第11話 財宝の行方
紫色のゆったりとしたドレスを着た、黒髪の美女。
惨殺された主とその一家の亡霊が漂っているという噂が立ち、呪われた城として誰一人近づくことのなかった、ウェックスフォルト城。そこにこんな女性がいるなど、誰が想像しただろう。
古城の建つツェルアム山の登山の途中、城に明かりが灯った。それは、この城に隠れ住む誰かの仕業だとは思っていたが、まさか女性だったとは。
山賊、あるいは指名手配中の犯罪者が隠れているのだろう。ロードはそう見当をつけていた。それだけに、この美女の出現は驚きであった。
カレリアも、考えるところはロードと同じらしい。女性の美しさに嘆息すると同時に、双眸を驚きに見開いている。
「あ…あなたは…」
先に口を開くことができたのは、カレリアだった。
女性は、微笑む。穏やかで清楚な、淡い月明かりのような笑顔。
「そんなに驚くことはなくてよ。古い城だけれど、廃墟ではないわ。人が住んでいたとしても、不思議ではないでしょう?」
そう言って女性は、優雅に身体の向きを変えた。扉の方へ。
「さあ、いらっしゃい、小さなお客様がた。せっかくの夕食が冷めてしまうわ」
女性は手招きをするが、ロードもカレリアも、すぐに動くことはできなかった。
未だに信じられないのである。目の前の女性の存在が。自分たちは今、幻を見ているのではないだろうか。それとも…。
背筋が凍るような考えが、二人の頭に浮かぶ。
麓の街、マドゥーイの人々が信じる噂だ。三百年ほど昔、ウェックスフォルト一家はここで惨殺された。魔性の者というレッテルを貼られて。
それ以来、この古城には亡霊が棲むという。怨みを残して死んでいったウェックスフォルト家の人々の亡霊が。そして、城を訪れる者を呪い殺してしまう、と。
ロードとカレリアは、ほぼ同時に顔色を変えた。恐怖の色に。
二人の顔色から思うところを察したのか、女性はまた微笑んだ。
「大丈夫。私は幽霊ではないわ。脚だってちゃんとあるし、身体が透けているわけでもないでしょう?」
言われてみれば、その通りだった。どう見ても、生身の人間である。ただ、彼女の美貌やその身に纏った雰囲気は、どこか現実離れしたものではあったが。
「だから、安心してお入りなさい」
言いながら、黒髪の女性は城の中に入って行った。扉は開けたままである。
二人は、どうしたものかと顔を見合わせた。
呪われていると麓の人々が恐れ、誰も近づくことのなかった古城に、世にも稀な美女が現れた。どう考えても、普通とは思えなかった。このまま、素直に招きに応じてよいものだろうか。
たが、あの黒髪の女性が自分たちに危害を加えるとも思えない。二人を招いた時の微笑は、穏やかだった。とても、悪意を抱いている者が見せる表情ではない。
「どっちにしても、城に入らなきゃ、財宝は手に入らないんだ…」
ロードは呟いた。
もしもあの女性がこの城の今の主だとすれば、財宝は無断で拝借するわけにはいかなくなる。事情を話して、必要な分だけ分けてもらうしかないわけだが、どちらにせよ、ここに突っ立っていたのでは何も始まらない。
二人は、頷き合った。
「とにかく、入ろう。あの人も、悪い人には見えないし」
「そうね」
意を決すると、ロードとカレリアは歩き出した。
そして、謎めいた古城に足を踏み入れたのである。
玄関を抜けると、そこは天井の高いホールだった。
二階まで吹き抜けになっているのだろう。鮮やかな模様の描かれた天井からは、豪華なシャンデリアが下がっている。何十本もの蝋燭が、そこで淡い炎を灯していた。
左の壁には、金色の額に入った肖像画が何枚か掛けられていた。歴代の城主だろう。白く立派な顎鬚を蓄えた老人や、どこか神経質そうな紳士、柔和そうな中年の男性と様々だった。
一番奥にある肖像画には、褐色の髪の、まだ三十代半ばだろうと思われる紳士が描かれていた。端整な顔立ち。肌はわずかに青白かったが、神経質な雰囲気はない。口許に浮かんだ微笑は、穏やかだった。
この男性が、ウェックスフォルト城における最後の城主。三百年前、ここで惨殺されたという一家の長であった。むろんロードとカレリアには、そんなことはわからない。
広いホールを抜けると、天井が低くなる。もちろん、ホールの天井と比較しての話であって、普通の家に比べれば格段に高い。直線の廊下を少し歩くと、十字路に出た。
正面の廊下は、かなり奥まで続いている。両壁に窓があって、そこから月明かりが差し込んでいることから、それが渡り廊下であることがわかる。おそらく、後ろの棟に続いているのだろう。
「こっちよ」
黒髪の女性は、二人を促して左に折れた。そこからまた廊下が続いている。
右側は等間隔に窓が並んでおり、窓と窓の間にランプが掛かっている。窓の外には、清楚な花の咲き並ぶ中庭が見えた。この中庭も玄関の前の芝生と同様、よく手入れが行き届いていて、雑草は綺麗に刈り取られている。
左側には、木製の扉が並んでいた。華美ではないが、落ち着いた基調の模様が浮き彫りにされていた。長い年月が経っているというのに、少しも痛んだ様子がないのが不思議だった。
「ずいぶん綺麗ね…」
少し前を行く女性に聞こえないように、カレリアはロードの耳元で囁いた。
「そうだね」
ロードも小声で答える。
ロードの見る限り、これが三百年も放置されていた城とは思えない。明らかに、この城には人が住んでいる。それも、目の前を歩く、この女性一人ではない。他にも、執事や召使いのような人がいるのだろうと、ロードは思った。痛んだ扉を修理したり、雑草の生えた庭を手入れしたりするには、どうしてもある程度の人手が必要だからだ。
それにしても、この女性はいったいどういう人物なのか。いつから、そしてどうしてこの古城で暮らしているのだろうか。疑問は尽きない。
「ここよ」
女性が歩みを止める。ロードとカレリアも立ち止まった。
他の部屋と比べて、一回り大きな両開きの扉。装飾も豪華である。女性は二人に微笑みかけると、静かに扉を開けた。
奥行きのある、広い部屋だった。中央にテーブルが置かれ、その上に料理と銀の燭台が載っている。この燭台の明かりと天井のシャンデリアが、部屋から闇を駆逐していた。
左手の壁には、半ばはめ込まれたような造りの暖炉があり、中では炎が揺らめいている。このため、部屋は暖かかった。暖炉の上には、花を生けた花瓶と、小さな写真立てが載っている。
「さあ、座って」
黒髪の女性が、椅子を勧める。
テーブルには、背もたれの高い椅子が、ちょうど三脚。まるで、ロードとカレリアの来訪をあらかじめ知っていたかのようだ。カレリアも不思議に思ったのだろう。ロードがふとカレリアに視線を向けると、彼女もロードを見ていた。
とにかく、ここで突っ立っていても仕方がない。二人の意見はそういうことで一致し、それぞれの席についた。
「あまり豪華じゃなくて、ごめんなさいね。でも、味は保証するわ」
女性はそう言って、銀のスプーンを手に取った。
確かに、それほど豪勢な食事とはいえない。料理がテーブルを占める割合は、そう大きなものではなかった。
三人の前に並んでいるのは、レタスとトマト、それにレモンを添えたサラダ。馬鈴薯を蒸かして、果汁を染み込ませたもの。種々の野菜を煮込んで、塩で味付けしたスープ。それに、デザートとして緑色の葡萄が一房、皿の上に載せられていた。
疑問だったのは、スープの味付けに使われている塩以外は、すべて野菜であるということだった。肉を使った料理が一つもない。それが不満だったわけではないが、ロードにはどこか不自然な感じがした。
「あなたたち、下の街から来たのでしょう?」
スープを喉に流し込んでから、女性は口を開いた。
「は、はい」
答えたのはカレリアだった。
「あたしの家は、マドゥーイの近くです。牧場があって、牛も飼ってるんですけど…」
「そう…あなたも、働いてるの?」
「はい。学校に行くお金がありませんから…でも、お母さんの残した教科書で、勉強はしています。色んな本も読みました」
「残した…? お母様は、お亡くなりになったのね?」
「ええ、二年前に。今は、お父さんと二人で暮らしています。でも、お父さんも病気で、働けなくて、それで…」
ロードは、カレリアが本題に入ろうとしているのに気付いた。
ここにある食器も、燭台も、シャンデリアも、かなり価値のあるものである。この古城に、莫大な財宝が残っているのは間違いない、とロードはみていた。少なくとも、カレリアに必要な分くらいはあると考えていいだろう。
「それで、ここへ来たというわけね」
顎の下で指を絡ませて、女性は言った。うつむき加減だったカレリアの顔が、はっと女性に向けられる。
黒髪の女性は、すべてを知っているような微笑みを浮かべていた。
「わかって…いたんですか?」
女性は頷く。
「あなたたちが麓に来たとき、感じたわ。この夕食も、あなたたちを迎えるために用意したものなのよ」
言葉を失うロードとカレリア。
(か…感じた? 一体…どうやって?)
麓からここまで、徒歩で三時間もかかるのだ。そんなに距離が離れていて、気配を感じたというのだろうか。
「お父様が病気で、あなた一人じゃ十分なお金が稼げない。そうね…借金の返済に困っている。そんなところかしら」
「そ、その通りです!」
カレリアは身を乗り出した。
「お金が返せないと、牧場も、家も、みんな取られてしまうんです! でも、あたし一人の稼ぎじゃ、とても払い切れない…だから、ここに来たんです!」
「お願いです!」
ロードも声を上げた。
「ここには、莫大な財宝が残っているって噂を聞きました。もし、それが本当なら、少しだけでいい、分けてくれませんか。でなければ、カレリアと、彼女のお父さんは生きる術をなくしてしまうんです!」
「そう…その子、カレリアっていうの」
目を細めて、女性が言う。その時になって初めて、ロードは自分の名前すら名乗っていないことに気付いた。
「す、すみません、自己紹介が遅れてしまって。僕はロード。彼女はカレリアって言います」
真面目に頭を下げるロードに、黒髪の女性はくすりと笑ったようだった。
「そうね。確かに、噂通り、ここには財宝があるわ。かなりの金額のね」
「だったら、それを…! ずうずうしいとは思いますけど、もう、これしか…!」
ロードは、さらに頭を低くした。
「お願いします! 少しでいいんです! 借金が返せて、お父さんの病気が治療できれば、それだけで…!」
カレリアも、声を震わせながら頭を下げた。
女性は苦笑したようである。
「二人とも、頭を上げて。そのままじゃ、まともに話もできないわ」
言われて、ロードとカレリアは顔を上げる。懇願するような視線が、二対、女性に真っ直ぐに注がれていた。
黒髪の女性は、微笑した。
「二人とも、私を鬼か何かだと思っているのかしら? それとも、金銭欲に取り憑かれた女にでも見える?」
二人は、少しの沈黙の後、女性の言葉の意味を察して、目を見開いた。
「それじゃ…!」
ロードが椅子を立ち、思わず身を乗り出す。
「あげるわ。必要な分だけ、いくらでも」
「ほ…本当ですか!」
「ええ、本当」
やったあ、とロードは拳を突き上げ、カレリアは安堵のあまり涙していた。だから、この時女性が浮かべた微かな冷笑に、二人とも気づかなかった。
「ただし」
「え…?」
「ただし、一つだけ条件があるの」
女性の瞳が、二人をひたと見つめていた。
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