漂う、てぇてぇのフレグランス
「ご、ごめんね、私のせいで変な人に絡まれる羽目になっちゃって……」
「有栖さんのせいじゃないから気にしないでよ。にしても、どこにでもああいう変な奴らっているんだなあ。夢の国も結局は現実と地続きってことか」
アトラクション前での騒動から少しして、予定を前倒しして有栖と共に気になっていたレストランで食事を取っていた零がげんなりとした表情を浮かべながらぼやく。
まさかのトラブルに遭遇してしまったせいで有栖のテンションもガタ落ちになってしまっているし、これも全て彼女を一人にしてしまった自分のせいだなと反省する零は、少しでも有栖に元気になってもらおうと明るい口調で話を続けていった。
「まあ、ちょっとしたトラブルはあったけどさ、ここからは気を取り直してまた楽しんでいこうよ。ファストパスも再発行してもらったし、もうあんな変な連中とは出くわさないでしょ」
「うん……」
だめか、と落ち込んだ声で返事をしてくる有栖を見て、零が心の中で思う。
自分の方こそ目を離して悪かったとか、昼のピーク前にレストランに入れてこれはこれで助かったとか、有栖を元気付ける言葉をいくつか考えていた彼であったが、この調子ではそれを口にしたとしてもあまり効果を発揮することはなさそうだ。
とはいえ、ここで自分が黙ってしまっては有栖はもっと凹んでしまうに違いない。
どうにかして会話を続けている間に彼女が元気になってくれることを期待しようと、そう考えた零が口を開こうとした時、驚くべきことに有栖の方から彼へと新たな話題を提供してきた。
「あの、さ……その、零くんがさっきの人たちと言い争いしてた時、なんだけどさ……」
「うん? どうかしたの?」
有栖が自分に何かを言いたげにしていることを悟った零が、落ち着いた声で続きを促す。
凹んでいる彼女が話をしようとしてくれているのだから、しっかりと受け止めてあげないとなと考える彼へと、有栖がおずおずとした口調でこんなことを言ってきた。
「えっと、あの……わ、私の聞き間違いじゃなければ、なんだけど……零くん、私のことを彼女、って言ってたよね……?」
「……あっ」
伏し目がちに自分を見つめながらの有栖の発言を受け、素っ頓狂な声をもらす零。
そうだ、確かに言われてみれば自分はついさっき、家族連れの父親の恫喝に対して有栖のことを彼女と呼んでいたではないか。
別に深い意味はなかったし、咄嗟に出まかせを口にしたといえばそれまでの話なのだが、自分が無意識のうちにそんなことを言っていたことを思い出した彼は大慌てで有栖へと弁明をしていく。
「いやっ、あのっ、ご、ごめん! あいつらを黙らせるためにちょっと話を盛ったっていうか、強めの言葉を使ったっていうか……本当にそれだけなんだ! ホント、変なこと言っちゃってごめんなさい!」
「べ、別に謝らなくていいよ……そんなところだろうなとは思ってたし、その……別に嫌じゃあなかったから……」
テーブルに額をぶつけんばかりの勢いで頭を下げて謝罪する零の様子に少し慌てた有栖が顔を赤くしながらそう言葉を返す。
火照った頬を冷ますようにお冷を飲んでいる彼女の言葉に、今度は零が赤面する番だった。
(嫌じゃない、のか……? そ、そっか、有栖さん、別にそこは気にしてない、のか……)
気にはしているのだろうが、自分が勝手に有栖を恋人呼ばわりしたことを怒っているわけではないと知った零は安堵すると共に、彼女の発言をちょっとだけ深読みしてしまう。
別に彼女と呼ばれても嫌じゃないということは、そういうことなのか……? と妙な勘繰りをしてしまう中、お冷を飲んで落ち着いた有栖が恥ずかしそうに微笑みながらこう言葉を続けた。
「記念撮影の時にもスタッフさんにカップルだって思われてたしね。別に、今更それくらいで気にすることなんてないよ。だから安心して、ねっ?」
「あ、ああ、うん……」
そういうことか、と……カップル扱いされることに慣れているから別に気にしないという意味合いの発言に妙な奢りを覚えてしまった自分を心の中で叱責する零。
考えてみれば、くるめいとして常にてぇてぇだの夫婦だの言われているのだから、そんなものは確かに今更かと思い直すと共に、有栖の言葉に落胆している自分がいることに気が付いた彼がテーブルの下で自分の脚を抓る。
(馬鹿なこと考えてんじゃないぞ、俺! 浮つくのもいい加減にしろ!!)
今回のこれはあくまで有栖への感謝を込めたお出掛けであって、デートというわけではない。
状況や薫子の言葉で少し気分が浮ついていたが、何よりもまずは有栖に楽しんでもらうことを優先するべきだろうと自分に言い聞かせた彼は、深呼吸をしてから頭を冷やすために席を立つ。
「ごめん、ちょっとトイレに行ってくるね」
「あ、うん。行ってらっしゃい……」
ここで気持ちをリセットして、この後に備えなければだめだ。
そんなことを考えながら席を立った零の背を見送った有栖が、誰にも聞こえないような声でぼそりと呟く。
「……嫌じゃなかった、っていうのも少し違うんだ。本当はね……零くんにそう言ってもらえて、嬉しかったよ……」
絶対に伝えるわけにはいかない言葉だからこそ、こうして独り言としてこぼすしかない。
胸の前で両手を重ねた有栖は、また頬の赤みをぶり返させながらもどこか満ち足りた笑みを浮かべ、心の中に広がる温もりに目を閉じるのであった。
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