ななな、なんと


 冗談じゃない、と言わんばかりの表情で叫んだ零は、自分の新衣装のデザインを担当しているであろう梨子へと視線を向ける。

 一体全体、どうしてこんな事態になっているのか? と言葉ではなく目で問いかける零にそれを説明したのは、事務所の社長であり梨子に仕事を依頼した薫子であった。


「そういう性格なんだよ、こいつは。一度ドツボに嵌るとなかなか抜け出せなくなっちまう、そんな不安定なメンタルしてるんだ。蛇道枢以外の新衣装案は順調に上がってたから油断してたけど、発作が起きちまったみたいでね……」


「す、す、すいません~っ! 完全にスランプ状態になっちゃって……もう駄目だ、お終いだぁ……!!」


 ずぼらな性格に反して、割と繊細であるような梨子がおいおいと泣きながら零と薫子へと土下座をする。

 自分の分身を生み出した母親である彼女の情けない姿ばかりを目にし続けている零は、口元をひくつかせながらそんな梨子を見つめるしかなかった。


「……でも、どうして急にそんな風になっちまったんだい? さっきも言ったけど、蛇道枢以外の担当した水着デザインは順調に仕上がってたじゃないか」


「だだだ、だってぇ……!! プレッシャーがヤバいんすよ、マジで!!」


 土下座の体勢から上半身を起こした梨子が、はわはわと両腕をせわしなく動かしながら薫子へと言う。

 泣きながら、焦りながら、申し訳なさそうにしながら……様々な負の感情が入り混じった心のままに、彼女は我が子と社長へとスランプに陥った原因を語っていった。


「そりゃあ、自分だって最初は気合十分でしたよ! 蛇道枢は自分が担当した初めての男性Vtuberなわけだし、素敵な水着を着せてやるぞって思ってたんすよ!? で、でも……ファンたちの期待のデカさがヤバすぎて、それがとんでもないプレッシャーになってるんすよ~っ!!」


「ふぁ、ファンの期待って……そんなの、俺よりも他の皆さんの方が期待されてるんじゃないっすか? っていうか、野郎の水着を見たいって思ってる奴なんて誰も――」


「甘いっ! 甘いっすよ零くん!! っていうか無自覚なんすか!? 今の君、ものすんごい勢いで伸びてるじゃないっすか!!」


 梨子の意見を否定しようとした零であったが、その言葉の途中で口を挟んだ彼女によって逆に反論を否定されることになってしまった。

 なんだかよくわからない状況だなと困った彼が薫子の方へと振り返ってみれば、薫子はどちらかといえば零の方に呆れているような顔をしており、自分の注目度を理解出来ていない彼へと噛み砕いた現状の解説を開始してみせる。


「零……あんた、沙織と【SunRise】とのいざこざを解決した直後の自分のチャンネル登録者数、覚えてるかい?」


「え? えっ~と……確か、8万か9万じゃなかったっけかな……?」


「そうだね。騒動の前は5万人目前だって状況だったが、炎上を経て新規ファンを獲得して、一気にその数を倍近く増やしたわけだ。この勢いは凄いよ。本当に凄い」


「いや、でも伸び率は喜屋武さんの方が上なわけだし、登録者数も先輩たちに比べたらまだまだ少ない方でしょう? そんな取り立てて騒ぐほどのことじゃあ――」


「その程度ならね。……零、あの騒動から既に数週間の時が流れてる。そんで、今のあんたのチャンネル登録者の数は、何人だい?」


「え~っと、ぱっとは思い出せないな……ちょっと待ってください。今、確認しますんで」


 そう言いながらスマートフォンを取り出し、蛇道枢のチャンネル登録者数を調べ始める零。

 Vtuberとして何よりも大事なチャンネル登録者の数を把握していないだなんてちょっとプロ意識が欠けるのではないかと思いつつ、最近は色々と忙しくてそれどころではなかったのかもしれないなと甥のうっかりを許容した薫子が見守る中、確認を終えた零は顔を上げると、叔母と母親(義理)へとその答えを告げた。


「あ、わかりました。現在のチャンネル登録者数、18万人だそうです。ぐえっ!?」


「それ! それっす!! どう考えてもおっかしいでしょうがよ!! ねえっ!?」


「く、苦しい……!! 加峰さん、落ち着いて……っ!!」


 平然とした様子で現在のチャンネル登録者数を口にした零が超光速で飛んできた梨子に首を締められながらぶんぶんと体を揺さぶられる苦しさに呻く。

 先程までの弱々しい雰囲気を一変させ、怒りにはっちゃけている梨子は零を解放すると、自身が感じている重圧の原因である彼へと発狂気味に突っ込み兼罵声を浴びせていった。


「おかしいって! どう考えてもヤバいって!! なんで4万人が8万人になってから1か月もしてないのに20万人目前までチャンネル登録者が増えてるんすか!? どんだけ爆発的な伸びを見せてるんすか!? しかもそれを自覚してないって、零くんはなろう系主人公か何かなんすか!?」


「い、いや、登録者数が伸びてるのは俺だけじゃなくって、芽衣ちゃんもたら姉も同じじゃないですか。それに、18万人なんて数字、1期生の先輩たちからすればまだまだひよっこみたいなものでしょう?」


 零の一言は純粋に謙遜の意味を込めてのものであったのだが、それが実にマズい事態を引き起こした。

 再び怒りを露わにした梨子は彼の両肩を掴むと、泣き怒りの形相を浮かべながら零の体をガクガクと揺らし、大声で叫ぶ。


「自分の、チャンネル登録者数は、32!! そりゃあ、同人イベントなんかに参加するために冬の間お休みもらってたりしてたっすけど、半年かけてそこまで集めた自分の数に、たった2か月ちょっとで追い付きそうになってる零くんたちはなんなんすか!?」


「……零、確かに爆伸びしてるのはあんただけじゃなくて、有栖も沙織も同じだ。でもね、その中でもあんたの伸びが1番凄いんだよ。そもそも、あんたら3人の人気の出方は明らかに異常としか言いようのないレベルなんだ」


「え……? そ、そうなんすか?」


 予想外の言葉を受けてぎょっとした表情を浮かべる零へと、薫子は嬉しい誤算だけどね、と前置きした上で話を続ける。


「あんた、2期生の残り2人のチャンネル登録者数を知ってるかい? あの2人、まだ6,7万人ってところなんだよ?」


「えっ……!? う、うそぉ……!?」


「本当さ。というより、そっちが普通なんだ。【CRE8】も注目を浴びるようになってきたけど、決して超大手のVtuber事務所ってわけじゃない。この界隈には在籍タレントが100名近い事務所もあるし、海外進出に力を入れて国外のファンを集めてる事務所だってある。そんな特大箱ですら、1年間続けてチャンネル登録者数が10万を下回ってるタレントがいたりするくらい、Vtuberってのは厳しい世界なんだ。そんな業界であっさり10万っていう節目を飛び越えて、まだ勢いが衰えてないあんたたちが異常なんだよ」


「生みの親である自分からしてみたらっすねぇ! やっとよちよち歩きするようになった自分の子供からちょっと目を離したら、その子がオリンピックでぶっちぎりの金メダルをもぎ取るくらいの陸上選手になってたってくらいの衝撃なんすよ!! 嬉しい! 素敵! 流石は自分の息子っ!! だけど急展開過ぎてメンタルがついていかないっ!! おろろろろろろ……!!」


 プレッシャーに耐え兼ねた梨子が蹲って吐き気を催す中、徐々に自分とその周囲の異常性に気が付き始めた零が表情を強張らせる。

 薫子は、そんな彼へとトドメとなる重大な情報を遠回りに告げるべく、こんな質問を投げかけた。


「そんで、零。あんた、羊坂芽衣と花咲たらばのチャンネル登録者数、知らないだろう? ちょっと数を調べてみな」


「あ、はい……」


 薫子に言われるがまま、2人のチャンネル登録者数を調べる零。

 ややあって、その答えに辿り着いた彼が息を飲む中、全てを知っている薫子が静かに零へと告げた。


「羊坂芽衣のチャンネル登録者数はおよそ17万9000人。花咲たらばは約18万3000人。それで、蛇道枢が18万5000人……本当に僅差だが、現在の【CRE8】2期生のチャンネル登録者数トップはあんたなんだよ、零」

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