第1戦先攻・夏海なぎさ



『さあ、夏のおっぱい対決! 先攻を務めるのはどっちのチームだ!?』


『先手必勝! 先攻はオレがもらったぁ!』


『私は後攻で構わないよ~! 焦らずじっくり腰を据えて、そちらのお手並みを拝見させてもらうさ~!』


 さっぱりとした性格の2人は、順番もスムーズに決めてみせた。

 先攻を取ったなぎさはやる気を漲らせると、大きく膨らんだ胸いっぱいに酸素を送り込むようにして深呼吸を繰り返している。


『すぅ~~~! ふぅ~~~! すぅ~~~っ! はふぅ~~!』


『うわぁ、すっごいやる気……! これは凄いものが飛び出る予感……!!』


『なぎさ、あんまり肩に力を入れず、リラックスするんだよ? わかってるかい?』


『大丈夫、大丈夫! 任せておけって!!』


 気合十分、といった様子のなぎさは、両手で顔をパシパシと叩くとバイノーラルマイクの前に立った。

 彼女の準備が終わったことを確認したさくらはスタッフに合図を送り、なぎさの立ち絵を大写しにした画像を配信画面へと表示してもらう。


『それでは、先攻【SEASON】チームの夏海なぎさの海での囁きです。どうぞ!』


『すぅぅぅぅぅ……!!』


 舞台を整え、『バイカムⅡ』が拾う音声だけが配信に乗るようになった状況の中、なぎさが気合を込めて大きく息を吸う。

 本当にやる気満々だな……と、それを見守る女性陣が苦笑を浮かべる中、愛鈴がぼそりと感じていた違和感を呟きとして漏らした。


「……ASMRなのに、あそこまで深呼吸する必要ある? あれじゃあ、まるで――」


 それは配信に乗ることのない、彼女の中だけで完結する呟きであるはずだった

 だがしかし……非常に残念というか、予想外というか、愛鈴が感じた不吉な予感がそのまま的中してしまったというか……なんと表現すべきかはわからないが、彼女の目の前で途轍もない悲劇(喜劇ともいう)が繰り広げられてしまう。


 大きく息を吸い、それを肺に溜め、大きな胸を更に膨れさせたなぎさは……それを一気に吐き出しながら、あろうことかバイノーラルマイクのすぐ近くで大音量の咆哮を繰り出してみせたのである。


『うぉ~~~い! 枢~~~~っ!!』


『あんぎゃあああ――っ!?』


『ちょちょちょ、ちょおっ!? なぎさ、ストップ!!』


 耳元に顔を寄せてはいなかったとはいえ、まさかこの状況で叫ばれると思っていなかった枢の悲鳴が響く。

 別室にいる彼の絶叫を耳にした【SEASON】のメンバーはなぎさの驚くしかない行動に対して突っ込みを入れながら、大慌てで音声をバイノーラル状態から通常のマイクによる状態へと戻し、叫んだ。


『あんた、なにやってんの!? これ、ASMRよ!? 耳元で声が聞こえるようになってんのよ!? その状態で大声出す馬鹿がどこにいんの!?』


『え? でもほら、ちょっと離れた位置から駆け寄って来るみたいな雰囲気を出そうと思って……』


『そういうのはもっと距離を取るか、声量を調節してやるの! あんたのそれはただの鼓膜破壊RTAよ!!』


『普通に放送事故ですね、はい』


【鼓膜ないなった。なにも聞こえん】

【耳がキーンってする、キーンって……】

【流石の俺もこれは予想外だった、ぜ……ガクッ】


『あわわわわ……!? り、リスナーの皆さん、うちの馬鹿が本当に申し訳ありません!! こいつにトップバッターを任せるべきじゃありませんでした~!』


 まさかの案件放送でとんでもない放送事故を引き起こしたなぎさの不始末を代わりに謝罪するさくら。

 自分たちの想像を遥かに超える(下回るともいう)彼女の行動をどうフォローすればいいのかとパニック状態になりながら考える中、芽衣がおそるおそるといった様子で声を上げた。


『あ、あの……ちょっといいですか?』


『は、はい! なんでしょうか、羊坂さん!?』


『いえ、その……さ、さっきから、枢くんのバイタルをチェックしてるんですけど……し、心拍数もストレス値も、どっちも0になってて……』


『え? え? えええっ!?』


 その指摘を受けたさくらが大慌てで画面に表示される枢のバイタルを確認してみれば、確かにどちらも0のまま一切の反応を見せていないではないか。

 まさかそんな……!? と、彼女が最悪の事態を想像する中、同じことを考えているであろうリスナーたちが戦々恐々とした雰囲気でコメントを送ってきた。


【枢、死んだんじゃないか……? 断末魔の悲鳴みたいなのが聞こえたぞ?】

【ASMRボイスを聞いてショック死とか、笑い話にもならないぞ……!?】

【ま、マジでガチの放送事故起こってない?】


『す、スタッフさ~ん! い、急いで枢の安否を確認して! あいつが死んでないか確かめてくださ~い!!』


 冗談抜きでとんでもない事態になってきたことを感じ取った愛鈴が別室の枢の様子を確認するようにスタッフに叫びかける。

 これで本当に彼が死んでいたら色んなものがお終いになるところであったが、スタッフたちが枢の様子を安否を確認するよりも早く、彼の声が聞こえてきた。


『だ、大丈夫っす……驚いて椅子から転げ落ちた時に『Contrast』の接続が切れちゃったみたいで、バイタルが0になってるのはその影響っすね』


『ああ、よかった……! 本当にすいません、蛇道さん! この馬鹿にはよく言い聞かせておきますので、どうか、どうか……!!』


『ご、ごめんなさい……もう少し勉強しておくべきでした……』


『いえ、大丈夫っすよ。ちょっと驚いただけですから。うちの母親の絶叫に比べたら声量も抑え気味でしたしね。あんま気にしないでください』


【流石は枢だ、なんともねえや!】

【耐火性だけじゃなく、防音性にも優れてるのか……】

【普通ならば炎上しそうな状況だが、枢が相手だと許される。よかったな、なぎさ】

【なお枢本人はこの後炎上する模様】

【#もう少し静かにしろしゃぼん】


 あわや大炎上という放送事故であったが、ちょっとしたトラブルを味方に付けた枢のキャラクター性のお陰で事なきを得たようだ。

 実際、なぎさの大声も配信を観ていたリスナーたちにとってはそこまでの声量でもなかったのか、今ではすっかり雰囲気が元通りになっている。


 同期の予想外の行動に肝を大いに冷やしたさくらは、なんとか案件放送が中断されるような事態を避けられたことに安堵しながら、一旦この場を仕切り直すためにMCとしてリスナーたちへとこう告げた。


『も、申し訳ありませんが、ここで『Contrast』を再接続するために少しお時間をいただきます。ほんのちょっとだけですので、そのままお待ちください! すいません!!』

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