第10話 古城で待つもの

 ウェックスフォルト城にたどり着いたのは、それからおよそ三時間の後だった。

 山道は途中から石段に変わり、アーチ状の門に繋がっている。

 アーチは石のブロックを積み上げて造られたもので、見たこともないような動物の浮き彫りがなされている。アーチの左右には、同じく石造りの城壁が伸びていた。城壁にそれほど高さがないのは、この城が戦略上の拠点としてではなく、住居として建てられたものであることを物語っている。

 城門の両脇にはランプが掛けられていて、オレンジ色の炎が揺らめいていた。

 ロードとカレリアは小さく頷き合ってから、門をくぐる。

 城門から直線の道が続いており、両側は芝生になっている。この山に登ってから初めて目にする緑だ。長い間誰も住んでいなかったはずなのに、芝生は綺麗に短く刈り込まれている。やはりこの城には人がいるのだと、二人は確信した。

 道を進む二人。

 石造りの、横に長い四階建ての建物が正面にあり、両端が高い塔になっている。登ってくる途中に見えた尖った屋根は、この塔のものだ。そしてそれぞれの塔を軸にして、直角に接するようにして三階建ての建物がこちらに張り出している。

 正面の建物の陰からまだ二本の円錐状の屋根が見えることから、後ろにも建物があるのだろう。城というよりは、大規模な屋敷といった感じである。

 建物を形成する石のブロックは、すべてツェルアム山の岩肌と同じ、灰色だ。だが、数え切れないほどある窓からことごとく明かりが洩れているので、今はオレンジ色に映えている。

 二人は無意識のうちに足音を忍ばせ、玄関の前に立った。

 頭上には日除けのための屋根が張り出していて、美しい紋様の彫り込まれた柱で支えられている。屋根の裏側にも、動物の浮き彫りがなされていた。

 玄関の扉は木造で、どっしりとした重量感がある。城門をそのまま小さくしたようなアーチで縁どられており、ここにも彫り物がされていた。小さな葉をつけた蔓がアーチを這い上がっているといった感じの模様である。

 扉には金属の輪がついている。これを引いて扉を開けるのだろうが、中に何者が潜んでいるのかもわからないのに、すぐに開けてしまうほどロードは軽率ではない。ロードは唇に人差し指を当てて、カレリアに静かにしているよう合図した。それから扉に耳をつけて、中の様子を探る。

 だが、扉の向こうからは何の物音も聞こえなかった。自分の勘を信じるなら、人の気配も感じられない。

 ロードは扉から耳を離した。

「…誰もいないの?」

「わからない…人の気配が感じられないんだ。こんなに明かりがついてるくらいだから、たくさんの気配が感じられてもいいはずなのに…」

 ロードはどうもわからないといったふうに首を傾げた。

「話し声も聞こえない…やっぱり、誰もいないのかも…」

「じゃあ、この明かりは何? 少なくとも、麓からこの城を見た時は、明かりはついていなかったはずよ」

「そうだよな…だとしたら、気配を断っているのか…」

「気配を…断つ?」

「そう。プロの殺し屋とか、スパイなんかは、自分の気配を消すことができるんだ」

「そんなに怖い人たちがいるの…?」

「わからないよ…」

 言いながら、ロードは左右の建物を見た。窓から人影が見えないかと期待したのだが、ロードの見た限りでは、それらしい影は見つけられなかった。

 殺気が感じられないから、どこかに隠れていて、ロードたちを殺そうと待ち構えている者がいるとも考えにくい。自分の勘を信じるならば、だが。

「わからないな…」

 ロードは、低く唸った。

 状況が把握できない以上、軽率に行動するのは命取りである。ロードは、これからどうすべきかを考えていた。

 カレリアも、ロードの思うところを察したらしく、黙ってロードの考えがまとまるのを待っていた。

 こういう大きな屋敷に忍び込む時には、窓からと相場が決まっているのだが、すべての窓という窓から明かりが洩れている今、この手は使えない。どの部屋に何者が潜んでいるのか、わかったものではないからだ。

 だとすれば、玄関から正々堂々と侵入するべきか。

(いや…侵入っていうのは、いい表現じゃないな。この場合は、潜入…かな?)

 どちらにしても、あまり良いこととは思えない。ロードはそれに気づいて苦笑した。

「どうしたの?」

 カレリアが怪訝な表情で尋ねてくる。

「い、いや、何でもないよ。ちょっと、語学的な問題でね」

「…?」

 カレリアは、ますますわからないといった顔をする。ロードは軽く笑って、あまり考え込まなくてもいいよ、と言ってから、意識を本題に戻した。

 ともかく、ここでじっとしていても始まらない。城の中に入らなければ、財宝を手に入れることはできないのだから。

 問題は、どこから入るか、なのである。

(少なくとも、扉の向こうに気配は感じられないんだ。正面から入ってみるか…)

 そう考えたロードの耳に、何か音が聞こえてきた。カレリアの息遣いではない。風の音でもない。何が別のものだ。

「足音…?」

 カレリアが言った。彼女にも聞こえていたようだ。

 扉の向こうから、足音が響いてくるのである。落ち着いた歩調のそれは、奥から次第に扉に近づいてくる。

 堅い靴底が大理石の床を打つ。そんな音だった。

「カレリア!」

 押し殺した声で言って、ロードはカレリアの手を引いた。そして、扉のすぐ横の壁に背中を押しつける。ここにいれば、扉が開いてもすぐに見つかることはないだろう。

 足音は、さらに大きくなる。明らかに、玄関に向かっている。

(僕たちに気づいてるのか…?)

 そんな不安が、脳裏をよぎる。

 カレリアは、ロードの手を強く握りしめていた。強気なことを言っても、やっぱり女の子なんだな、と、ロードは微笑した。

「大丈夫だよ。君は、僕が護る。何があっても」

 ロードはカレリアを安心させるように、精一杯不敵な笑みを浮かべてみせた。こわばった表情のカレリアは、無言で頷く。

 ロードは腰のベルトに差しておいたナイフを引き抜き、逆手に持った。もしも自分たちに危害を加えるような相手が現れたら、迷わず戦うつもりである。今のロードに、戦いに対する躊躇いはなかった。できれば、殺したくはないとは思うが。

 足音が止まる。扉の前で立ち止まったのだ。

 扉が軋む。ロードは、ナイフを持つ手に力を込めた。

 ゆっくりと、扉が開いた。中の明かりが洩れて、石畳の床に影が伸びる。ロードが想像していたよりも、ほっそりとした影だ。

(女性…?)

 玄関に姿を現したのは、ロードの思った通り、女性だった。

 どうして、こんなところに女性が。そう考える前に、ロードはその女性の美しさに目を奪われた。同性であるカレリアさえも。

 艶やかな黒髪は腰まであり、雪のように白い肌がよく映えている。整った細い身体は紫色のドレスで覆われており、長いスカートの裾からは細く締まった足首がのぞいていた。

 妖艶さと同時に、清楚な雰囲気も兼ね備えた、不思議な魅力を持つ顔立ち。周囲に漂うのは、上品な香水の香りだった。

 女性は、始め城門のほうを見つめていたが、やがてゆっくりと振り向き、ロードたちに視線を向けた。まるで、初めからロードとカレリアの存在に気づいていたかのように。

 どことなく翳りのある瞳に見つめられたロードは、背中に悪寒が走るのを感じた。それが、女性のあまりの美しさに魅入られたせいなのか、それとも何か別の理由によるものか。ロード自身にもわからなかった。

「お入りなさい。そんなところに立ったままでは、風邪をひいてしまうわ」

 薄く紅を差した唇から、透き通った声が流れ出た。

「ちょうど、夕食の準備ができたところなの。ご一緒にいかがかしら?」

 女性は、微笑んだ。

 夜空に浮かぶ月のように、穏やかで、清らかな笑顔だった。

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