収録と、感想
「おっつかれ~! はい、お水!」
「ありがとうございます。あとは有栖さんだけっすね」
それから暫く時間が過ぎた、【CRE8】本社内の音声収録スタジオ。
たった今、練習曲の収録を終えた零がブースから出たところで待ち受けていた沙織からペットボトルを受け取ると、それを一口飲み込んでから自分と入れ違いで収録を始めた有栖を見つめながら言った。
スイと天はトイレかなにかで席を外しているようで、今、この場にいるのは沙織と零だけのようだ。
取り合えず、全員で順番に同じ曲を歌って、それぞれの声質や歌の技量等を確認しよう……ということで始まったソロパート披露会は、人前で歌うことに慣れていない零にとってはかなりの緊張を感じさせるものだった。
カラオケでわいわい楽しく歌うのとは違う、仕事として歌うという行為に対する巨大過ぎる不安と重圧を感じながらもなんとか自分の収録を終えた零は、自分と同じかそれ以上に緊張しているであろう有栖に余計なプレッシャーを掛けぬよう、沙織と共にスタジオを出てすぐの休憩室へと向かい、彼女が歌を収録し終えるのを待つ。
適当な席に座り、ひと息ついたところで、会話は先程まで各人が披露していた歌の内容へと移っていった。
「零くん、思ってたより歌上手じゃない! 多少は不慣れなところがあるけど、私はあれもらしくて良いと思うよ!」
「あ、あはは……! 褒めてもらえるのは嬉しいっすけど、喜屋武さんたちの歌を聞いた後だと自分の歌に自信は持てないっすよ……」
そう、沙織からの褒め言葉に感謝しつつも、自分より先に収録を終えた3人の歌声を思い出した零が乾いた笑い声を漏らす。
その笑みに潤いを与えるようにしてペットボトル内の水を一気に飲み干した彼であったが、胸の中に渦巻く不安の感情を掻き消すことが出来ないでいた。
「やっぱ実力差があるっすね、俺と皆さんとじゃ……編集を入れるとはいえ、どうにか出来るものなのかな……?」
「本当に気にする必要はないって! 私が聞く限り、零くんと私たちとの歌の技術にそこまでの差はないよ! なんだったら、編集入れなくとも殆どそのままで披露できそうな歌声だったもん!」
才能マンであり、大概のことは上手くこなせる零は、歌に関してもなかなかの技術を誇っているようだが……彼個人としては、そこまで自分の歌声に自信が持てずにいるようだ。
まあ、数か月前まで一般高校生だった彼が、所属していたユニットでセンターを張っていた元アイドルに、事務所内でもNo.1の技術を誇るとファンたちから称賛される歌特化の同期、更には声優志望であり、そういった技術に関しての研鑽も積んでいるであろう年上の女性と歌声を比較されるとなれば、そう考えてしまうのも当然の話だろう。
沙織とスイが並外れた歌の技術を有していることは知っていたが、まさか天までもが彼女たちと匹敵する技量を持っているとは思わなかった。
これでは素人組の方が少数派で、自分と有栖が肩身の狭い思いをする羽目になるじゃないか……と、3人との差に若干凹む零へと、沙織がフォローの言葉と共に自分の心境を吐露する。
「本当に平気だと思うけどなぁ。私の方こそ、元アイドルの癖に現役女子高生のスイちゃんに負けてるような気がして凹んでるもん。流石は【CRE8】で1番の歌姫ってみんなから言われるだけのことはあるさ~」
「確かに三瓶さん、滅茶苦茶上手かったっすね。でも、俺は喜屋武さんの歌の方が好きだけどな……」
「およ? 弱ったお姉さんに優しい言葉をかけるだなんて、さては零くん、私を狙ってるな~? 私がいないところではスイちゃんの方を褒めて、こっそりハーレムを作ろうと立ち回ってるんでしょ? 浮気者め~!」
「んなわけないじゃないっすか! 心配して損しましたよ、もう……!」
珍しく弱音を吐いた沙織を心配して慰めの言葉をかけた零であったが、即座におどけた様子で普段通りに自分をからかってきた彼女の態度に憤慨しつつ、中身が空っぽになったペットボトルをゴミ箱へと放り投げる。
綺麗な放物線を描いて見事にゴミ箱の中にペットボトルが入る様を目にした沙織がパチパチと拍手をする中、零は改めて沙織たち3人の歌声について思い返していった。
(喜屋武さんも三瓶さんも秤屋さんも、俺とは比べ物にならないくらいに歌が上手い。それは間違いないんだが……)
すっと耳に入ってくるスイの歌声も、アニメ声を活かした可愛らしい天の歌も、どちらも素人とは思えないくらいに上手く、元アイドルの沙織と比較しても遜色のないものだと零は思っている。
だが、しかし……どうしてだかはわからないが、彼女たちと沙織を比べると、沙織の歌の方が良いと零は思ってしまう。
いや、思うのではない。感じる、と言った方が正しいだろう。
歌の技術も、知識も、経験もない完全なる素人の零には、彼女たちと沙織との間にある差のようなものは理解出来ないが……3人の歌を連続で聞いた時、自然に沙織が1番だと心の中で結論を出してしまっていた。
どうしてそういう風に思ったのか、感じたのかは、零本人にもわからない。
もしかしたら、単純に3人の中で最も付き合いが長く、好感度が高い沙織への忖度のようなものが働いている可能性もある。
しかし、先に彼女に告げた通り、零は自分たちの中で最もいい歌を歌うのは沙織だという想いが揺るぎのない感情として固まっていた。
まあ、彼女たちよりも圧倒的に劣る自分が彼女たちのことを偉そうに評価すること自体がおこがましい話なのだが……と、零が考えていると――
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