深夜二時、零は思う
「……んんっ、くあぁぁぁ……!!」
瞳をゆっくりと開けながら大あくびをした零がうすぼんやりとした思考でまず考えたのは、電気を点けたまま眠ってしまったなということだった。
少しずつ意識を覚醒させていった彼は、額に触れる小さな手の感触に目を細め、上を見上げる。
くぅ、くぅ……と、かわいらしい寝息を立てている有栖の寝顔を目にして、彼女がずっと自分を膝枕してくれていたことを理解した零は、有栖へと感謝の念を抱くと共に現在時刻を確認すべく、時計の方へと視線を向けた。
「もうこんな時間……いや、まだこんな時間、か……」
時計の針は、午前二時三十分を指し示している。
はっきりと覚えているわけではないが、自分が寝てしまったのが十一時くらいだったような気がするから、そこから三時間とちょっと、零は有栖の膝の上で眠り続けていたということだ。
それだけの時間、自分のことを放り捨てずにいてくれた彼女に改めて感謝すると共に、すやすやと寝息を立てて夢の世界に旅立っている有栖を見つめる零。
本当に……どうしようもないくらい有栖の好意に甘え続けてしまったなと思いながら、彼女を起こさぬようにそっとその膝の上から頭を退けた彼は、首の骨をボキボキと鳴らしてから静かに立ち上がった。
「……よし、やるか」
足音を殺して寝室へ、そのベッドの傍に立ち、掛け布団を捲って状態を整える。
枕の位置も調節して、それから再び有栖が眠る部屋まで戻った零は、彼女を仰向けに寝かせるように体勢を変換させながら、その背中と膝裏に腕を回した。
「よいしょ、っと……!!」
腕に力を込めてみせれば、思ったよりずっと簡単に小さな体を持ち上げることができた。
ひょいっ、という軽々とした擬音がぴったりな場面だなと思いつつ、しっかりと大事なものを守るように有栖をお姫様抱っこする零は、立ち上がった状態で暫し彼女の寝顔を見つめてから、寝室へと移動していく。
(軽いなあ……ちっちぇえなあ……こんなかわいいのに、あんなに強いんだもんなあ……)
一分にも満たない移動の時間の中で彼が考えるのは、昨日考え続けた有栖への感想。
こんなにも小さな体のどこにあれほどの強さが秘められているのかと、ずっと疑問に思っていたことを繰り返し考えながら、そっと整えた自分のベッドの上に彼女の体を横たえる。
今度は立場がまた逆転して、零が有栖の頭を撫でる番だ。
眠り続けている彼女に掛け布団を被せた零は、そっとその額を撫でた後……ベッドサイドにしゃがみこむ。
心配をかけた、迷惑をかけた、気を遣わせてしまった。思うのは、そんな有栖への感謝と謝罪の感情が入り交じった想いばかり。
彼女がいいと言ってくれたとはいえ、随分と甘えてしまったなと……改めてそう思いつつ、眠り姫と化した彼女の横顔を見守っていた零は、静かに息を吐きながら瞳を閉じる。
完全に傷が癒えきったといえば嘘になる。だが、随分と心が軽くなったことは確かだ。
もっと、ずっと、有栖に寄りかかり続ければきっとこの傷も完全に癒えるのだろう。だけど、もうそれも終わりだ。
彼女に甘えるのは昨日一日だけ……そう、決めていたから。だからもう、これ以上有栖に寄りかかることはしたくない。
きっと優しい彼女は零が完全に立ち直るまで抱き締めると言ってくれるだろうが、彼自身はそれを望んでいなかった。
大切な人だから、必要以上に甘えたくない。つらい時に抱き締めてもらうことはあっても、依存の対象としては見たくない。
有栖はもう十分自分に立ち直るきっかけをくれた。あとは、零が全てを吹っ切って立ち上がるだけだ。
それだけでもう、十分過ぎるほどに有栖に助けてもらったと思いながら目を開けた零は、変わらぬ寝顔を浮かべている彼女を見つめ、小さく微笑む。
掛け布団から飛び出している小さな手を握り、そっと中に戻した彼は……その温もりを感じながらか細い声で心の中の想いを言葉として発した。
「失いたく、ねえなあ……」
Vtuberになって、蛇道枢になって、零は沢山の宝物を手に入れた。失いたくないものを得た。
苦労も喜びも分かち合う同期も、自分を愛してくれる母親も、活動を応援してくれるファンも、何一つ失いたくないと強く思っている。
だが……その中で最も大切だと思う存在を挙げろと言われたら、間違いなく自分は目の前で眠る少女を選ぶだろう。
強く思うわけではなく、自然とそれしか選択肢がないと思えるような、そんな自分がいることにも特に驚きを示さないまま、零はじっと有栖を見つめ続ける。
自分と似ているようで少しだけ違う、とても強い人。
自分と同じ痛みを知っている、脆くて弱い人。
それでもと前を向いて歩もうとする、眩く輝き続ける人。
自分に夢を与えてくれた……とてもとても、大切な人。
この笑顔を曇らせたくないと思う、ずっと笑っていてほしいと願う。願わくば、自分の傍で幸せそうに笑っていてほしい。
分不相応な願いを抱きながら、きっと幸せで穏やかな夢を見ているであろう有栖の横顔を見つめながら、そんなことを考えていた零は、同時に苦笑を浮かべながら自らの弱さを知ることで理解できた、優人の偉大さを実感してもいた。
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