大切なもの、だからこそ

「……その大切なものって、狩栖さんのこと?」


「うん、そう。本当に、しんどいや」


 ごろん、と後ろに倒れた零が寝転がったまま天井を見上げる。

 煌々と輝く照明を見つめ、他人事のような態度で自分の心の中にある痛みを語る彼の声に、有栖は耳を傾け続けた。


「前に話したけどさ……俺は今まで、何もかもを諦めて生きてきたんだ。何か嫌なことがあっても、俺の人生そんなもんだって割り切って、切り捨てて、諦めながら生きてきた。それが一番楽で、心の何処かで失いたくないものなんてない方が苦しまなくて済むって理解してたから、ずっとそうしてきたんだと思う。でもさ……Vtuberになって、有栖さんたちと出会ってから、失いたくないものが沢山できちまった。大切な宝物がいっぱいできちゃったんだよなあ……!」


 しみじみと語る零の声は、本当にどこか自分ではない他人のことを話しているような色がある。

 だけれども、彼が今、話しているのは他ならぬ零自身のことで、その証拠に彼が見上げる天井には、この一年にも満たない期間で見つけ出した数々の宝物たちの姿が浮かび上がっていた。


「……大切なんだよ、全部。本当に、諦めたり捨てたりしたくないものばっかりなんだ」


 時に同じ傷を分かち合い、本気でぶつかり、手を取り合って困難を乗り越え、夢を叶えるために共に進む同期たち。

 情けなくて、だらしなくて、心底頼りないトラブルメーカーだけど、心からの愛を自分に注いでくれる母親。

 自分の前を進み、夢を叶えようと努力する背中を見せてくれる、立派な先輩たち。

 どこにも居場所がないと思っていた自分のことを支えてくれる事務所のスタッフたちや、応援し続けてくれる大勢のファン。


 Vtuberになって、蛇道枢になって、零は沢山の宝物を手に入れた。失いたくないものを得た。

 それ自体は本当に喜ぶべきことなのは間違いなくて、それは零もよく理解している。


 だが……大切に思っていた優人がいなくなって、初めて零は大切なものを失う痛みを知った。

 大学の推薦が取り消されて、人生が狂わされた時以上の悲しみと苦しみと、初めて直面した。


 それは多分、あまりにも大き過ぎる痛みに対して心が麻痺していた部分もあったのだろう。

 そして、それと同じくらい、初めての痛みの正体がわからずに混乱していた部分もあったのだとも思う。


 その痛みと理由を有栖との会話で理解した瞬間、麻痺していた恐怖が一気に襲い掛かってきて……それで、零は有栖を強く抱き締めた。

 大切な存在である彼女に縋りたいという気持ちと、大切な彼女にいなくならないでほしいという想いを込めて……。


「あー、くっそ……! 今更になってこんなつらくて痛いもんを教えんなよ……! こんなもの、知りたくなかったっつーの!」


 大切な人だった、それは間違いない。

 尊敬できる先輩であり、自分のことを理解してくれる人であり、共に笑い合った友人でもあった。


 本当はもっと、色んなことを教えてほしかった。一緒に沢山のことをして、笑って、応援し合って……そうやって共に歩んでいきたかった。

 心の中で響く想いを零が自覚した時、有栖が彼の額に手を添え、口を開く。


「……頭、上げて。ここの床、固くて痛いでしょ? 私で良ければ、膝を貸すからさ」


「……うん、ありがとう」


 ひょいっ、と軽く腹筋に力を入れた零が頭を上げれば、その空いた空間に有栖が小さな膝を差し込んでくる。

 細く小さい、されど温かい彼女の膝の上に頭を置いた零が瞳を閉じる中、優しく額を撫でる有栖が彼へと語り掛けた。


「零くんの気持ち、わかるよ。大切なものができたからこそ、それを失うのが怖いんだよね。でもそれは悪いことじゃないって私は思う。だってそれって、零くんが【CRE8】を失いたくない場所だって思ってるってことだから。自分の居場所を見つけて、俺はここにいるって証明する……それが俺の夢だって、言ってたよね? 零くんは今、少しずつその夢に近付いてるからこそ、痛かったり苦しんだりしてるんじゃないかなって、そう思うよ」

 

「うん。まあ、そうだね……。そういう考え方ができるだなんて、有栖さんは流石だなあ……」


「普段、零くんがやってることなんだけどね。今日はいつもと立場が逆だね」


 くすくすと楽しそうに笑う有栖の顔を見た零もまた、小さく笑みを浮かべる。

 優しく、強く、自分を支えてくれる有栖の顔を下から見上げながら、緩い笑みを浮かべた彼は、小さな声で彼女へとこう問いかけた。


「……ねえ、有栖さんは俺の傍に居てくれる? ずっとだなんて我がままは言わないけど、これからも一緒に夢を追ってくれる?」 


「……うん。前にも言ったでしょ? へびつかい座あなたおひつじ座わたしの傍に存在してて、一緒に輝いてるって……私の答えは、あの日と何も変わらないよ」


 優しいその答えを耳にした瞬間、零を微睡が襲う。

 有栖の膝の上でゆっくりと目を閉じた彼は……心地良い温もりの中、一時の安らぎに身を任せて眠りに就くのであった。


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