第6話 出発

「お父さんのことは、お隣のジェシカおばさんにお願いするわ。気のいい人だから、きっと引き受けてくれると思う」

「牛たちのことは?」

「朝、牧場に放しておくわ。二日もあれば、帰って来られると思うから」

「そうか。じゃ、準備を済ませてしまおう」

「ええ」

 カレリアは戸棚の上からもう一つ革のリュックを下ろすと、ロードに手渡した。ロードはそれに、二日分の食料や懐中電灯、ナイフなどを詰め込んだ。

 こんな時、ヒート・ソードがあれば、と思う。

 ヒート・ソードとは、柄のスイッチで刃に高熱が宿る剣状の武器である。その熱は鉄をも溶かし、接近戦では絶大な威力を発揮する。これを腰に下げ、熱線銃を持つのがトレジャー・ハンターや傭兵の基本スタイルである。

 ヒート・ソードがあれば、熊と遭遇したとしてもどうにかできる。もちろん殺すつもりはないが、脅しにはなるはずだ。

 しかし、今のロードの腰には、それがない。この惑星に下りたのは宝探しのためではなかったので、宇宙艇の中に置いてきたのである。無意味に武器を持って歩くのは野蛮人のすることだと、最近のロードは考えていたのだ。

 それが裏目に出た。だが、今更悔やんでもヒート・ソードが手に入るわけでもない。ロードは諦めて、万一の時はナイフで何とかしようと思った。一抹の不安は拭い切れないのだが。

「ね、ロード」

 リュックを閉じたカレリアが、遠慮がちと思える口調でロードを呼んだ。

「ん…何?」

「あたしね…本当は、心細かったんだ。本当に熊が出たらどうしようって。だからロードが一緒に行ってくれると、とても心強いし、嬉しいわ。ありがとう」

「そ、そんなこと…」

 ロードはわずかに頬を染めて、カレリアから顔を背けた。

「そ、それより、あるといいね、財宝」

「ええ。きっとあるわ。あって欲しい…」

 カレリアは遠くを見るような目で、キッチンの窓からのぞく山脈を見つめた。

 その横顔が美しい。ロードは、知らず知らずのうちにカレリアに見惚れていた。

「どうしたの?」

 ロードの視線に気づいて、カレリアが怪訝そうな顔を向ける。

「あたしの顔に、何かついてる?」

「い、いや…」

 ロードは狼狽して、窓の外に視線を移した。

 ナーディル山脈が、星空を背景に、藍色に浮かび上がっている。

「本当に、あって欲しいな…」

 ロードは呟いた。

 自分の中で、トレジャー・ハンターの血が騒ぎ始めたことを感じながら。



 次の日の朝、二日分の食料を始め、その他諸々の荷物を背負って、ロードとカレリアは家を出た。カレリアの父、ピーターには内緒で。

 話せば、必ずピーターはカレリアを止めるだろうから。とはいえ、突然娘がいなくなったことに気づけば、さすがに心配するだろう。だから、一応書置きはしておいた。ウェックスフォルト城に行くのだから、書置きをしたところで安心はしないだろうが。

 家を出ると、その足でまず隣の──といっても牧場を挟んでいるので、かなり離れているのだが──ジェシカという女性の家を訪ねた。

 ジェシカという人は、恰幅の良い、逞しそうな中年の女性だった。豪快に笑ってしまいそうな雰囲気は、どことなくバイ・ザーンに似ているとロードは思った。

 カレリアがウェックスフォルト城に行くと聞いた時はさすがに驚いたようだったが、止めはしなかった。

「考えて考えて決めたことなんだろう? だったら、やり遂げるがいいさ」

 そう言って、ピーターの面倒を快く引き受けてくれた。ただ、一つだけ条件があった。それはカレリアが必ず無事に帰ってくること。その言葉を聞いて、カレリアは涙ぐんだものである。

「さあ、元気に行っといで! 坊や、カレリアを頼んだよ!」

 ジェシカに背中を叩かれて、二人は出発した。

 隣接するたくさんの牧場の間を縫って、二人はツェルマス山の東斜面に向かう。

 ウェックスフォルト城のあるツェルアム山に至るには、ツェルマス山とその東隣に聳えるツェルアク山とに挟まれた谷を抜けるのが最短のルートである。谷を抜ければ、ツェルアム山の麓に出るのだ。

 今日も、快晴だった。

 東寄りの空に太陽が眩しく輝き、空は抜けるように青い。早朝の涼やかな風が心地好く、青々とした牧草の匂いが鼻をくすぐった。

 すでにあちこちの牧場では、牛たちが放されている。大きな身体をゆっくりと動かして移動しては、首をもたげて牧草を食べる。のんびりとした光景だった。それに反して、人間はのんびりしてはいられない。牛が牧場に出ている間に、牛舎を掃除しなければならないのだ。広い牛舎の掃除がいかに大変か、ロードは身に染みて知っていた。

 しばらくは、緑の牧場が続く。ちょっとしたハイキングの気分だ。ロードは思わず口笛を吹きそうになって、慌てて止めた。これから熊の出る谷を歩かなければならないのだ。気を抜いてはいられない。

 少しすると、ロードたちが行こうとしている方角から、一人の男性が歩いて来るのが見えた。茶色のジャケットを着て、左手に革の袋を下げている。距離が近づくと、四角い眼鏡をかけているのがわかった。

「カレリアじゃないか」

 その男性は、カレリアを認めると右手を上げた。まだ二十代後半といった風貌だ。

「アウランさん!」

 カレリアは笑顔を浮かべて、手を振り返す。それから、その男性に駆け寄っていった。

 長身の、端整な顔立ちの男性だった。逞しさというよりは、むしろ知的な雰囲気を感じさせる。牧場の多いこの土地には、あまり似つかわしくない。

「アウランさんは、薬学の専門家なの。木の実や草から薬を作って売っているのよ」

 カレリアはロードにそう紹介した。言われてみると、彼が下げている袋には、様々な草が詰め込んである。薬の原料だろうか。アウランは、

「そんなごたいそうなものじゃないけれどね」

 と苦笑する。穏やかそうな人だった。

「ところで、どうしたんだ? 今頃は、牛舎の掃除をしてるはずじゃないか。それに、その荷物。どこかに行くのかい?」

 そこまで言って、アウランは表情を曇らせた。

「カレリア、君は…」

 カレリアは頷く。決意を変えるつもりはないという意志を込めた瞳で。

「行くわ…あたし。もう、こうするしかないもの」

「そうか…」

 アウランは、静かに視線を山脈に向けた。

「気を付けるんだよ。くれぐれも、無茶はしないように」

「わかってる」

 カレリアは微笑んだ。

 カレリアはこの人には以前から自分の決心を話していたのだろうと、ロードは察した。でなければ、これほど落ち着いていられるはずがない。

「それで、隣の少年は…?」

 アウランが問う。カレリアは、

「あたしの頼もしいボディガードよ」

 と答えた。そして悪戯っぽく片目をつむる。アウランも微笑みを返した。

「そうか、可愛いボディガードを見つけたものだね。ではカレリアを頼むよ。ええと…」

「ロードです」

「ロード君、か。君も気を付けるんだよ」

 アウランが差し出した手を握って、ロードは強く頷いた。

「じゃあ、アウランさん。あたしたち、急ぐから」

「ああ。僕も、早く帰って薬を調合しなければ。じゃ、本当に気を付けて」

「ありがとう。行ってきます」

 二人は歩き出した。アウランとすれ違う。その時、ロードの背中にわずかな悪寒が走った。ほんのわずかだが、本能的な恐怖に似たものを感じたのである。

(何だ…?)

 ロードは足を止め、背後を振り返った。

 視線の先には、アウランの後ろ姿。彼は緑の草原の中を、淡々と歩み遠ざかってゆく。

 悪寒は一瞬だった。今は特に、何も感じない。

「どうしたの、ロード?」

 数歩先を行ったカレリアが立ち止まり、振り返っている。

「あ、うん…何でもないよ。気のせい…かな」

 言いながら、ロードは小走りにカレリアに追いついた。

 やっぱり、気のせいだよな。

 優しそうなアウランの顔を思い浮かべながら、ロードはそう自分を納得させた。

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