第5話 小さなボディガード

 決意を込めた口調でカレリアが口にした単語に、ロードは戸惑った。

「何…何だって? どこへ行くって…?」

「ウェックスフォルト城よ」

 言いながらカレリアは、早足でキッチンに入っていった。ロードは慌てて立ち上がり、その後を追う。

「ウェックス…何とか城って、何でそんなところに?」

 冷蔵庫の中からチーズの塊を取り出すカレリアに、ロードは尋ねた。

「病気のお父さんを残して行くほどのことなのかい?」

「そうよ。あたしたちの生活がかかってるの」

 答えたカレリアの表情は、厳しかった。

「どういうことだよ。ちゃんと説明してくれないか」

 話が見えないことにいらついて、ロードは語気を荒げた。

「ウェックスフォルト城は、ツェルアム山の中腹に建っているわ。このツェルマス山の…そうね、こちらから見て右斜め後ろにある山よ」

「その城に、何の用があるの?」

「財宝を分けてもらうの」

 カレリアはさらりと言ったが、その意外な台詞に、ロードは一瞬言葉を失った。

「財宝…だって?」

「そうよ。あまり人に話したくはないんだけど、あたしたちは借金をしてるの。この牧場と、家を建てるためにね」

「さっきのは、借金取りなのかい?」

「ええ。リカルドっていう高利貸しの部下よ。あたしたちの生活が苦しいのを知ってて、毎日催促に来るの。返せなければ、この牧場をもらうって」

 よくある話だ、とロードは思った。もちろん、それを口に出したりはしない。ありふれた状況でも、その状況下にある者は必死なのだから。

「つまり、借金を返すために、ウェックス…何とか城に行くってこと?」

 チーズやパン、干し肉など、一通りの食料を紙袋に詰めていくカレリア。

「それに、お父さんの治療費も欲しいわ。でも、こんな生活じゃ、そんなお金、一生かかっても稼げない。食べていくだけで精一杯」

「その城に行けば、お金が貰えるっていうの? 城に住んでる人は、そんなに気前がいいのかい?」

 ロードの頭には、城に住むような身分の高い人間は、利己的で高慢だという固定観念があった。お金が欲しいと言われて、気前よく与えてくれるとは思えない。たとえ、生活苦に陥っている人が頼んだとしても、だ。

 貴族とはそういうものだと、ロードは考えていた。

「誰もいないわ、ウェックスフォルト城には」

 カレリアが言った。ロードが双眸を見開く。

「いない? 無人ってこと?」

「そうよ。ウェックスフォルト城に住んでた人たちは、ずっと昔に殺されてしまったの。異端狩りの犠牲になったのよ」

「異端狩り?」

 ロードには聞き慣れない言葉である。カレリアは説明した。

 三百年ほど昔、このカイゼリー共和国──当時は王国だった──に、クスィ教という宗教が興った。それは秩序による人類の救済を唱え、当時の人々に篤く信仰され、カイゼリーの国教的存在にまでなったのだが、その反面、クスィの教えに反するものに対しては冷酷だった。

 犯罪を犯した者はその命をもって償いを求められ、クスィ教に反論を唱える者は容赦なく殺された。そうしたクスィの教えから実行されたのが「異端狩り」である。

 まじないで病気を治す者、占いで人の未来を見る者など、人知を超えた能力を持つ者は、それが本物であろうと偽物であろうと捕えられ、処刑された。ウェックスフォルト城の住人──ウェックスフォルト家の人々も、悪魔に通ずる異端として殺されたのだという。

 後にクスィ教はその残虐さを非難され、次第に勢力を失っていったが、四十年前に教皇の座についた人物が残虐な教えを一掃したことで、再び勢力を増した。ただ今のクスィ教の教えは極めて穏やかなものであり、また異端狩りが行われるようなことはないという。

「悪魔に通ずる者…ね」

 ロードが、侮蔑の念を込めて呟いた。同じような出来事が他の惑星でもあったことを、ロードは歴史の書物で知っているのである。

「ウェックスフォルト家は魔性の力を持っていたというけれど、ただの迷信だわ。あんな山の中に住んでいたから、街の人が気味悪がって、勝手にそう思ったのよ」

 その意見には、ロードも賛成だった。ロードの知識の中にあったのは「魔女狩り」と呼ばれる出来事だが、魔女と呼ばれて処刑された女性の大半は、魔法を使うことができるわけでもない、普通の人間だったのである。

「で、主がいなくなった今、その城には貯め込んでいた財宝が眠っている、と?」

「ウェックスフォルト家の人たちが殺されたのは事実だもの」

 カレリアは、食料を包んだ袋を革のリュックに詰め込んでいた。

「財宝を見た人はいるのかい?」

「いないわ。みんな迷信を信じて、あの城には近づかないから。城には今でもウェックスフォルト家の亡霊が宿っていて、近づく者を呪い殺してしまうって。実際に、城に行くと言って出て行って、そのまま行方がわからなくなった人もいるそうだけど」

 言いながら、カレリアはナイフを手に取る。

「…そんなものも必要なの?」

「一応ね。山には熊も出るって噂だから。行方不明になった人だって、もしかしたら熊に襲われただけかもしれない」

「危険じゃないか!」

 ロードは血相を変えてカレリアに詰め寄った。

「もし本当に熊がいて、君が襲われたらどうするんだよ! そんな小さなナイフじゃ、何の役にも立たないよ!」

「そんなこと、わかってるわ」

 怒ったようなカレリアの顔。

「でも、もうどうしようもないの。このままじゃ、リカルドにみんな奪われてしまう。危険でも、行くしかないのよ」

「それで、僕にピーターさんのことを…?」

「ええ。最近はだいぶ安定してるけど、二日に一回くらいは発作が出るの。そこの戸棚に薬があるから、その時はそれをお父さんに…」

「無事に帰って来られるのかい?」

 カレリアの言葉を遮るように、ロードが尋ねた。やや低い声で。

「え…?」

「熊が出るようなところへ行って、無事に帰って来られるのかって聞いてるんだ。君にもしものことがあったら、お父さんはどうなるんだよ」

「それは…」

 カレリアは、ロードから目を逸らした。

「お父さんはあんな状態だから、君がいなくなったらやっていけないじゃないか。大体、城に財宝があるのかどうかたって、確かじゃないんだろ?」

「あるわ!」

 カレリアが叫ぶ。だがそれは、根拠のない台詞だった。それを知っているかのように、ロードはカレリアに鋭い視線を向けていた。

 一度はロードの顔を正面から見返したカレリアだったが、ウェックスフォルト城の財宝が確証のない噂であることは、カレリア自身がよくわかっている。ロードの瞳を長いこと見てはいられなかった。

 だが、カレリアはあると信じたかった。あって欲しかったのだ。父と母が苦労して作ったこの牧場、そしてこの家を守るために。だから、次にロードが放った台詞は、カレリアには辛かった。

「どんな根拠でそんなこと言うんだよ。城に住んでたくらいだから、金持ちだったはずだって、そんな浅はかな根拠でかい? だったら、ご都合主義もいいところだ! 城に住んでるからって、みんながみんな金持ちだとは限らないんだ! 現に君たちだって、こんな大きな家に住んでるじゃないか!」

「で…でも」

「苦労して城に着いたけど財宝がなくて、挙句の果てに帰り道で熊に襲われでもしたら、それこそ骨折り損だよ! 君のお父さんは、どんなに悲しむと思う?」

「やめてっ!」

 カレリアは、耳を塞いでうずくまった。

 ロードにしてみれば、熊が出るような危険なところに、カレリアを一人で行かせたくなかったのだ。だから必死に止めようとして、つい声を上げてしまったのである。だがロードの説得は、思わぬ結果を招いてしまったようだった。

 カレリアは、両手で顔を覆って、肩を震わせていた。

「カレリア…?」

「わかってるわよ…そんなこと…あたしにだって、わかってる…」

 カレリアの声は震えている。ロードは狼狽した。自分の言葉が、少女の涙を誘うとは思ってもいなかったから。

「でも、もうどうしようもないの。あなたにはわからないのよ…貧しい暮らしっていうものが。藁をもつかむ気持ちって、あなたにわかる? 一人旅に出られるようなお金を持ってるあなたに、わかるの…?」

 ロードは、何も言えなかった。

 カレリアの言う通りだ。ロードは、本当の貧しさを知らない。腕利きのトレジャー・ハンターであるバイ・ザーンは、いつも破格の財宝を手に入れては、莫大な額の金を得ていた。だからその養子であるロードも、金に困ったことはなかったのだ。

 藁をもつかむ気持ち。ロードには、経験がない。

 ロードは、浅はかなのは自分だと恥じ入った。

 追い詰められたカレリアにとって、ウェックスフォルト城の財宝は最後の希望なのだ。生きる場所を守り通すための、まさに最後の砦なのである。

 それを理解せずにカレリアを止めようとしたのは、浅はかな善意だ。

 人には、事情というものがあるのだ。

 ロードは屈んだままのカレリアを見つめ、自分の愚かさを思い知った。ウェックスフォルト城へ行くことは、カレリアなりに考えた結果なのだ。

 カレリアを止めることはできない。そう思った。

 どんなに小さな希望でも、少しでも可能性があるのならば、賭けてみるべきだ。バイ・ザーンはよく、そんなことを言ったものである。未だに義父のことを軽蔑してはいるが、その言葉だけは真実と思えた。

「…ごめん。僕が…その、悪かったよ。よく事情も知らないで、生意気言って…」

 カレリアが顔を上げる。涙は止まっていたが、頬は濡れたままだ。

「ロード…」

「希望だもんな、カレリアの。捨てちゃ、いけないんだよな」

 ロードはそう言った。カレリアの表情が、ぱっと輝く。

「それじゃ、ロード…」

 お父さんのこと、引き受けてくれるの。続くカレリアの言葉をロードは予期した。だから、カレリアが言葉を続ける前に、首を左右に振った。

「それは、誰か他の人に頼んでくれないかな」

「え…でも、ロード、今…」

「そうだよ。君を引き止めることは、もうしない。僕も行くから」

「えっ…?」

 カレリアが、目を瞬かせる。

「君にもしものことがあったらピーターさんが悲しむ。それは事実だからね。僕が一緒に行って、君の安全を守るよ」

「守るって…あなたが、あたしを?」

「そうさ。さすがに熊と格闘するのは遠慮したいけど、僕はトレジャー・ハンターの卵だって言ったろ? 熊の気配くらい感じ取れるよ。気配を感じたらすぐに隠れれば、熊をやり過ごすことができる。ウェックスフォルト城まで、無事につけるってわけ」

「ロード…」

 カレリアの口許に微笑が浮かぶ。

「ボディガードとしちゃ、ちょっと不足かも知れないけど、報酬を請求しないだけお得だと思うよ。そういうことで、どうかな?」

 ロードは片目をつむってみせる。カレリアは、くすりと笑った。

「わかったわ。お願いする。あたしをしっかり守ってね」

「お任せあれ、麗しき御婦人よ」

 大袈裟に一礼をしてみせるロード。二人は、直後に笑いあった。

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