食後、ベンチにて
「さ、流石に食い過ぎた……なんであんなに料理が運ばれてきたんだ……?」
「ご、ごめんね、私、少食だから、ほとんど食べられなくって……」
「大丈夫、大丈夫……! にしても、本当に今日はよくわからん事件が多発する日だな……」
レストランでの食事を満腹過ぎるくらいの状態で終えた零は、その満足感故に足元をふらつかせながら、よりにもよって有栖とのデートのさなかに異様な出来事が連発していることへの悪態を吐いた。
なにが原因でこんなことになっているんだと疑問を抱く彼だが、その原因が自分たち自身の尊さというか、付き合いたてのカップルのような甘酸っぱさにあることは気が付いていないようだ。
少しばかりベンチで休み、苦しくなるくらいに膨れてしまった腹が凹むまで休憩することにする零と有栖。
行き交う人の波を見つめながらぼーっとしていた2人は、少しずつ落ち着きを取り戻すと共にこの後の予定について話し合っていった。
「えっと……水着の試着も終わらせたし、あとは細々とした用事だけだよね?」
「ああ、うん。でもちょっと今は何かを食べるのは勘弁して。そんなことしたら、本当にお腹がはち切れる」
「ふふっ、そうだよね。ゲームセンターで遊ぶのも疲れちゃうだろうし……パフォーマーさんを探して、見物してみる? たしか、そういうスペースが地図に載ってたはず……」
ごそごそとポシェットの中からモールの地図を取り出し、それを確認する有栖。
零も横からそれを覗き込み、一緒になって路上パフォーマンスが行われているであろうスペースを探していく。
「う~んと? こういうのは大体が1階にあるものだって相場が決まってるよなぁ……」
「外のスペースの可能性もあるね。案内板を見て、何かイベントがやってないか確認した方がいい、かな……!?」
そんな提案をしながら顔を上げた有栖が、思ったよりも近くにあった零の顔に驚き、声を詰まらせる。
零もまた、自分が想像していたよりも有栖に近付いていたことに気が付くと、小さな彼女の顔がすぐ目の前にある状況にびっくりして言葉を失ってしまった。
さらさらとした黒い髪と、その前髪の合間からどんぐりのように丸く見開かれた瞳がちらちらと覗く様にドキリと胸を高鳴らせる零。
有栖もまた、自分の方に急激に顔を近付けていた零の様子に、恐怖よりもときめきを感じている自分自身にある種の困惑を覚えながら息を飲む。
暫し、そうやって至近距離で見つめ合っていた2人であったが……同時にはっと気を取り直すと、大慌てで顔を離し、ベンチの端と端に飛び退くようにして距離を取った。
「ご、ごめん、デリカシーが、足りなかったみたいで……」
「い、いえ、私の方こそ、必要以上に驚いてしまって申し訳ないと言いますか……」
お互いに言葉遣いをおかしくしながら、ギクシャクとした雰囲気を醸し出す零と有栖は、じっくりと見つめ合った際の相手の顔を思い出して赤面しているようだ。
やっぱり十二分に可愛い女の子だよなと有栖を評価する零と、怖そうに見えるけど本当は物凄く優しい人だと見た目と反した零の面倒見の良さを理解した有栖は、相手に対する妙な意識に気恥ずかしさを感じてしまっていた。
(落ち着け~……! 有栖さんは同期、同僚、ただの仕事仲間。うっかり手を出したなんて噂が立ってみろ、炎上からの大炎上で灰になるまで焼き尽くされることになるぞ!?)
有栖は自分に好意を寄せてくれているが、それはあくまで信頼感があることが大前提のものであって、恋愛感情ではない。
そういった部分を忘れて、彼女と異性としてどうこうという妄想を働かせてしまえば、この関係が崩れることは勿論、それ以上の被害を被ることになるだろう。
男性の下心というものは、総じて他者からは感じ取りやすいもの。女性は特にそういった気配に敏感だ。
折角、自分にここまでの信頼を寄せてくれるようになった有栖を裏切るような真似をすれば、彼女のことを男性恐怖症にしかねない。
そういった邪念を捨て、紳士的な対応と真摯に向き合う気持ちを忘れてはならないと、炎上の被害を思い浮かべながら自分を落ち着かせる零。
その一方で有栖もまた、心臓の鼓動を落ち着かせるようにして心の中で自分自身への呼びかけを行っていた。
(れれれ、零くんとは、ただの同期! 確かに凄く仲良くなれたし、1番信頼してる人なのは間違いないけど、これは恋愛感情じゃない! これは、そう……お兄ちゃんに向ける感情と同じ!!)
ほぼ間違いなく、これまで出会ってきた男性……いや、下手をすれば全ての人間の中で最も良好な関係を築けている零には、確かに自分も深い信頼と好意を寄せている。
だがしかし、それはあくまで人間として彼を好きなのであって、男性としての好意ではない。と、自分自身に必死に言い訳をしていく有栖。
この信頼を恋愛感情と勘違いして零に迫ったとしても、きっと優しい彼を困らせるだけだ。
何より、同僚と恋愛だなんてVtuberとして最大の炎上の火種を零に抱え込ませるだなんてことは避けなければならない。
お互いがお互いに複雑な感情を抱えながら、それを必死に落ち着かせようと努力しながら……そうやって距離を取っていた2人は、何の因果か同じタイミングで顔を上げ、相手の方を見やり、お互いに見つめ合う。
あまりにもばっちりなそのタイミングに再び緊張感を高めた有栖は、弾かれるようにして立ち上がるとあわあわと落ち着かない様子で零へと叫ぶようにして言った。
「わ、私、案内板見てくる!! 零くんはそこで待ってて!」
「あっ、ちょっ!?」
大慌てで駆け出していく有栖の姿に、嫌な予感を覚えた零もまた彼女を追うために立ち上がる。
こういう時、大体の場合はろくでもないことが起きるんだ……というまず間違いなく的中する予感を、零が抱いた時だった。
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