零、退院する

「ふぅ……短い間でしたが、お世話になりましたっと……娑婆の空気は美味いなぁ~」


 病院の入り口で頭を下げた零は、1週間の入院を過ごしたその建物に背を向けると大きく伸びをしながらそんな言葉を口にした。

 まるで刑期を終えて釈放された罪人のような雰囲気だが、ただ休養期間を終えてVtuberとしての活動に復帰しようとしているだけである。


 左程多くない荷物を手に病院から出て数歩前に歩んだ零は、そこで何かを思いつくとポケットから仕事用のスマートフォンを取り出し、SNSアプリを起動した。

 そして、溜まりに溜まった通知やダイレクトメッセージを目にして苦笑した後、待ってくれているファンたちに向けて、退院を告げるコメントを投稿する。

 

【本日、無事に入院していた病院を退院することが出来ました。体調は万全で、不調をきたしている部分はどこにもありません。急に活動を休止してしまい、多くの人にご心配やご迷惑をおかけしてしまったこと、改めて謝罪させていただきます】


「ま、こんなもんかな……」


 軽い口調ではなく、真剣に謝罪と現状の報告を行うコメントの内容を確認した零が小さな呟きを漏らす。

 今現在、自分を含む2期生を取り巻く状況が非常に複雑でデリケートであることを知っている彼は、自分の不用意な発言で同期たちに迷惑を掛けないように細心の注意を払っているようだ。


 本当ならばこの喜ばしいニュースを明るくおどけた雰囲気でファンたちに報告したいのだが、君子危うきに近寄らずという言葉があるように、出来る限り不安要素は省いた方がいい。

 ここで自分が炎上なんかしたらそれこそ洒落にならない事態になってしまうだろうし……と零が色々なことを考えている間に、1週間ぶりにコメントを投稿した蛇道枢のアカウントには、ファンたちからの喜びの声が大量に送られてきていた。


【くるるん! お帰りなさい!! 心配なんかしてなかったし、戻ってきてくれて嬉しくなんかないんだからねっ!!】

【まだ油断せずに体を大事にしてもろて。復帰配信楽しみにしてるけど、焦んなくて大丈夫よ】

【マジでこれまでつまらないことで燃やしちゃってごめん。これからは枢に負担をかけないよう、気を付けてコメントします】


 寄せられているコメントはおおよそが好意的で、蛇道枢の復帰を祝うものばかりだが、中には少し不穏な気配を放っているものもある。

 休養中に【CRE8】と話はしたのかだとか、愛鈴のことをどう思っているのだとか、訛りを告白したリアについてのコメントを求めてきたりだとか、7日という期間ずっと抱え続けた疑問を投げかけてくる者も少ない数ではあるが存在しており、そのことについて零も多少は辟易としていた。


「復帰した俺ですらこれなんだから、秤屋さんと三瓶さんはもっと大変なんだろうな……」


 ありがたいことに蛇道枢に寄せられるのは回復を祝うコメントばかりではあるが、諸々の事件のせいで炎上し、同期に迷惑を掛けたといわれている天とスイにはその比率が逆転した声が送られてきているのだろう。

 天もそうだが、一生懸命にやり直すことを決めて頑張っているスイの心が折れてしまわないかと不安になった零は、小さく溜息を吐くとその怖れを頭の中から振り払ってみせた。


「……秤屋さんも三瓶さんも頑張ってんだ。俺は、それを信じるべきだろ」


 入院期間中に自分の下を訪れ、謝罪と自分の今後についての話をしてくれた2人のことを思い出し、自分自身に言い聞かせる零。

 とにかく今、情報の少ないうちにああだこうだと考えても仕方がないと……同期たちを信じ、今は自分の復帰に向けて頑張ろうと決めた彼の前に、黒い社用車が止まった。


「すまない、待たせちゃったね。迎えに来たよ、零」


「薫子さん……ありがとうございます」


 車から降り、少ない荷物を受け取りながら声をかけてくれた薫子へと、零が感謝を告げる。

 時間通りに迎えに来てくれた彼女に続いて車に乗った零は、自宅である社員寮へと続く道を薫子の運転の下で駆け始めた。


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