勝利への執念、あるいは妄執


「ん……?」


 コンコンッ、というノックの音を耳にした一同が部屋の入り口へと視線を向ける。

 まだ休憩時間に入って間もないというのに、もう誰かが戻ってきたのかと……そのことを訝し気に思いながらも無視はできないと考えた薫子は、扉の向こう側にいる人物へと声をかけた。


「どうぞ、お入りください」


「……失礼、します」


 薫子の言葉に応えるように静かな声で返事をした人物が、ゆっくりと応接室の扉を開く。

 部屋の中に足を踏み入れた彼女……安河内七種は、零たちの前で深々と頭を下げながら何に対してだかわからない謝罪の言葉を口にした。


「本当に申し訳ありません。私のせいで、【CRE8】の皆さんにも沢山のご迷惑をお掛けしただけでなく、不快な思いまでさせてしまって……!」


「……あなたの行動に対する謝罪は、もう十分なほどに受けました。もうこれ以上の謝罪は必要ありません。今は心を休めて、話し合いに向けての準備を整えてください」


 先の話し合いの中で行った謝罪だけでは足りないと考えたのであろうか、1人で零たちの下を訪れて再度謝罪を行う彼女に対して、そんなことをする必要はないと薫子が述べる。

 その意見は零も陽彩も同じで、自分たちに対して十分に謝罪を行った彼女のことを許していたのだが、頭を上げた七種は首を左右に振ると、3人に向けてこう言ってきた。


「こうして私が1人で皆さんに話に来たのは、こうして自分の不始末を謝罪するためだけではありません。先程の話し合いの中で失礼な振る舞いを見せた真桑についてお話するためでもあるんです」


「真桑さんについて、ですか……?」


「はい。甜歌は確かに我が強いところはありますが、本来はあんな風に誰かの意見を否定するような人間ではありません。それに、場を弁えずに自分の感情をぶつける子でもない。甜歌がおかしくなってしまっているのは、私のせいで勝たなくてはならないという焦りに憑りつかれてしまっているからなんです。そのせいで、あんなことを……」


 そう、罪悪感を滲ませる声で呻くように呟いた七種が顔を伏せる。

 全ては自分の不用意な行動が原因であると理解しているが故に苦しむ彼女であったが、それでも自分のせいで自分以上の苦しみを味わっている同期の弁明をすべく顔を上げた七種は、3人へと甜歌について話をしていった。


「私がスマーフの容認とブーストという不正行為に手を出してしまった結果、e-sportsの普及と発展を理念として掲げている【VGA】の看板には大きな傷がついてしまいました。特にFPSゲームはe-sports界隈でも花形として扱われる人気競技で、その注目度も高い。そんな花形部門に所属する私の失態は、事務所の根幹を揺るがすレベルの大スキャンダルでした」


「それは理解しています。【VGA】さんが危機的な状況にあることもです。それが真桑甜歌さんの焦りに繋がっていると?」


「……はい。不正によって地に落ちた【VGA】のイメージを回復するには実力で勝利を掴み取るしかない。危機的状況に瀕している事務所を救うためには、自分が【ペガサスカップ】で優勝するしかない……そうしなければ【VGA】が終わってしまうと、甜歌は焦っているんです」


 そう語る七種の声は微かに震えていた。

 自分自身の行動のせいで甜歌が重過ぎるプレッシャーを背負う羽目になってしまったことに対して、自責の念を感じているのだろう。


 同じFPS部門の同期がしでかした失態をどうにかして挽回しなければ、【VGA】は今後も不正を働くゲーマーを抱えた事務所として色眼鏡で見られてしまうかもしれない。

 そうなれば自分たちだけでなく他の部門の同僚たちにも被害が及び、人気が低迷するどころかゲーマーたちからの反感を招き続ける可能性だってある。


 そうなってしまったら全てがおしまいだ。ゲーマーの地位向上、e-sportsの発展を理念として掲げているはずの【VGA】がそのゲーマーや界隈から厄介者として認知されるようになってしまえば、存在そのものが危うくなってしまう。


 一刻も早く、その悪いイメージを払拭しなくてはならない。そのためには大勢のゲーマーから注目を集めている【ペガサスカップ】で勝つしかない。

 それが今の甜歌の頭の中にある全てで、だからこそ彼女は先の話し合いの中で陽彩の「楽しめれば勝てなくてもいい」という意見をあれほどまで強く否定したのだろう。


 謝罪と今後の話し合いのための場で七種のことを厳しく追及して責めたりしたのも、彼女自身の精神のバランスが崩れているからなのかもしれない。

 甜歌のことをこの状況に相応しくない、幼稚な振る舞いをする人間だなと思っていた零であったが……今の七種の話を聞いて、少しだけ彼女に対して憐憫の情を抱くと共に、その印象を改めるに至った。


 所属事務所の理念に反するような大スキャンダルが発覚してしまった七種。

 彼女の行動のせいで存続の危機にある【VGA】。

 折角、ここまで順調に盛り上がっていたのにも関わらず、同期のせいでケチがついてしまった【ペガサスカップ】の関係者たち。

 同じVtuberというだけで、同じ大会に参加するというだけで厄介なリスナーたちから粘着されている者たち。


 そういった人々や事務所を守り、自分たちがしでかしてしまった失態の責任を取るためにも、勝つしかない、負けるわけにはいかない。

 故に……甜歌は先の陽彩の発言を看過できなかったのだろうと、納得した零が小さく頷く。


 そんな彼の前で、同期の行動の弁明に来た七種が、再び深々と頭を下げながら全ては自分の責任であると前置きした上で謝罪の言葉を口にした。


「……あの子は、甜歌は、悪くないんです。沢山の好奇の眼差しやアンチたちからの罵声を浴びながら、たった1人で事務所のために戦わなければならないというプレッシャーに晒されているせいで、必死になり過ぎているだけなんです。どうか、あの子のことを嫌わないであげてください。悪いのは全て、この事態を招いてしまった私なのですから……」


 そう語りながら、頭を下げ続ける七種に対して、零たちは何も言わずにただただ彼女のことを見つめている。

 勝たなければ自分たちの未来はないという重圧を耐えながら懸命に勝利を掴み取ろうとしている甜歌もそうだが、彼女をそんな状況に追い込んでしまった七種自身の苦しみを思うと、不用意に言葉をかけることが躊躇われた。


「……頭を上げてください。そういったこの件に関わった全員にとって良い方向に話が進むよう協議を重ねようというのが、今回の話し合いの目的です。私たちも微力ながら真桑さんのメンタルケアに力を尽くさせていただきます。ですから安河内さんも自分自身を責め続けることは止めてください」


「はい……本当に、本当に、申し訳ありません……っ!」


 薫子が代表として七種に声をかける様子を見ても、零は何も言葉を発することはできずにいる。

 本来はそんな精神が不安定な人間が大事な話し合いに参加すること自体が間違っているのかもしれないが、この話し合いを通じて甜歌に少しでも安心してほしいと願っているであろう【VGA】側の想いを察知したからこそ、薫子は大人としての対応を見せているのであろう。


 まだ完全に甜歌のことを許したわけではないし、彼女の振る舞いに問題がないとは思えていないが……零もまた、予想以上に厄介な状況に苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべている。

 そして、そんな彼よりも深く強い衝撃を受けている陽彩は誰よりも苦しそうな表情を浮かべながら、薫子に頭を下げる七種の姿を見つめ続けていたのであった。


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