第4話 少女の決意

 ツェルマス山の麓の傾斜地に、木造の家が点々としている。そんな中の一つが、カレリアの家だった。三階建てで、壁は木の肌が剥き出しである。三角形の屋根は、冬場、屋根に雪が積もらないように考慮されてのものであった。一階は石を積み上げて造られており、天井が高い。牛舎になっているのだと、カレリアが教えてくれた。

 家の前には、白い柵に囲まれた牧場が広がっていた。牛は牛舎の中にいるのか、姿が見えない。青々とした草が、風に揺れていた。

 家の背後は上に向かって傾斜していて、やがて針葉樹の林に突き当たる。それが途切れると岩肌が剥き出しになり、ところどころに雪が積もっている。頂は、鋭く尖っていた。そういった形の山々が、前後に重なりながら左右に広がっていた。

 空気は澄み渡り、眩しく輝く太陽を浮かべた青空が美しい。

「綺麗だな…」

 ロードは感嘆の息を洩らした。

「そうでしょ。この景色が、あたしたちの宝よ。都会になんて行かなくても、こういう自然に包まれて穏やかに暮らしていれば、十分に幸せだわ」

 そんなカレリアの台詞に、ロードは少し驚いた。

 こういった田舎に住む女の子は、華やかな都会に憧れているものと思っていた。流行りの服で着飾って、ディスコで踊ったり男とデートしたりするような生活を夢見ている、と。

 だが、カレリアは違う。故郷で暮らすことに、十分な満足を感じているのだ。意外だったが、この地の景観を見れば、カレリアの気持ちもわかるような気がした。

 都会は、息苦しいのだ。

 しばらくこの街に留まろうかな、とロードは思った。

 もちろん、いつまでもカレリアの家に居候するわけにはいかないから、近いうちに何か仕事を見つけなければならない。そしてどこかの貸家に住むのだ。できるだけ安いところに。

 トレジャー・ハンターになることがロードの望みだが、そう焦ることはないように思えた。大体、今日明日になれるようなものではないのだ。トレジャー・ハンターとして銀河を駆け回るためには、まず宇宙船が必要なのだから。

 一、二ヶ月はここに留まっても、別に構わないだろう。そう思い始めていた。

 カレリアの家にあがったロードは、奥の空き部屋に案内された。板張りの部屋で、ベッドやタンス、小さなテーブルと椅子など、一通りのものは揃っていた。

 奥の壁に、牧場の様子を描いた絵画が掛けられている。傑作と言えるほどの出来ではないが、見る者の心を洗うような、そんな清々しさを感じさせる絵だ。

 右下の部分に、サインがある。「マイア」と読める。この絵の作者だろう。

「誰も使ってないけど、毎日掃除はしてあるの。だから、ベッドを叩いたら埃が出た、なんてことはないはずよ。安心して使って」

「ありがとう。そうさせてもらうよ」

「朝食は?」

「街で食べたよ」

「そう。それじゃ、とりあえず休んでいて。あたし、ちょっと仕事があるから」

「あ、僕も手伝うよ。大変なんだろ、仕事」

 ロードはカレリアを追って部屋を出る。

「え…別に、今すぐ手伝ってくれなくても…」

「いいの、いいの。僕に感謝してるんなら、手伝わせてくれよ。一人で部屋の中に閉じこもっていたって、退屈なだけ。それこそ拷問だよ」

「そう…? じゃあ、お言葉に甘えて、手伝ってもらおうかな」

 苦笑しながら、カレリアが言った。

「そうこなくっちゃ。さ、行こう」

 そんなわけで、ロードは早速カレリアの手伝いを始めた。

 まずは、牛の乳搾りである。始めこそ上手くできなったが、カレリアのやり方を真似て悪戦苦闘するうちに、手際よく乳を搾り出せるようになった。その器用さに、カレリアは感心したものである。

 他にも、牛舎を掃除したり、家の裏で飼っている鶏に餌をやったりと、色々な仕事をこなした。慣れない作業の連続で、思いの外疲れたことは確かだが、ロードは汗を流して働くことに心地好さを覚えていた。

 カレリアの父、ピーター・キルケニィと顔を合わせたのは、その日の夕食の時である。

 その前に挨拶をしようと何度かピーターの部屋に行ったのだが、彼はベッドの中で静かに眠っていたので、無理に起こしては体に悪いと思い、後回しにしておいたのである。

 居間の中央に長方形の木製のテーブルが置かれていて、ロードが、カレリアとピーターの二人と向かい合う形で座っていた。

 パンと野菜スープ、羊の肉を焼いて、その上に溶かしたチーズをかけたもの。それが、テーブルに並んだ料理のすべてだった。決して豪華な夕食とは言えないが、この家の経済状況を考えれば、贅沢は言えない。それくらいの分別は、ロードにもあった。

 ピーター・キルケニィは、カレリアと同じ色の髪を持った、穏やかそうな男性だった。もちろん牧場を経営していたくらいだから、以前は体つきも逞しかったのだろうが、寝たきりの暮らしが長いせいかすっかり痩せこけ、肌の色も血色が良いとは言えなかった。年齢の割には皺も多く、頬骨が突き出ている。カレリアによれば、ピーターが病気になったのは二年前、カレリアの母が死去するよりも前だったという。

 それだけ聞けば、カレリアの母の死因が過労によるものだったのだろうことは容易に想像できたが、ロードはそれを口にしなかった。もしロードの想像通りなら、ピーターが自分の妻の死に責任を感じているのは明らかだったからだ。

 古傷をえぐるような真似は、ロードにはできない。

 ともかく、ピーターの姿を見て、牛が四頭だけというのも納得できた。どう見ても、牛の世話ができそうな様子ではなかったのだ。

 ピーターはカレリアから事情を聞くと、ロードを歓迎してくれた。

「遠慮はいらないよ。ゆっくりしていきなさい」

 微笑みに、力がない。隣に座るカレリアは、悲しそうに父の横顔を盗み見ていた。

 食事が終わると、ピーターは薬を飲んで寝室に戻っていった。あまり長い時間起きていると、気分が悪くなるのだそうだ。彼の病気の重さがわかるというものだ。

 ロードとカレリアは食器を洗ってから、しばらくとりとめのない話をして過ごした。

 カレリアは、話し相手がいることを嬉しく思っているようだった。母親が死んで以来、食事の後にこうして誰かと話をするのは初めてだと言った。普段は部屋に戻って、母の残した本を読むのだそうだ。

「本を読むのは好きだけれど、時々寂しくなるの。家の中が静かだから、よけいにね」

 寂しげな笑顔を見せて、カレリアはそう言ったものである。

 だから、ロードははりきって、義父との冒険の話を披露した。この土地から出たことのない少女にとって、他の国、他の惑星の話は新鮮だったのだろう。カレリアは目を輝かせて、ロードの話に聞き入っていた。

 そんな時、玄関の扉を叩く音がした。カレリアは、

「ちょっと待っててね」

 と言って、居間を出て行った。この居間は、玄関から続く廊下の突き当たりにある。

 ロードはカレリアの背中を見送ると、大きく息をついた。喋りすぎて喉が痛い。

 誰が来たんだろう?

 ふとそんなことを考えた時、噛み付くようなカレリアの声が聞こえてきた。

「何だ…?」

 ロードは、耳を澄ました。

「だから、もう少し待ってって言ってるでしょう? あたしたちに、死ねって言うの?」

 カレリアの語気は荒い。続いて、男の声が聞こえてきた。こちらは怒鳴り声ではなかったので、内容は聞き取れない。だが、その台詞がカレリアの怒りをさらに煽ったことは確かだった。

「人でなし! あなたたちの身体には、悪魔の血が流れているのね!」

 また、男の声。その声が止むと、玄関の扉は閉じたようだった。

 居間に戻ってきた時、カレリアの表情は厳しかった。先刻ロードの話に聞き入っていた時の彼女とは、まるで別人のようだ。

「…どうしたんだい?」

 ロードが、わずかに躊躇しながら尋ねた。

「ロード、初対面の人にこんなこと頼むのはって思うけれど、お父さんや牛たちのこと、お願いできないかしら」

「え…ど、どうして?」

 ロードには、わけがわからない。

「あたし、明日にも出掛けなければならないの。だから」

「出掛けるって…?」

「本当は、お父さんの具合がもう少し良くなるまで待とうと思ってたんだけど、そうもいかないようだから…」

 ロードは、カレリアの言葉の意味が理解できなかった。

 病身の父を残して、どこへ行こうというのか。たった今帰って行った男と関係があるようだが、あの男は一体何者なのか。

「急がなきゃ…」

 カレリアは呟いた。

「明日の朝、発とう。ウェックスフォルト城へ…」

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