第2話 出奔
カイゼリー共和国。
惑星イスファラードの中にあって最大のグリンデル大陸。そのほぼ中央部に位置する小国家である。
工業よりも農業が盛んな国で、北部をアーチ状に覆うナーディル山脈の麓では牧畜が行われ、質の良い乳製品を生産している。南部には平原が広がり、湿潤な気候も味方して大陸でも有数の穀倉地帯となっている。貿易は主に、これらの農産物を輸出し、工業製品を輸入するという形を取っていた。
歴史は古く、成立してからすでに七百年を超えるという。当時の文化を思わせるような屋敷や古城が郊外のそこかしこに見られる。それらは多くが観光地として開放され、この国を訪れる人々の目を楽しませていた。
ロードとその義父バイ・ザーンは、そんな国にやってきていた。
バイ・ザーンは、銀河を股にかけるトレジャー・ハンターである。宇宙艇を駆り、様々な財宝を求めて銀河中を飛び回る冒険者であった。まっとうに働いて生活している人々からは軽蔑されがちな職業だが、少年たちにとっては憧れの的である。若者は誰しも、スリルに満ちた冒険を求めるものだから。
ロードは、生まれて間もなく捨てられたところを、バイ・ザーンに拾われた。彼の決めた誕生日で数えると、今年で十三歳になる。バイはいずれロードに跡を継がせるつもりのようで、自分の仕事にロードを同行させ、トレジャー・ハンターとしての技術──そこには戦闘術も含まれる──を教え込んでいた。
ロード自身も、トレジャー・ハンターになることに不満はない。冒険に満ちた人生への憧れは、ロードの心にも確かにあった。義父と共に未知の遺跡を探索する時などは、いつも胸の高鳴りを抑えられなくなる。誤って罠を発動させてしまい、財宝へと繋がる洞窟を命からがら逆戻りしたことも、今となっては楽しい思い出である。
ただ最近になって、嫌な思い出があることにも気づいた。
バイ・ザーンは、実に多くの命を奪っているのである。そのほとんどが、バイが手に入れた財宝を横取りしようと襲いかかってきた輩なのだが、何も殺すことはなかったのではないかと、今は思う。たとえ、向こうにこちらを殺す気があったとしても、だ。
「人は皆、生きる権利を持っている。それがたとえ、悪人であっても」
そんな考え方をするようになったのは、ごく最近のことである。その時以来、ロードは義父に対する嫌悪をわずかに抱いていた。
そして、先刻の銀行強盗の一件。
ロードは、義父への疑念をさらに強めていた。
二人は、首都ウィックレーの繁華街を歩いていた。すでに陽は沈み、街灯と色とりどりのネオンが、往来の多い通りを賑やかに照らしていた。
この街を訪れたのは、バイ・ザーンの知人を訪ねるためである。その人はこの街で、酒場を経営しているとのことだった。義父の妙に浮き浮きした表情から、ロードはその相手が女性であることを察していた。
五階建ての、白壁のビルディングの前でバイは足を止め、ニッと笑みを浮かべた。
ガラス張りの扉を押し開け、正面奥の小さなエレベーターに乗り込む。エレベーターは四階まで上昇してから、両開きの重い扉を開いた。
目の前に、アーチ状の扉がある。中心辺りに看板が掛けられており、薄いピンク色で「メルニアの店」と書かれている。
「…ここなの、父さん?」
扉の隙間から漏れてくる酒の匂いにわずかに眉を寄せながら、ロードは尋ねた。
「ここだ。この扉の向こうで、我が愛しのメルニアが待っている!」
ため息をつくロードをよそに、バイは勢いよく扉を開けた。
「メルニア! 君のバイが、愛を囁くためにやってきたぞ!」
薄暗い店内に、バイの芝居がかった声が響く。店内にいた客や店員が驚いて扉のほうに注目する。すると、カウンターで客に酒を注いでいた女性が、顔を輝かせた。
「バイ・ザーン! バイじゃない!」
手早く酒を注ぎ終えると、その女性はカウンターから飛び出してバイに駆け寄った。
黒髪を背中まで垂らした、美しい女性だった。透き通るほどに白い肌が暗がりに映える。青い瞳を覆う長い睫毛と、形の良い唇は、可憐というよりも妖艶である。背丈は、バイの肩辺り。均整の取れた体つきを強調するように、身体に吸い付くような黒いシャツと、丈の短いスカートをはいている。義父の好みそのままだと、ロードは思った。
「おお、メルニア! 会いたかった!」
「あたしもよ、バイ・ザーン」
両腕を広げたバイの胸に、メルニアは抱きついた。細い指を滑らかにすべらせ、髭の生えたバイの頬を撫でる。
「あたしのこと、一年もほったらかしにして…どうしてたの?」
甘えたような口調。ロードの背筋に冷たいものが走った。基本的にロードは、色気のありすぎる女性は好みではないのである。バイとは正反対であった。
「あたしの他に、恋人でもできたのかしら?」
「そんなことあるもんか! 俺が愛を捧げる女性は、永遠に君だけさ」
そう言ってバイは、メルニアの腰に触れる。
嘘だ。ロードは心の中で呟いた。バイが愛を囁いた女性を挙げろと言われれば、ロードなら十人は挙げることができる。つい昨日だって、バイは別の惑星で、別の女性に同じ台詞を言ったのである。
ロードは、軽蔑の眼差しをバイに向けた。だがバイは、メルニアの黒髪から漂う甘い匂いを嗅ぐのに夢中で、ロードの視線には気づかない。
「さあ、俺にも一杯、旨い酒をご馳走してくれ。金なら、たんまりとあるんだからな」
「もちろんよ、あたしのバイ」
メルニアは身体を離して、艶めかしい微笑を浮かべた。そして、バイの後ろに立つロードに視線を向ける。
「この子、ロード君ね。前に話してくれた」
「ああ、自慢の息子さ。今年で十三になる。将来は、俺の跡を継ぐ予定だ」
バイは得意げにそう言って、挨拶をするように目で促す。ロードは軽く頭を下げて、自分の名を名乗った。
「可愛い子ね。君には、オレンジジュースがいいかしら。とにかく、中に入って」
メルニアは、二人を店の奥へと導いた。
長方形のテーブルを囲むように、クッションのきいた長椅子が置かれ、一つのブロックを形成している。それが店内には、十ブロックあった。各ブロックはオレンジ色のライトで照らされており、その下で客たちが、陽気にグラスを傾けていた。
酒と煙草の匂いが、ロードの鼻に不快感をもよおす。若いホステスたちを相手に賑やかに喋る客たちの声も、まだ十二歳のロードにとっては耳障りなだけだった。
一番奥のブロックに二人を座らせると、メルニアは近くのホステスに飲み物を持ってくるよう指示した。下着とあまり変わらないような衣装を着た女性が返事をして、カウンターに戻っていった。
程なく、酒とジュースが運ばれてくる。メルニアはバイに身を寄せながら、慣れた手つきでグラスに酒を注ぐ。ロードの隣にも金髪の若い女性が一人腰かけ、十二歳の少年という珍客をもてなした。
バイは酒を喉に流し込みながら、陽気に笑う。ロードはそれを見て、父への嫌悪感が膨れ上がるのを感じていた。
人を二人も殺した直後だというのに、どうしてああも陽気に笑っていられるのだろう。義父の心には、罪悪感というものがないのだろうか、と。
そう考えると、義父の豪快な笑い声がたまらなく嫌になってきた。否、義父と一緒にいることすら、ロードにとっては不快になってきていた。
「どうしたの、坊や? オレンジジュースじゃ、お気に召さなかったかしら?」
金髪の女性が、怪訝そうにロードの顔を覗き込む。ロードはうつむき、膝の上で両手をギュッと握りしめていた。
「あら…具合でも悪いの?」
メルニアもロードの様子がおかしいのに気づいて、声をかける。ロードは黙って、首を左右に振った。
「心配するな、メルニア。こいつはなりは小さいが、そこいらの大人よりもよっぽど頑丈だ。具合が悪いなんてことは、まずないさ」
バイがそう言って笑う。それからメルニアの顎に手を当てて、彼女の視線を自分のほうへと向けさせた。
「そんなことよりも、もっと飲もうや。一年ぶりに会ったんだからな。それとも、俺よりもロードみたいなガキが好みなのか?」
バイがメルニアに唇を寄せる。それをするりとかわして、メルニアは妖艶に微笑んだ。
「そうねえ。たまには、ああいう可愛い男の子も、悪くないかもね」
「おいおい、そりゃないぜ」
バイはわざとらしく嘆いてみせてから、また笑った。メルニアが注いだ五杯目の酒を一息に飲み干す。ロードの不快感は、どんどん募った。
──もう、我慢できない!
心の中で叫んで、ロードは勢いよく席を立った。テーブルに膝が当たり、振動でロードのグラスが倒れる。こぼれたジュースは金髪の女性の短いスカートを濡らし、小さな悲鳴を誘った。
バイとメルニアは何事かと、ロードに多少の驚きを含んだ視線を向ける。
「…どうしたんだ、ロード?」
バイが尋ねる。ロードは、義父をキッと睨みつけた。
「僕には、父さんの考えが理解できないよ!」
それは、店内の賑やかさにもかかわらず、すべての客たち、ホステスたちの注目を集めるほどの叫び声だった。
「何を怒ってるんだ、ロード?」
バイの問いには答えず、ロードは駆け出した。長椅子のブロックの間を縫うようにして進み、店の出口に向かう。バイが止めるより先に、ロードは店を出て行った。
「…どうしたの、あの子?」
我に返ったメルニアは、わけがわからないといった表情でバイに尋ねる。バイは、少し間を置いてから答えた。
「反抗期…かな?」
メルニアの酒場を飛び出したロードは、賑やかな繁華街を駆けていた。
さらに人の多くなった通りを、一直線に。まるで疾風のごとく走り続けるロードに、ぶつかりそうになった人々が悲鳴と罵声を飛ばす。だがその声も、ロードには聞こえていない。
きつく閉じられた瞼には、涙が滲んでいた。
(もう、嫌だっ!)
そんな言葉が、喉の奥で繰り返される。
脳裏に、先刻の銀行での出来事が甦った。剣を引き抜く義父。きらめく刃。舞い散る血。倒れ伏す二人の若者…。
あの時の義父の表情は冷たく、同情の欠片もないように見えた。もちろん、二人の若者の命を断ったことに対する悔恨も。
ロードの心の中で、義父バイ・ザーンの顔が、みるみるうちに悪魔のそれに変わっていった。冷酷で非情な、悪魔の形相に。
あんな義父のもとにはいたくない。一緒にいたら、自分まで義父のようになってしまうのではないかと思えてならなかった。自分まで、人を殺しても平気でいられるような人間になってしまうのではないか、と。
ロードは、走り続けた。どこへ向かっているかもわからず、ただ、義父から少しでも離れたい一心で。
走り疲れて足を止めた時、ロードは見覚えのある場所にたどり着いていた。
地面のほとんどが石畳で覆われているこの街にあって、例外的にアスファルトが敷かれている場所。そこは駐車場になっており、タクシーやバスがひっきりなしに出たり入ったりしている。ちなみにこれらの自動車の動力は電力であり、騒音といったものはほとんどないのだが、もしエンジンの音がうるさく響いていたとしても、駐車場をぐるりと囲む歩道を往来する、溢れんばかりの人々の声にかき消されていたことだろう。
駐車場の奥は、横に長い三階建ての建物。科学の進歩よりは伝統を重んじる気風のあるこの国では、昔ながらの煉瓦造りや石造りの建物が多いのだが、この建物は真っ白に塗られたコンクリートでできていた。全体的にすっきりとしたデザインで、他の建物に比べると無機的な感じがする。
そこがカイゼリー共和国の宇宙港であることを、ロードは知っていた。
人類が恒星間航行を可能にし、その居住地を宇宙に広げてからおよそ三世紀が経とうとしている現在、どの国の首都にも大抵宇宙港が設けられている。
余談ではあるが、ここ惑星イスファラードは百年前に銀河連合を形成した四惑星の一つであり、連合の中でも最大の人口を擁する。中でも大陸北西の国家オルフェスには、銀河連合評議会の本部が置かれており、いわばそこは銀河連合の中枢であった。
現時点で連合は数十個の惑星から成っているが、イスファラードを始めとする四惑星を除くすべては、四惑星の人類によって開拓されたものである。
これだけ科学が発展している世界だから、宇宙港のようなデザインの建物は他国では珍しくもないのだろうが、前述のようにカイゼリーは古きを重んじる国だ。時代を象徴するデザインも、ここには不釣り合いであった。
正面玄関では、人種も様々な大勢の人々が出入りしている。顔を上げれば、夜空に飛び立つ宇宙艇の姿を見ることもできた。
ロードとバイの宇宙艇も、ここの発着場に停泊している。白い、流れるようなラインの宇宙艇。翼を広げた白鳥を思わせるデザインは、ロードも気に入っていた。
いっそのこと、宇宙艇に乗ってこの惑星を飛び出してしまおうか、とも思う。だがあの白い宇宙艇はバイ・ザーンのものだ。ロードでは出港許可を受けることができない。かといって旅客用の宇宙艇に乗れるほど、金を持っているわけでもなかった。
これから、どうしよう。そんな言葉を何度も心の中で呟きながら、ロードはともかく足を進めた。何気なしに、宇宙港のほうへ。
とにかく、義父のもとから離れたかった。だから、あの店に戻るのは論外。トレジャー・ハンターにはなりたいが、義父の側にはいたくない。とすれば、自力でトレジャー・ハンターになるしかないのだが、どうすればなれるのだろう?
バイ・ザーンのような現役のトレジャー・ハンターに弟子入りすればいいのだろうか。しかし、この街にそういった人物がいるのかどうかすら、ロードにはわからない。
「いいか…とにかく、今は父さんから離れることだ」
考えたところで答えが出るとは思えなかったので、ロードは当面の問題に考えを戻すことにした。つまり、これからどこへ行くか、である。
考えてみれば、ロードはこの国のことはほとんど知らない。だから、どこへ行こうと大して変わりはしないのだ。
とにかく、この街にいては、義父に見つかってしまう。そう思い至ったロードは、手近なバスに乗り込んだ。バス代くらいなら、懐に入っている。
側面に緑のラインが引かれた白い車体のバスは、間もなく発車した。ロードは一番後ろの席に深く腰掛けて、目を閉じた。
このバスの行き先は、マドゥーイという街。山の麓に横たわる、牧畜の盛んな街だ。
もちろんロードは、その街を知らない。マドゥーイ行きのバスに乗った自分を、何が待ち受けているのかも。
それは現実からかけ離れた冒険だったのである。
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