第12話 檻の中の魔女

「条件…ですか?」

 椅子に座り直して、ロードが問う。女性は頷いた。

「そう。あなたたちに、持ってきて欲しいものがあるの」

 この時になって初めて、ロードは女性の声が低くなっていることに気付いた。

 何か、暗い感情が蠢いている。そんな声である。

「何を…持って来ればいいんですか?」

 喜びの感情を打ち消し、警戒しながらロードは尋ねた。

「ハロルドの剣」

 黒髪の女性は、静かに、そう答えた。

「マドゥーイのクスィ教会にあるはず。もっとも、厳重に隠してあるでしょうけれど」

「教会…? 隠して…?」

 ロードが反芻している間に、カレリアの顔色が変わった。

「あたしたちに、教会に盗みに入れって言うんですか!」

「結果的には、そうなるかしら」

 黒髪の女性は、さらりと言う。

 今のこの女性の表情からは、優しさや暖かさが消えていた。官能的な薄紅色の唇に浮かぶのは、打算的な微笑。

 これが、この女性の本当の姿なのだろうか。それとも、これは演技なのか。ロードには、判断がつきかねた。

「そんな!」

 カレリアが悲痛な声を上げる。

 カレリアはクスィ教徒ではないが、教会は神聖な場所だ。そこに泥棒に入るなど、できるはずもないことだった。

 なぜ、この女性はこんな無理難題を自分たちに課すのか。ロードは、その訳を尋ねた。

「ハロルドの剣は、聖玉を破壊できる唯一の武器だからよ」

「せい…ぎょく…?」

「そう。この城の周囲に強力な結界を張っている、忌々しい玉…!」

「結界…? 一体、何のことなのか…」

「わからないでしょうね、あなたたち普通の人間には。このウェックスフォルト城をすっぽりと覆うように、結界が張られているのよ。それは、あなたたちのような凡人は通しても、私は通さない。私は、ここを出ることができないのよ!」

 今や女性の瞳は、怒りに大きく見開かれていた。

「その結界を作り出しているのが、聖玉。ハロルドの剣は、聖玉を作った、神父ハロルドの霊力が宿った剣。聖玉を破壊できるのは、その剣だけなのよ」

「あ…あなたは…一体…」

 ロードは椅子を立ち、後退りしながら問うた。

「教えてあげるわ、坊や。私は…」

 言いながら、黒髪の女性も立つ。その美しい顔は怒りに紅潮し、全身から、周囲を威圧するかのような「気」を発していた。

「ロード…!」

 異常に気付いたカレリアが、ロードに駆け寄る。ロードはカレリアを後ろに庇った。

「私の名は、ルナール。ルナール・ウェックスフォルト」

「ウェックスフォルト…!」

「そう! 私は、三百年前、ここで殺されたウェックスフォルト家の長女! 異端と呼ばれ、槍で串刺しにされた挙句、生きながら燃やされた父、アールニック・ウェックスフォルトの一番目の娘よ!」

「そ…そんな、馬鹿な!」

 そんなことが、あるはずがない。ロードは驚愕に呻いた。

 ウェックスフォルト家が惨殺されたのは、三百年も昔だ。たとえ事件の前日に生まれた娘だったとしても、三百歳。こんなに若いはずか…いや、そもそも生きているはずがない。

 そんなロードの心中を察したのか、ルナールは含み笑いを洩らした。

「私はあなたたち凡人とは違うのよ。三百年前にマドゥーイの人間たちが言ったように、私の一族は魔の一族。魔性の者なの」

「魔性の…者」

 ロードが、ごくりと唾を飲み込む。

「『魔』の血を受けた者には、特殊な能力が備わるのよ。長命も、その一つ」

「そんな…」

 ならばあの時──玄関でルナールに見つめられた時に感じた悪寒は、恐怖のためだったのだ。人間ならざる力を持つこの女性に、ロードは本能的な恐怖を抱いたのだ。

 信じられなかったが、嘘と断定することはできなかった。

 今もロードは、ルナールに尋常でない気配を感じているのだ。

「財宝はあげる。だから、その代わりにハロルドの剣を持ってきて頂戴。それで、契約は成立するわ。あなたたちには財宝、私には自由。悪い取引じゃないと思うけど」

 自由。つまりこの女性は、ハロルドの剣を使って聖玉を破壊し、この城を覆う結界を破ることが望みなのだ。結界が破れれば、この女性は自由を得ることができる。だが…。

「結界を破って、自由になって、それから…? それからあなたは、どうするつもりなんだ…?」

 ロードは、恐る恐る尋ねた。

 ルナールの答えが予想できたからだ。できれば、外れて欲しい予想だが。

 ルナールの家族は、マドゥーイの人々によって惨殺された。ルナールの話から推測すると、そのハロルドという神父が指揮をとっていたのだろう。そして、一家を皆殺しにした後、この城を呪われた城として封印した…。

 そして、ルナールが次に放った言葉は、ロードの予想通りだったのである。

「復讐よ…!」

 凄味のある声に、カレリアが身をこわばらせた。

「私の家族を殺した、街の人間たちに復讐してやるのよ! お父様やお母様、弟や妹たちの恨みを、晴らしてあげるのよ!」

 ごうっ、と風が吹いた。自然の風ではあり得ない。ルナールを中心として、空気が渦巻いているのだ。

「迂闊だったわ…時を待っているうちに、城への侵入を許し、結界まで張られてしまった。あの夜、すぐにでも奴らを殺してやればよかったのに…!」

 風が強くなる。ルナールの怒気に、風は反応しているようだった。ロードとカレリアはたたらを踏んで数歩下がる。

「長かった…でも、それももう終わり。ようやく悲願が果たされるのだわ…! 街の人間に復讐できるのよ!」

「でも!」

 風に負けまいと、ロードは叫んだ。

「でも、それはもう三百年も昔のことじゃないか! 今のマドゥーイに住んでる人には、関係のないことだよ!」

「世代が違おうが、関係ない! マドゥーイに住む人間は、皆殺しにしてやる!」

「そんな…そんなの、おかしいよ!」

 そう言ったロードの顔を、ルナールは鋭い視線で睨み付けた。

「ええ、おかしいわ! そんなこと、わかってる! でもね…そうでもしなければ、お父様たちの魂は浮かばれないのよ!」

 ルナールは、拳を思い切りテーブルに叩きつけた。冷水の入ったグラスが倒れ、床に落ちて粉々に砕けた。

 もう、目の前の女性は優しい貴婦人ではない。恐るべき復讐鬼だ。

 殺された家族の恨みを晴らす。それだけを考えて生きてきた女性だった。

 ロードとカレリアは身を寄せ合って、ルナールからできるだけ離れた。

 壁に、背中が触れる。

「さあ、約束なさい。ハロルドの剣をここに持って来るって。そして、私をこの忌々しい呪縛から解き放つって。この結界の中では、『力』もずいぶんと制限される。私自身の力では、結界を破ることは不可能だわ。だから…」

「そんなこと、できるもんか!」

 ロードはギュッと拳を握りしめて、叫んだ。

「結界が破れれば、大虐殺の始まりだ。その手引きをするなんて、まっぴらだよ!」

「財宝はいらないの?」

 その台詞に、ロードは言葉を詰まらせた。

 カレリアを見る。だがカレリアに、迷いの色はなかった。

「大勢の人の命を犠牲にしてまで、お金が欲しいとは思わないわ!」

 その言葉は、ルナールにとって意外だったようだ。わずかに目を見開き、カレリアとロードを交互に見比べる。

 二人の顔は、真剣だった。

 風が、ぴたりと止んだ。

 ルナールは、吐息混じりに笑う。

「人間は、利己的な動物だと思っていたけれど…こんな人間もいたのね…」

 そう言って、右手を伸ばし、掌をロードとカレリアに向ける。

「でもね…あなたたちに、選択の余地はないのよ」

 次の瞬間である。

 突如としてロードの肌が寒気を感じた。同時に、細かい氷片のようなものが宙に浮いているのが目に入る。

 そして──。

 パキンッ!

 そんな音が聞こえたかと思うと、カレリアの周辺の空気──正確には、空気に含まれていた水蒸気が瞬時に凍結した。

 異変に気付いた時、ロードの隣には氷の墓標が立っていた。その中に、目を大きく見開いたままの、カレリアの姿がある。

「カレリアァァッ!」

 ロードは、絶叫した。

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