休憩中の、くるめい


「打ち合わせ、上手く進んでるね。三瓶さんも積極的に意見を出してくれてるし、この前のピリついた雰囲気が嘘みたいだよ」


「そうだね。いい感じに具体的な案も詰められてるし、この調子でいけばきっといい配信の企画が出来上がると思うよ」


 休憩時間中、有栖とそんな話をしながら自動販売機に飲み物を購入しに行った零は、こうして彼女と2人きりで話すのも久々だなと考えていた。

 思えば最近はスイに掛かり切りで、有栖と絡むこともなかったな……と改めてここ暫くの自分の生活を振り返った彼は、ちょっとした不安を胸にこんな質問を彼女に投げかける。


「有栖さん、大丈夫? 最近ご飯渡せてないけど、ちゃんとしたもの食べてる?」


「むぅ……平気だもん。最近はカップラーメンとかコンビニのお弁当を食べる量も減らしてるし、少しずつ自炊出来るように頑張ってるもん」


 それはよかった、と有栖の返答に安堵した零がその感情を表すような笑みを浮かべる。

 有栖がまた不健康な食生活を送っているのではないかという不安を解消した零であったが、そんな疑いをかけられるのは心外だとばかりにジト目でこちらを睨んだ彼女は、逆にこんなことを言ってきた。


「零くんの方こそ大丈夫なの? 最近ずっと忙しそうだけど、バテたりしてない?」


「あ~……暑さのせいか食欲が減退気味かな?」


「えぇっ!? それ、私のことを心配してる場合じゃないよ! もっと自分に気を遣ってあげないと!」


「あはははは、大丈夫だよ! なんだかんだでこの間も加峰さんに焼肉奢ってもらったりしたしさ。ご飯が喉を通らないみたいな感じではないって!」


 有栖の不安を笑い飛ばし、自分は平気だと強がる零。

 そんなことを言いながら自動販売機に硬貨を投入し、飲み物を購入する彼の姿を有栖はじっと見つめていた。


 本人はこう言っているが、零はここ最近かなり多忙な毎日を送っているはずだ。

 確かに今の彼には疲れの色や目に見える不調は出ていないが、それでも体力は結構消耗しているはずである。


 夏の暑さも相まって、それがよろしくないことを引き起こすのではないか……と、拭い切れぬ不安を抱えた有栖が見守る中、零は2本購入したペットボトルのお茶を取るべく屈もうとしていた。

 何も言わずに自分の分の飲み物も買ってくれたことに感謝しつつも、そういう気遣いばかりしてしまうところに抱いている不安を加速させる有栖であったが、そんな彼女の胸中など知る由もない零は笑みを浮かべながらお茶が入ったペットボトルを彼女へと差し出す。


「はい、お茶でよかった?」


「うん、ありがとう。でも、そこまで気を遣わなくていいのに」


「あはは、ごめんごめん。なんかつい癖でね」


 自分の気も知らないで呑気に笑う零へと若干の恨みを込めた視線を向けながらも、彼からペットボトルを受け取る有栖。

 胸の内のムカムカと不安を押し流すように蓋を開けてその中身を小さい口の中いっぱいに放り込んだ後、喉を鳴らしてそれを飲み干した彼女が、再び零を見やると――


「……零くん? どうかしたの?」


「え? あ、ああ……なんでもないよ」


 ――彼は、じっと自分の左手を見つめたまま、動こうとしていなかった。

 有栖が受け取った飲み物を口にしている中、未だにペットボトルの蓋すらも開けずに突っ立っていた彼の姿に訝し気な視線を向ける有栖であったが、零はそんな彼女から視線を向けられるや否や、誤魔化すような笑みを浮かべてひらひらと左手を振ってみせる。


「そんな風にぼーっとしちゃってさ、やっぱり疲れてるんだよ。少しは休身を取った方がいいって!」


「大丈夫だって! なんてことないさ、本当にね」


 有栖からの追及を誤魔化すように蓋を開け、中のお茶を口に含む零。

 これ以上は自分のお説教を聞くつもりはなさそうな彼の様子にぷくっと頬を膨らませる有栖であったが、すぐに視線を逸らすと自分に言い聞かせるようにしてこんな考えを思い浮かべる。


(今が大事な時期だっていうのは間違いないし、零くんも踏ん張りどころだってわかってるから一生懸命なんだもんね。それに、本人がああ言ってるんだから、私がしつこく言っても逆効果になるかもしれないし……)


 自分のことは自分が1番理解しているという言葉があるように、零の体調は他の誰でもない零自身が1番理解しているはずだ。

 その零が大丈夫と言っているのだから、その言葉を信じるべきだと……そもそも自分なんかと比べても自己管理がしっかり出来ている彼のことを心配すること自体が間違っているのではないかと考えた有栖が、小さく溜息を吐く。


 こうやってしつこく彼の体調を不安視しても、口出しするだけで特に何が出来る訳でもない。

 せめてご飯の1つや2つくらいを作ってあげられるだけの家事スキルがあればと思いながら、零にべったり張り付いているだけではただ彼を消耗させるだけだと考えた有栖は、ここで一旦その話を切り上げることにした。


(元々が不安しいだもんね、私……こうやって零くんにお説教するのも、構ってほしいからだったりして……)


 忙しい日々を送っているのは沙織だって同じのはずだ。

 だが、自分が心配するのは零のことばかりで、彼女のことは二の次に考えている。


 もしかしたら……ここ最近、スイに構ってばかりで話すことすらまともに出来なかった彼と久々に2人きりになれて、その時間で少しでも零に構ってほしいだなんて嫉妬じみた感情を抱いたからこそ、ここまで彼の体調を不安視しているのではないだろうか?

 色々と恥ずかしいその行動にほんのりと頬を赤らめつつ、その赤みを引かせるようにして冷たいお茶を一気飲みする有栖へと、ペットボトルの蓋を閉めた零が言う。


「さ、そろそろ戻ろう。打ち合わせも早く終わらせた方が、休む時間も取れそうだしね」


「う、うん、わかった」


 すたすたと自分の前を歩く零の背中を見つめながら、そのしっかりとした後ろ姿を目の当たりにした有栖は自分自身の中にあるもやもやを振り払うようにして言い聞かせる。

 こんなものはただの杞憂だと。零のことを心配するより、2期生コラボで最も役に立っていない自分の現状をどうにかしろと。


 今の自分には他の誰かを心配する余裕などないはずだ。

 スイが積極性を見せ、天も沙織も年上らしいリーダーシップを発揮する中、女性恐怖症だなんだと言い訳をして一歩引いている場合ではない。


 大丈夫、零は自分なんかよりずっとしっかりしている。そんな彼のことを心配するだなんて、お門違いでしかない。

 今は自分のことに集中することこそが零の負担を軽減することに繋がるのだと判断した有栖は、抱えていた不安を振り払うと彼の後を追って早足で駆け出した。


 ……ただ、この時彼女は気が付くべきだったのだ。自分がという行動に対する、違和感に。


 これまでずっと、零は有栖に歩幅を合わせていた。彼女に気を遣い、彼女に無理をさせぬよう、様々な部分に注意を払って行動していた。

 零は有栖を置いて先に行かぬよう、彼女が自分の隣を歩けるよう、色んな事を考えて行動していたはずだ。


 それが……この日、この時だけ、彼はその気遣いをしなかった。

 本当に些細なことであったが、この瞬間だけが、唯一零が異変を表に出した場面だったのである。


 要するに、端的に、一言で全てを表すとするなら、こういうことになる。


 

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