檻の中の魔女

KEEN

プロローグ

 星々の輝く夜空の下で、炎が揺らめいていた。

 キャンプファイアのように燃え上がるそれは、夜闇の中、狂気じみた瞳を大きく見開いた人々の顔をオレンジ色に照らし出していた。

 ゆうに二百人はいようかという集団。彼らは山脈の麓に暮らし、牧畜で生計を立てている、小さな街の住人たちである。容姿も素朴で、生活に見合った衣服を着ている。だが、彼らの顔つき、特に目つきが尋常ではなかった。

 怒りと恐怖、そして狂気。それらが入り混じった、危険な目である。

 その目で、彼らは炎の向こうを突き刺すように見つめていた。ただ一人の例外もなく、全員がである。

 視線の先には、大きな城があった。山の中腹に建てられた、石造りの古い城である。ただし、炎は灰色の石壁の一部を照らすにとどまっていた。深夜の闇の中、炎だけではその全容を見ることはできない。それを城だと人々が認識できるのは、ここに城があることを知っているからである。

 石壁の手前に、人間が七人。街人たちは、彼らを凝視していた。

 年老いた男女と、壮年の男女がそれぞれ一組。彼らは二組の夫婦である。後の三人は、子供であった。十二、三歳くらいの少年が二人に、まだ五歳ほどであろう少女。横一列に並んだ彼らは、全員がベッドから起き出したままの姿だった。

 彼らは地面に突き立てられた七本の丸太に、一人ずつ縛りつけられていた。

 異様な視線が注がれる中、七人は驚愕と怒りの色を顔に浮かべている。末っ子らしい少女でさえ愛らしい眉を寄せ、街人たちを気丈にもにらみつけている。

「私たちが何をしたというのだ。このような扱いを受ける覚えはない」

 壮年の男が言った。褐色の髪をした、背の高い男性である。どことなく高貴な雰囲気を漂わせる端整な顔立ちは、青ざめた肌の色を除けば、婦人たちのため息を誘いそうだ。

 アールニック・ウェックスフォルト。背後に建つ古城の主であり、この一家の長である。

「黙れ、魔性の者」

 人々の前に立つ、四十代とみえる男が声を荒げた。白く長い衣は、彼が教会の人間であることを物語っている。彼の瞳は、ひときわ狂おしい光を放っていた。

「お前たちは、魔に通ずる力を持ち、その力をもって世界を混乱に陥れる不逞の輩。それを討つのに、何の非があろうか」

 彼の背後で、賛同の声が上がる。絶叫に近いほどの声だった。

「悪魔を殺せ!」

「火あぶりにしろ!」

「いや、串刺しだ!」

「殺せ! 殺せ!」

 夜空に響くこれらの叫びは、すでに正気の人間のものではない。その異様な雰囲気に押され、三人の子供たちは恐怖の色をあらわにした。アールニックは、顔をしかめた。

 神父の合図で、七人の男たちが前に出た。教会の者であることを示す衣を着て、三叉の槍を手にしている。彼らが「魔性の者」たちに近づいていくと、危機を察して、末の少女が泣き出した。だがその泣き声すら、人々の叫びにかき消されてしまう。

 執行人たちが槍を構える。人々の叫びは最高潮に達していた。眼球が飛び出さんばかりに開かれた瞳は、炎を反射して赤く輝いている。狂気の光だ、とアールニックは忌々しげに呟いた。

「皆の者、よく見ておくのだ。悪魔に身を売り渡した、穢れた一家の最期を!」

 神父の言葉に、割れんばかりの歓声が上がった。

「悪魔の使徒には、神罰が下る! 神聖なる神の御名のもと、魔性の者たちはその罪を、死をもって償わねばならないのだ!」

 神父は、自分の言葉に陶酔しているようだった。ぎらつく瞳は、狂信者のそれである。

 神父は執行人たちに、顎で合図した。次の瞬間、七本の槍は七人の身体を貫いていた。断末魔の絶叫が夜空にこだまする。人々の歓喜の声がそれをかき消した。

「ぐ…う…」

 胸を貫かれ、激痛と大量の出血で意識が薄れる中、アールニックは家族を見遣った。

 右隣に並んでいた彼の両親は、全身を血に染めて即死していた。反対側に並ぶ子供たちも同様である。アールニックと彼の妻だけが、辛うじて意識を保っていた。黒髪の美しい妻は、いとおしむような視線をアールニックに向けていた。彼女とて長くはない。それは明らかだった。

「お…おのれ…」

 男は怒りの形相を浮かべ、カッと両目を見開いた。と同時に、アールニックに槍を突き立てていた執行人の身体が破裂した。肉片が飛び散り、骨片が地面に転がった。歓声が悲鳴に変わり、人々は恐れおののいた。神父も思わず後ずさる。

「私たちに、何の罪があるというのだ…私たちは、お前たちに危害を加えたことは一度たりともなかったというのに…」

 血反吐を吐きながら、魔性の男は言った。怒りに満ちた視線に、人々は恐怖する。

「私たちは、ここで静かに暮らしていただけではないか…それを、お前たちは!」

 執行人がさらに二人、一瞬にして砕け散った。残った四人は、次は自分かもしれぬという恐怖から、夢中で槍を突き出していた。

 四本の槍がアールニックの身体を貫く。文字通り体を引き裂くような痛みに、アールニックは呻いた。意識が遠のくが、家族を殺した街人たちへの怒りが彼を現世に押しとどめた。獣のような咆哮を上げ、残る四人の執行人の身体を四散させた。

「ひ、火だ! 奴を火あぶりにするのだ!」

 神父はひきつった顔で叫んだ。人々は一瞬の躊躇の後、手にしていたランプを次々に投げつけた。ランプはアールニックの身体に当たって割れ、火は彼の夜着に燃え移った。

 アールニックの身体は、炎に包まれた。皮膚が爛れ、肉がそげ落ちていく。端整な顔が見る間に崩れ、頬骨がその下からのぞいた。

 地獄の底にまで届くかと思えるほどの絶叫が、人々の魂を震わせた。

 肉が燃え尽きると、焦げた骨は音を立てて地面に崩れた。頭蓋骨は、眼球のない目を人々に向けていた。恨めしそうに。

 アールニックの死を確認すると、神父は密かに安堵の息を漏らした。そして、人々を振り返って胸を張ると、高々と両手を掲げた。

「悪魔の使徒は滅びた!」

 再び、歓声が上がる。

 街人たちは狂喜し、残った六人の死体にも次々と火をつけていった。六本の火柱は、夜の闇にどぎつく明るく輝いた。

 無残な火葬が終わると、人々は山を下りはじめた。地面に積み重なった遺骨を埋めることもせずに。

 人々は、自分たちの正義を信じて疑わなかった。悪魔の使徒を討ち取り、神の意志を遂行したのだと。それが偽りの正義だと気づく者は、誰もいなかった。

 尋常ならざる『力』を持つウェックスフォルトの一族。

 誰もが、彼らを邪悪だと信じていた。彼らが人に危害を加えたことがないのを知っていながら、その存在自体が邪悪だと、信じ切っていたのである。

 そしてその邪悪が滅び去った今、街に平和が訪れる、とも。

 だが、人々は知らなかった。

 古城の窓の一つから、惨劇の一部始終を目撃していた少女の存在を。

 少女は身じろぎひとつせずに、窓の外を見つめていた。

 その瞳は大きく見開かれ、瞬き一つしない。かすかに唇が震えて、小さな声を絞り出した。

「許さない…」

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