔性の血の証明
一瞬にして、カレリアは氷の塊の中に閉じ込められてしまった。
大きく見開かれた瞳、少しだけ開いた唇。白い指先。すべてが、この冷たい墓標の中で凍結してしまったのである。
「カレリア! カレリアァッ!」
ロードは氷の柱に両手をついて、少女の名を呼ぶ。だが、返事はない。瞬き一つしなかった。
ロードの瞳に、熱い涙が浮かぶ。それから、カレリアを氷漬けにした張本人に視線を向けた。鋭い、怒りの視線を。
「な…何てことを…!」
「安心なさい。その子は死んだわけではないわ。その中で、しっかりと生きている。そうね…言ってみれば、冬眠しているのよ」
「冬眠…」
つまりカレリアは、極端に低い温度の中で、冷凍睡眠の状態にあるのだ。すべての機能が一時的に停止し、仮死状態になっているのである。
それを察してひとまずは安心したものの、ルナールへの怒りは収まっていない。
「どうして、こんなことをするんだ!」
食ってかかるような表情。ルナールは、冷たく微笑した。
「人質よ、その子は」
「人質…だって?」
「そう。その子を解放できるのは、私だけ。その氷は普通の氷ではないの。お湯をかけたくらいじゃ、溶かすことはできないのよ」
「つまり…カレリアを助けたかったら、あなたの言う通りにしろ、と…」
「その通り。話のわかる坊やね」
ルナールは扉のところまで歩いて、豪奢に飾られた扉を片方、開いた。そして、片手を扉の向こうの廊下に伸ばし、ロードを促す。
「行きなさい、坊や。そして、ハロルドの剣を持っていらっしゃい」
ロードはしばしの沈黙の後、カレリアの入った氷柱を離れた。
ルナールのほうへ歩き出す。ルナールは微笑んだ。
しかし、ロードはルナールに従うつもりはなかった。
どんな理由があるにせよ、何の罪もない人々を虐殺する手伝いなど、するわけにはいかないのだ。
だから、ロードは行動を起こした。腰に差したナイフを引き抜いて、ルナールに突進していったのである。
殺すつもりはない。押し倒してナイフを突きつけて、脅すつもりだった。
「カレリアを、元に戻せェ!」
あらん限りの声で叫んで、ロードは突っ込む。
ルナールはわずかに驚いたようだったが、ロードの突進を甘んじて受け入れはしなかった。
「無駄よ!」
ルナールがカッと両目を見開くと、ロードは後方に吹き飛ばされた。何か、見えない力で殴り飛ばされたかのような感覚だった。
ロードはそのまま床を転がり、カレリアの氷柱の側まで押し戻された。後頭部を壁にしたたか打ちつけ、一瞬意識が朦朧となる。
「く…くそおっ…!」
ロードは頭を二、三度振ると、また立ち上がった。ナイフは、手の中。
「うああああッ!」
再び駆ける。ルナールに向かって、一直線に。
しかし、結果は同じだった。何度突進しても、その度に見えない力で打ちのめされる。ロードは、頭や肩、背中、腰を、何度も床にぶつけていた。
荒い息をして、立ち上がるロード。唇の端からは、血が滴っていた。テーブルの角にでもぶつけたのか、こめかみの辺りからも赤いものが流れていた。
「ふ…復讐なんかしたって、何になるっていうんだ…。マドゥーイの人々を皆殺しにしたって、あなたの家族は帰って来ないんだぞ…。何の意味も、ないんだぞ…!」
「坊やにはわからないでしょうね。三百年もの間、ここでたった一人暮らしてきた私の苦しみなど。私たち一族は、二、三年は食事を採らなくても生きてゆける。だから、飢えることはなかったわ。いざとなれば、裏の畑から野菜や果物を採ることができた。でも、孤独だけはどうしようもなかった。この城の中に、たった一人。三百年も、たった一人で暮らしてきたのよ!」
「だ…だからって、街の人に復讐するのは…」
「筋違い? そうかも知れないわ。でもね、私はこの目で見たのよ。お父様やお母様、お祖父様にお祖母様、それに可愛い弟や妹が惨たらしく殺されるのをね! 誰も『力』を悪事に使ったことはないわ。それどころか、お母様は『力』を、病人の治療に使っていたのよ。なのに、魔性の血が流れているというだけで、みんな殺されてしまった…。そんなことって、許されてもいいことなの? 昔のことだからって、水に流してもいいことなの?」
「よくはないよ! だけど、今のマドゥーイの人たちが、あなたの家族を殺したわけじゃない! それを殺そうとするのは…!」
「あなたみたいな坊やに、私の気持ちがわかってたまるものか!」
ルナールは、怒りの言葉と同時に、渾身の衝撃波をロードにぶつけた。
ロードは吹き飛び、背後の壁に思い切り叩きつけられた。息が詰まり、唾液が宙を舞う。濁った血も、何粒か混じっていた。
そのまま、ロードは壁にもたれるようにして崩れた。右手に握られていたナイフは、少し離れた床の上に転がっていたが、それを拾う気力はなかった。
痛みと悔しさで、涙が滲む。
「いい加減、わかったでしょう? 私に逆らっても無駄だということが。その子を救う方法は、ハロルドの剣を持って来ることだけなのよ」
そう言い残して、ルナールは食堂を後にした。
扉が閉じ、部屋にはロードと、氷漬けのカレリアだけが残された。
ロードが座っているのは、カレリアのすぐ隣。手を伸ばせば、カレリアを覆う冷たい氷に触れることができる。
ロードは身体中を駆け巡る痛みに顔をしかめながら、ゆっくりと立った。
「カレリア…」
驚愕の表情のまま、動かない少女。厚い氷が邪魔をして、その頬に触れることもできない。それが、もどかしかった。
ふと思い立って、床に転がっていたナイフを拾い、氷に突き立ててみた。だが、氷にはひび一つつきはしなかった。
落胆して、ナイフを落とす。甲高い音を立てて、ナイフは一瞬、床の上で踊った。
「僕の力じゃ、君を助けることはできない…」
ロードは氷に額をつけて、声を震わせた。
結局、ルナールに従うしかないのか。
だが、そうなれば大虐殺が始まる。自由になれば、ルナールはあの人ならざる力を使って、マドゥーイの人々を殺し尽くすだろう。
あの憎悪に満ちた眼差しは、本物だった。あの復讐鬼を解き放ってはならない。
しかし──。
このままでは、カレリアは氷漬けのままだ。死んではいないが、いつまで保つのか。冬眠にも仮死にも限界はある。長い時間が経てば、本当の死に直結してしまうかも知れないのだ。
カレリアが死ぬ。それだけは耐えられない。
カレリアを救いたい。あの笑顔を、もう一度見たい。澄んだ声を、もう一度聞きたい。そのためなら、何を犠牲にしても…。
「いいや、だめだ」
ロードは頭を振った。危険な考えに陥りそうになった自分を叱咤する。
街の大勢の人々を犠牲にして、自分だけ助かったとしても、カレリアは喜ばないだろう。ロードだってそうだ。
街の人々の命と、カレリアの命。どちらかを選べと言われても、無理な話だ。天秤にかけることなど、できやしない。
となれば、道は一つだ。いくぶん冷静さを取り戻した頭で、ロードは考えた。
今は、ルナールに従おう。だが大虐殺を見過ごすつもりはない。カレリアを救い、ルナールの復讐も止めてみせる。
きっと、何か方法があるはずだ。
「だから、待っていてくれ…」
ロードは氷の表面に指を滑らせた。その向こうの、カレリアの頬を撫でるように。
指を離すと、ロードはナイフを拾い、歩き出した。
食堂を出、廊下を戻り、ホールを抜ける。
玄関の扉をくぐり、芝生に挟まれた一本道を進んで城門を出た。
「きっと、帰ってくる…!」
自分の心に、そしてカレリアにそう誓って、ロードは城に背を向けた。
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