人ごみに、紛れて……


「おい! 今、向こうで【SunRise】がロケやってるってよ!!」


「マジ!? 見に行かなきゃ!!」


「や、やっべっ!!」


 大勢の人々の足音と共に、遠くからそんな声が聞こえてきた。

 その気配に気が付いた零が視線を音のする方向へと向けてみれば、多くの人々がこちらへと押し寄せてきているではないか。


 1時間ほど前に顔を合わせた祈里が、今日はここでロケがあると言っていたことを思い出した零は、彼らが全員【SunRise】のロケを見物しに行こうとしていることを悟ると共に、その進行方向に有栖がいることを見て取って血相を変える。

 このままでは、あの人の波に彼女が巻き込まれてしまう……そう考えた瞬間、零は猛ダッシュで有栖の下へと駆け寄り、彼女の手を引っ張った。


「有栖さんっ!!」


「えっ!? きゃあっ!?」


 ぐいっ、と小さな有栖の体を自分の方へと引き寄せる零。

 そのまま、近くにあった柱の陰に隠れるようにして体を寄せると共に、そこからはみ出さないように有栖を抱き寄せる。


 数秒後、サバンナを駆けるバッファローの如く猛進してきた人の波に巻き込まれそうになりながら、その激しい移動の音に身を竦ませながら、2人はただただ体を寄せ、人々が去り行くまでじっとその場で身を潜めていた。


『……お客様にお願い申し上げます。現在、多くのお客様がお急ぎになって移動するため、お客様同士の接触事故が多発しております。移動の際には走ることなく、周囲を確認しながらの移動を心がけてくださいますよう、お願い申し上げます』


 暫くして、館内の利用客たちへと注意を呼び掛ける放送を耳にした2人は、周囲に移動する人々の姿が存在しないことを確認して、突然に訪れた危機が去ったことに安堵の溜息を漏らした。

 ……のだが、それとはまた別の危機が現在進行形でやって来ていることに気が付くと、ほぼ同時に赤面しながらお互いの顔を見つめる。


「「あっ……!?」」


 すっぽりと、零の腕の中に納まった小さな体。

 華奢な肩と、小柄な胴体と、僅かに震える頭が、全て零の体に密着するように抱きすくめられている。


 その状況と、お互いが感じる相手の温もりと感触を意識した2人が、暫しの間、その状態のまま無言で見つめ合う。

 これが偶発的な事故であり、お互いに他意はなかったということを理解しつつも、こうして異性と体を寄せ合っている状況に緊張が高まって仕方がない。


 零が有栖の体を自分から引き剥がすことも、有栖が自ら零の腕の中から抜け出すことも、お互いにしようとしなかった。

 動揺で頭が回らず、緊張で体が硬直していたということもあっただろう。

 だが、同時に妙な心地良さを感じてもいた2人は、お互いにこの状況をもう少しだけ続けていたいという気持ちを抱いていたのである。


「あ……その、ごめん……」


「う、ううん、助けてくれて、ありがとう……」


 抱き合うような状態になりながら、体を離すこともしないまま、呟きにも等しい声量で言葉を交わす零と有栖。

 自分を見下ろす零の、優しくもその中に戸惑いを秘めた瞳をじっと見つめながら、自らも迷いを抱えた状態で両の拳を開いたり握ったりして次の行動をどう起こすかを悩んでいた有栖であったが……そこで不意に、あることに気が付いてしまった。


「あ、あれ……? 袋が、ない!?」


「え、ええっ!?」


 右手にも、左手にも、先程零から買ってもらった水着が入った袋が握られていない。

 そのことに気が付いた有栖が素っ頓狂な叫びを上げると共に、零もまた正気を取り戻したかのように目を見開くと彼女の体を解放し、周囲を見回した。


「ど、どうしよう? さっきのごたごたの時、うっかり手を離しちゃったせいだ……!!」


「い、いや、俺が強引に引っ張って有栖さんを驚かせちゃったせいだよ」


 目立つデザインの、決して小さくはない袋を探して周囲を見回す零であったが、お目当ての代物らしき物体は何処を探しても見当たらない。

 先程の移動する人々に蹴り飛ばされ、どこか遠くまで運ばれてしまったのではないか……と、折角のプレゼントを紛失してしまったショックに有栖が打ちひしがれる中、そんな2人へと近付いてくる影があった。

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