第1話 少年と義父

 空気が張り詰めていた。

 誰もが、身動きひとつしない。物音すら立てなかった。音を立てると、この緊張の糸が切れて、無残な死が自分たちに訪れるような気がしていたから。

 ライフル型の熱線銃が、人々を狙っている。いつその銃口から真紅の閃光が迸るかと思うと、背筋に冷や汗が浮かぶ。

 銀行強盗だった。熱線銃ブラスターで武装し、黒い覆面を被るという、極めてありふれたスタイルの強盗が二人、これまたありふれた台詞と共にこの銀行に押し入ってきたのである。

「金を出せ!」

 ドラマなどで聞き慣れた台詞のはずが、実際に耳にすると効果はてきめんだった。人々は混乱し、顔をこわばらせて、強盗の命令に従う以外の行動を思いつかなかった。

 決して広いとはいえない建物の隅に集められ、客と銀行員たちは恐怖に身を寄せ合っている。店主は強盗の命令で店の奥へゆき、そこにある金庫から金を取り出し袋に詰め込んでいた。

「若気の至りというやつだな」

 人質とは思えぬ堂々たる態度であぐらをかいている中年の男が、半ば呆れ顔で、後の半分は愉快そうな表情で呟いた。

 男の言う通り、二人の銀行強盗はまだ若い。それは、まっすぐに伸びた背筋と成熟した大人にしては高すぎる声から、容易に想像できた。

「おおかた賭け事にでも没頭して、有り金全部巻き上げられたんだろう。若い頃には、よくあることだ」

「そうなの、父さん?」

 彼の隣に座る少年が、顔を上げた。純真さを思わせる瞳。年の頃は、十二、三といったところか。

 無精な髭面の男はニッと笑って、栗色の髪で覆われた少年の頭に手を載せた。

「経験談だからな。間違いない」

「…父さんも、ああいうことをしたの?」

 少年は眉を寄せた。義理とはいえ、父親が悪行を行った事実を知るのは気持ちのいいものではない。多感なこの年頃では、なおさらのことだ。

 だが男は、そんな少年の表情を楽しんでいるようだった。

「ああいう年頃は、無茶をやるのさ。ロード、お前だって五年もすればああなるかも知れないぞ」

「僕は、そんなことしないよ!」

 ロードと呼ばれた少年は、むきになって語気を荒げた。その声に驚いた人質たちが、ロードに視線を向ける。ロードは慌てて口をつぐんだ。

「静かにしろ!」

 強盗の一人が、ロードに銃口を向けた。人々の顔が青ざめる。ロードは両手を挙げて、何度も頷いてみせた。

 この手の犯罪者は、総じて気が短いものと相場が決まっている。下手に刺激しようものなら、その手に持った熱線銃でここにいる全員を殺しかねない。彼らの行為には憤慨するが、ロードとしては大人しく従うしかなかった。

 腕に覚えがないわけではない。だがここにいる全員を救うだけの自信が、ロードにはまだなかったのである。

 この場に居合わせた者たちは皆、一人を除いて、この状況を打開するだけの力を持っていないと思えた。銀行員やただの客たちでは、銃を持った相手に対して、どうすることもできないのが普通である。

 ただ、ここに一人、ただの客ではない男がいた。

 ロードの義父、バイ・ザーンである。

 鍛え上げられた筋肉は、特に力を入れている様子もないのに盛り上がっている。精悍な顔つきに鋭い瞳は、獲物を狙う豹のよう。その腰に下げるのは、鉄をも切り裂く高熱の剣。もっともその剣──ヒート・ソードは、無用なトラブルを避けるため、今はただの杖にしか見えないよう、光学迷彩でカムフラージュしていたが。

 バイ・ザーンなら、銃などものともせずに一瞬にして二人の強盗を取り押さえることができる。ロードは、それを知っていた。だが当の本人は、今のところロードの想像どおりに行動を起こすつもりはないらしい。むしろバイは、二人の強盗が無事に仕事を終えることを望んでいるようにすら見える。

 父さんはあの二人に、昔の自分の姿を重ね合わせているんだ。ロードは、懐かしそうなバイの目つきでそれを悟った。

 バイにしてみれば、二人の若者を応援したい気分なのだろう。ロードは、そんな義父の気持ちを変えなければと思った。どんな理由があるにせよ、他人の財産を奪うのは許されることではない。

「父さ…」

 ロードが、そこまで言いかけた時だった。突然、けたたましいベルの音が店内に鳴り響いた。金庫から金を取り出していた店主が、隙を見て警報を鳴らしたのだ。これは街の警察署に直結しており、警察でも同じようにベルが鳴っているはずだ。

「こっ…この野郎!」

 強盗の一人が、怒りと焦燥に我を忘れて、熱線銃の引き金を引いた。真紅の光線が店主の左胸を貫いた。短く呻いて、くずおれる店主。

「きゃあっ!」

 悲鳴が上がった。それを合図に、人々はたちまち恐慌状態に陥った。

「うるせえ! 大人しくしろ!」

 二人の若者は、狙いも付けずに銃を発射した。悲鳴はやまず、人々は逃げ惑う。四方八方に乱射される熱線に撃たれ、倒れ伏す不運な客もいた。

 この時、バイ・ザーンの目つきが変わった。カッと見開かれたと思うと、鋭い視線は二人の強盗に向けられた。

 一陣の風が、店内を駆け抜けた。

 途端、銃撃が止む。何が起こったのか理解できず戸惑う人々が見たのは、右手に剣を持った無精髭の男と、彼の足下に横たわる二人の覆面強盗の姿だった。

 銀色に光る刃の先から、赤い血が滴っている。それが二人の強盗のものだとわかるのに、客たちも銀行員も、しばしの時間を必要とした。

 若さゆえの過ちを犯した二人は、もはや動かなかった。床に血の池が広がる。バイ・ザーンは冷ややかに二つの死体を見下ろすと、剣を腰の鞘に収めた。すでに光学迷彩は解けている。

「行くぞ、ロード」

 バイはそう言うと、ガラス張りの自動扉に足を向けた。

 客たちが安堵と恐怖の入り混じったため息をつく中、ロードは慌てて義父を追った。

 サイレンを鳴らした三台のポリスカーが銀行に到着したのは、バイとロードが店を出て少し経ってからのことだった。

「あまり迅速とはいえんなあ」

 店内になだれ込む警官たちの姿を見遣りながら、バイは石畳の通りを歩き出した。時は夕刻、大きく伸びた左右のビル群の影が、通りを薄暗くしていた。

「父さん! 何も、殺すことないだろ!」

 小走りで義父に追いついてから、ロードは抗議した。眉を吊り上げ、大きな目をさらに見開いている。バイは、ロードが何を怒っているのか理解できないのか、いぶかしげに眉根を寄せた。

「どうしたんだ、お前?」

「どうもこうもないさ。ただ、悪人にだって生きる権利があるんだって、そう言いたいだけだよ!」

「そんなこと、俺にだってわかってるさ。それが、どうしたって言うんだ?」

「わかってるって…父さんはついさっき、人を殺したじゃないか!」

 義父のとぼけたような態度が、ロードの気に障った。

 父さんは、人を殺すことに何の抵抗も感じていないのか。そんな思いが脳裏をよぎる。

「いいか、ロード」

 険しい顔つきの息子の頭に、バイは片手を載せた。

「命には、二種類あるんだ」

「二種類…?」

 ロードは目を瞬かせた。

「そうだ。一つは、誠実に、懸命に生きる命だ。ま、大部分の人間の命はこれに含まれるんだが、そうじゃないのもいる。それが二つ目だ。つまり、他人の命を踏み台にして生きる命だな。さっきの強盗は、この二つの境界線をウロウロしてたんだ」

 そこまで言った時、バイの視線が上がった。そしてそのまま、後方へと流れてゆく。どうしたのかと振り返ったロードの目に、流れるような金髪の美女が映った。ロードは、思わすため息をつく。

「ふむ…気候が涼しいから、薄着の若い女を見ることはできんと思っていたが、なかなかどうして…」

 その女性は、身体にぴったりと張り付くような衣服を着ていた。袖はなく、白い肩がむき出しである。一年を通じて涼しい国とはいえ、今は夏。薄着の若者は思ったより多い。バイにとっては、嬉しい誤算といったところか。

「父さん!」

 ロードが声を張り上げると、バイはやや慌てて向き直った。

「う、うむ、だからだな、あの二人が強盗を働いたのも、生きるためだ。遊ぶ金が欲しいなら、親からくすねるなり、友人から巻き上げるなりすればいい。何も警察に捕まる危険を冒してまで、銀行を襲う必要はないはずだ。生きていくために必要だから、あえて銀行を襲ったんだ。そういう点では、あの二人の命は懸命に生きる命といえる」

「でも、父さんは殺したじゃないか」

 ロードが言うと、バイは厳しい表情で答えた。

「あいつらの命が、姿を変えたからだ」

「姿を…変えた?」

「そうだ。店主を殺したとき、懸命に生きる命が、他人の命を踏み台にする命に変わったんだ。だから殺したんだよ」

 考え込むロード。バイは続けた。

「いいか、二つ目の命は、言わば命の暗黒面だ。一度踏み入れたら、容易なことでは抜け出せん。人殺しの味を覚えたあいつらは、放っておくと、また金のために人を殺す。そう…人間の味を覚えた熊みたいにな。

 確かに命は大切だ。だが、そういう命は生かしておくと、他の多くの命を奪う。だから、必要があればその命を潰すのも、仕方のないことなのさ」

 説教は終わりとばかりに、バイは煙草を口にくわえ、火をつけた。それから、通りを行きかう女性たちに目を向ける。

 ロードは黙って、義父の隣を歩いていた。じっと、足下を見つめながら。

 ロードには、まだ納得がいかなったのである。

 確かに、悪人は放っておくと他人を次々と不幸に陥れていく。それを防ぐために悪人を殺すことは正義なのかも知れないが、それを素直に認める気にはなれなかった。

 どんなに悪い人間でも、この世に生を受けた以上、生きる権利があるはずだ。その権利を奪うことを、ロードは正しいこととは思えないのだ。

 考えていくうちに、いつしかロードは、義父の言葉に疑いを抱き始めた。

 先刻の話は、自分が人を殺すことを正当化するための、都合の良い言い訳なのではないか。本当は、義父は人を殺すことを心底楽しんでいるのではないか、と。

 大体、他人の命を踏み台にする命が命の暗黒面だというなら、その命を断った義父はどうなのだろう。暗黒面に踏み込んでいないとはいえないのではないか。

 ちらとバイを見ると、彼は悠然と煙草をふかしていた。つい先刻人を二人も殺したというのに、まるで何事もなかったかの様子だ。ロードは、自分の考えに確信めいたものを覚え始めた。

 こんな義父のもとにいて、よいものだろうか。ロードは思った。捨て子だった自分を育ててくれたとはいえ、この義父と一緒にいたら、自分も人殺しを楽しむような、冷酷な人間になってしまうのではないだろうか。

 ロードの胸の内で、義父に対する嫌悪が次第に募っていった。

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