甥と叔母、出会いと別れ

「……この半年間、本当に色んなことがあったね。零……今、どんな気分だい?」


「急にどうしたんすか? それを聞くのは、どっちかっていうと俺の方でしょ」


 楽しかった食事会も終わり、有栖と共に食器類や調理器具の片付けを終え、先に帰宅した彼女を見送った後……薫子と二人きりになった零は、彼女から不意にそんな質問を投げかけられて苦笑を浮かべながら返事をした。

 ビールの酔いが残っているせいでちょっとノスタルジックな気持ちになっているのだろうなと、普段とは少し違った薫子の言葉を軽く受け流した零であったが、彼女はなおも同じ質問を繰り返してくる。


「あんたが蛇道枢になって、もう半年以上の時間が経った。その間、本当に色んなことがあったもんさ。デビュー直後の大炎上から、私の想像もしていなかった大事件を何度も経験して、それでもあんたは前に進み続けた。そうやって手にした居場所に立って、今、あんたは何を思ってる?」


「……何を思う、か。難しいところだな……本当に、上手く言葉にできないよ」


 今度は真面目に叔母からの質問に答えた零は、照れくさそうな笑みを浮かべながら彼女の向かいの席に座った。

 酔っているのかそうでないのかわからない薫子からの視線を受けながら暫し考え込んだ彼は、ふぅと小さく息を吐いてから口を開く。


「色んな出会いがあった半年間だったと思う。有栖さんも、喜屋武さんも、三瓶さんも秤屋さんも、他にも沢山の人と出会って、繋がりを結んできた。俺が蛇道枢になってなかったらその人たちとは出会ってなかったって考えると、この道に誘ってくれた薫子さんには感謝しかないよ」


「私に対する感謝とか、そういうのはどうだっていいんだよ。それはこっちも同じ、おあいこさまだからさ。私が聞きたいのは、あんたが今、幸せかどうかってことだよ。そこんとこ、どうなんだい?」


「ははっ、それに関しては胸を張って言えるさ。幸せだよ、俺は。大変なこともめんどくせえことも山ほどある仕事だけどさ……Vtuberになって良かったって、そう思ってる。色んな人と出会って、一人じゃないって思えるようになって、居場所らしいもんを見つけられて……いい人生を送ってるって、そう思ってるよ」


「……そっか。それならいいんだ。それなら、ね……」


 ふぃ~っ……と大きくアルコールの臭いが染みついている息を吐きだしながら、椅子の背もたれへと寄りかかった薫子が満足気に唸る。

 やっぱり酔っていたのかと、そんな彼女の反応を目にして苦笑する零に対して、薫子は天井を見上げたまま緩い口調でこう語り始めた。


「零……あんたが今、幸せだって言ってくれて私は嬉しいよ。ただ、その幸せを作ったのが沢山の人たちとの出会いだというのなら……その逆もまた、覚悟しておかなきゃならない」


「……別れの時が来て、不幸になるってこと?」


「それもある。だけど、一番怖いのは不幸を呼ぶ出会いもあるってことさ。今更語る必要なんてないと思うけど、悪意を持ってあんたに近付いてくる人間もこの世には存在している。そういった人たちがあんたに不幸を運んでくる可能性も、十分にあるだろう?」


「ははっ! そんなもん、この半年で慣れたよ。何度俺が炎上してると思ってんのさ」


「……そうだね、そうだ。ああ、すまん。酔っぱらってて頭が上手く回ってないみたいだ。違う、そうじゃなくて、私が言いたいのは……一番怖いことじゃあなくって、一番についてなんだよ」


 天井を見上げたまま、右手で額を抑えた薫子が呻くようにしながら零へとそう述べる。

 ただ黙って彼女の話を聞き続けている零がその言葉の意味を理解できないように首を傾げる中、薫子は一つ一つの言葉を選びながらこう話していった。


「悪意を持ってあんたに近付いてくる奴とは、縁を切っちまえばそれでいい。別れられることがハッピーなんだから、それで済む。だけど……大切だと思う誰かとどうしようもないままに別れなくちゃならなくなった時は、そう思うことはできない。辛い別れを経験することになるだろう」


「誰かが炎上して、引退する羽目になったりした時ってこと? だとしたら、俺はそうならないように努力するよ。できることは全部する。これまでだって俺は、そうしてきたじゃないか」


「ああ、うん……だからこそ、かな。あんたは今まで、誰かの抱える闇に寄り添い、その苦しみに共に立ち向かってきた。そうやって人と絆を深め、信頼を勝ち取って、今のあんた自身を作り上げてきたことは知ってる。でも、だけどね……この世界には、本当にどうしようもないことっていうのもあるんだよ。私は心配なんだ、あんたがそれに直面した時、打ちひしがれてしまうんじゃないかってね……」


 意味深で、不安を煽るような薫子の言葉に、無表情になる零。

 彼女が何を言いたいのかがいまいちわからないながらも、薫子が薫子なりに自分のことを心配してくれていることを理解している彼が無言で彼女のことを見つめる中、薫子が小さな声で呟く。


「……一人、知ってるんだ。そういうつらい目に遭った奴のことを。いつもは明るく振る舞っているけど、そいつはずっとその過去を引き摺ってる。なんか、ふとそいつとお前のことを重ねちまってね……折角の楽しい食事会だってのに、こんな辛気臭い話をしちまってごめんよ」


「……いえ、大丈夫です。薫子さんが俺のことを心配してくださってるのはわかりましたから、気にしないでください」


 丁寧に薫子へと感謝を述べた零が、深々と頭を下げる。

 そんな彼の姿を見て、ふぅと息を吐いた薫子は、唐突に破顔すると明るい口調で言った。


「流石に飲み過ぎたみたいだね。そろそろ、お暇させてもらうよ。今日は楽しかった、気を遣ってくれてありがとうね、零」


「いえ、楽しんでもらえて嬉しかったです。んじゃ、お気を付けて……」


 あまり仰々しいことはせず、玄関から軽く見送る程度に留めた零へと手を振りながら社員寮を出る薫子。

 タクシーを呼ぶためにスマートフォンを取り出した彼女は、そこで顔を顰めると一人呟いた。


「しまったな、あいつにしようと思ってた仕事の話があるんだった。うっかりしてたな」


 酔いに任せて明るい気持ちを吹き飛ばしてしまうような話をしておきながら、本当に大事な話はしていなかったなと自分の行動を恥じた薫子は、まあそれもあんな予想外の出来事があったせいだと自分に言い聞かせることで流すことにした。

 空を見上げ、そこに光る星々を見上げた彼女は、その中で目立つ星座を指でなぞりながらふわりと微笑む。


「毎回、冬の星座の中で一番早く見つかるんだよな~……ちょっと時期とは外れちゃうかもしれないけど、三期生のデザインはやっぱあの辺で決まりかな」


 砂時計に腕が生えたような形をした、その星座。

 中心部に三つ並ぶ星々が特徴的なそれを眺めながら微笑んだ薫子が、新たな出会いを予感させるような言葉を呟きながら夜の風に目を細める。


 ただ……彼女も、零も、他の誰も、その出会いよりも前に訪れる別れが存在していることなど、知る由もなかった。

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