過激派、再会


 気持ちを落ち着けるためのショッピングモール内の散策は、なんとも奇妙な雰囲気の下で行われた。

 水着の試着とその感想を告げるという気恥ずかしいにもほどがある行為をもう少ししたら行わなければならないという事実はどう足掻いたって頭の中から消えるはずもなく、零も有栖もその羞恥にどうにもお互いにぎくしゃくした対応を取ってしまう。


 まあ、嫌悪感ではなく、純粋な緊張だけを感じているというところから察するに、お互いがお互いに抱く信頼度と好感度の高さが伺い知れるというものなのだが、今の2人にはそんなところまで考えを及ばせる余裕は存在していないようだ。


 取り合えずは指示通りに店を探したり、パフォーマーのショーを見物したりしてこの後に控えるイベントに対する覚悟を決めようとしていた零は、不意に有栖に着ている服の裾を引っ張られたことにびくりと震えて反応を見せる。


「うおっ? ど、どうかした?」


「あ、あの、えっと……ちょっと、お花を摘みに行ってもいいかな……?」


 恥ずかしそうに頬を赤らめながら、視線をすぐ近くのトイレへと向けた有栖が言う。

 こういうのも男の方からさり気無く機会を作り出して、女性に恥を掻かせないようにすべきだったんじゃないかと自分のことばかりで頭がいっぱいになっていたことに反省しつつ、零は有栖へと頷きながら、化粧直しへと行くように促した。


「う、うん。行ってらっしゃい。俺はここで待ってるよ。あんまり焦らなくても大丈夫だからね」


「あ、ありがとう……」


 こういう時、なんて言って女の子を送り出したらいいのかがわからない。

 あまり深く突っ込むとデリカシーがないように思えるし、逆にさらりと言い過ぎるとそれはそれで嫌味なんじゃないかなと、女性とのお出掛けにおける大きな問題に直面した零は、機会があったら薫子辺りに正解を聞いておこうと考える。


 そのまま、近くの壁に背を預け、有栖が戻ってくるのを待ち続けていた彼であったが……ぼーっと眺めていた通行人の中に、気になる顔を見つけて目を細めた。


「んぁ? あれって、もしかして……」


 まさか、と思いつつも記憶の中にあるとある人物の顔と、今しがた自分が目にしたばかりの光景を重ね合わせた零は、壁から離れると注視していたその人物の方へと駆け寄っていく。

 若干の気後れと周囲への警戒を払いながら、女物のハンチング帽子を深めに被っているその人物の肩を叩いた零は、振り返った彼女に声量を落としながら確認のために声をかける。


「あの……黄瀬さん、ですよね? どうも、お久しぶりです」


「阿久津さん……!? 驚きました、まさかこんなところで顔を合わせるだなんて……」


 肩を叩かれ、振り返った先にいた零の顔を見て驚くその人物の正体は、ほんの少し前に深く関わる羽目になったアイドルグループ【SunRise】のメンバーの1人、黄瀬祈里だ。

 普段はほとんど感情を出すことのない表情を驚きの色に染め、目を丸くして自分の顔を見つめる彼女へと苦笑を浮かべながら、零は小さな声で彼女との会話を行っていく。


「すいません。見知った顔が近くを通ったんでつい声をかけちゃったんですけど、プライベートの時間でしたか?」


「いえ、大丈夫です。ここには仕事で来ていて、休憩時間にちょっと中を見て回っていただけですから……」


 零からの問いかけに答えながら、眼鏡のブリッジを押し上げるように右手を伸ばそうとした祈里は、そこで今の自分がトレードマークである眼鏡を掛けていないことに気が付き、上げかけた手を降ろした。

 初めて見る祈里の眼鏡を外した姿に新鮮味を感じた零は、素直にその思いを言葉として彼女へと告げる。


「眼鏡、外してるんですね。今日はコンタクトですか?」


「ええ、まあ。帽子を被って眼鏡を外すだけで、案外周りの人は私のことに気が付かないんです」


 普通とは逆で、普段身に着けている物を外す形での変装を行っている祈里の言葉に、零が小さく頷く。

 確かに、ちょっと前に至近距離で長い間彼女の顔を見続けていた自分も、こうして声をかけるまで目にした相手が本当に祈里であるか自信がなかった。

 シンプルながら効果的な変装の仕方をする彼女に感心しつつ、アイドルのオフの姿という珍しいものを見れてラッキーだなと思っていた零へと、周囲を確認した祈里が言う。


「本当なら、この間のお礼を兼ねて何処かのお店でお茶でも、と言いたいところなんですが……申し訳ありません、収録の時間までそこまで余裕がなくて……」


「お礼だなんて、別にそんなこといいっすよ。俺も喜屋武さんも、【SunRise】のみんなが元気にしてるってだけで十分に嬉しいですから」


「……感謝します。阿久津さんたちの方こそ、もうすっかり炎上の余波も収まって、本格的に活動を再開したみたいですね。次回のクリアニ、期待してますよ」


「うぐっ、やっぱそう来ますよね……?」


「当然です。私、くるめい過激派ですから」


 くすっ、と頬を緩めて微笑を浮かべた祈里が、からかうようにして零に言う。

 眼鏡抜き&滅多に笑わない祈里の笑顔という新鮮さマシマシの光景にちょっとだけどぎまぎしつつも、彼女が切り出した話題についてどんな反応をすればいいのかわからずに困惑していた零が恥ずかしそうに頬を掻く中、祈里が彼へと当然の質問を投げかけてきた。


「ところで、阿久津さんの方こそここでなにを? やっぱり買い物ですか?」


「ああ、いや……仕事の一環なんですけど、なんて言うのかな……?」


 祈里からの質問への回答に困った零は言葉を濁すと、この場面に見合った適切な答えを模索していった。

 正直に全てを話しても問題なさそうな気がするのだが、1から10までを全て説明するとなると結構な長話になってしまう自分の事情をどう解説したものかと彼が悩んでいると――


「れ、零くん、お待たせ。思ったよりも時間掛かっちゃって、ごめんね」


「ぬ゛っ……!?」


 タイミング良く(あるいは悪く)、トイレから出て来た有栖が、小走りで零の下へと駆け寄ってきた。

 自分の存在に気が付いていないであろう彼女の反応と、可愛らしいお洒落をしたデートコーデに身を包んだ有栖の格好を目の当たりにした祈里の口からは、アイドルが出してはいけない声が呻きとなって漏れる。


「……あれ? この人、もしかして……!!」


「あ、ああ、【SunRise】の黄瀬祈里さんだよ。ばったりここで出くわして……って、黄瀬さん? お~い?」


「………」


 目の前に居るのは、同じ事務所に所属するVtuberの中の人たち(推し)。

 公式が認め、ファンたちの間でも高い人気を誇るCPの2人。

 そのどちらもがきっちりとしたお洒落をして、出掛けるための服装を身に纏っている。

 そして、彼ら以外にお邪魔虫となりそうな人物の反応が見当たらないことを感知した祈里は、盛大な勘違いのようで当たらずとも遠からずな答えに辿り着くと、とても大きく深い溜息を吐き出してみせた。


「なるほど……そういうこと、ですか……」


「き、黄瀬さん? そういうことって、どういうことですかね?」


「いえ、みなまで仰らずとも結構です。とんだお邪魔をしてしまったようで申し訳ありません。私はそろそろ行きますね。と、その前に――」


 なにか彼女はとんでもない思い違いをしていると、祈里の逞しい妄想を察知した零がその誤解を解こうと声をかけるも、完全に何かに納得している彼女はその言葉に耳を貸そうとはしない。

 お邪魔虫はとっとと退散させてもらう、と言わんばかりに迅速な撤退を行おうとした彼女は、その前に所持しているバッグから財布を取り出すと、迷いなくその中から福沢諭吉の肖像が描かれた紙幣をありったけ掴み取り、それを零たちへと差し出してみせた。


「お収めください。本日分のスパチャです」


「い、いやいや! 急にこんな大金差し出されても受け取れないですって!!」


「気にしないでください。いいものを見せていただいたお礼です。それに、推しに直接貢げる機会なんてそうそうないので……」


「そういう問題じゃないっすよ! あ、ちょっ!? 無理やり押し付けないで!!」


 これを受け取ったら色々とマズい気がする……と考えた零が祈里から差し出されるスーパーチャット(現実版)を拒もうとするも、彼女は女性とは思えない力で無理やりに紙幣を零の手の中へと捻じ込もうとしてくる。

 有栖は当然ながらそんな2人の様子に状況が理解出来ずはわはわと慌てるばかりで、この超展開に思考が追い付いていないようだ。


「お願いだから受け取ってください。後生ですから、一生のお願いを使いますから」


「俺も一生のお願いを使うんで、どうかそのお金を財布にしまってください!! マジでちょっと、注目集めちゃってますから!」


「無理です。急いでこの感情をどうにかしないと尊みで死にます。推しCPを札束で殴ることで冷静になれますので、私の命を救うと思ってこのお金を受け取ってください」


「無理無理無理!! 無理ですって!! 理論がぶっ飛んでて、何一つとして理解出来ませんから!!」


 お金を受け取れ、嫌だというなんとも奇妙な争いを続ける零と祈里へと、行き交う人々の訝し気な視線が突き刺さる。

 なんだか変なことをしている2人組がいるな、とは思うものの、まさかこの2人が今をときめくアイドルと、色んな意味で注目を集めるVtuberの中の人ということに気が付く者は流石にいないようだ。


 そうやって、暫しの間お金の押し付け合いを続けた零と祈里であったが……最終的に、男性であり、力に優れている零が相手を押し切るようにして大量の万札を祈里の手に捻じ込んでみせた。

 収録時間が差し迫っており、これ以上は問答を続けることは出来ないと判断した祈里は巨大過ぎる感情を吐き出すようにして溜息を漏らすと、零と有栖の顔を交互に見回した後で、彼らへと言う。


「わかりました、この場でのスパチャは諦めます。ですが、クリアニのくるめい回が配信された時は覚悟しておいてください。遠慮なく、赤スパチャをぶん投げますので」


「……どんな脅し文句っすか、それ……?」


 もう、意味がわからない。祈里がなにを言いたいのかもわからないし、彼女が考えていることが欠片も理解出来ない。


 捨て台詞よろしくスパチャ予告を行った祈里は、最後にサムズアップを見せた後に無表情ながらもどこか満ち足りた雰囲気を感じさせる顔を2人に見せると、足早に去っていく。

 その背を見送りながら、嵐か台風に遭遇したような強烈なインパクトを残していった彼女とのやり取りにどっと疲労を蓄積させた零は、逆にそのお陰で鎮静化した精神のままに、ぼやきのような感想を口にしてみせた。


「なんだったんだろう、あの人……? 最後までわけがわからなかったなぁ……」


 自分たちの過激派ってあんな感じの人間ばかりなんだろうか? とちょっとした不安を抱えながら、次に祈里と顔を合わせる前に、沙織から彼女について詳しく話を聞かせてもらわなければと零は思う。

 なお、余談ではあるが、その後の収録において妙にテンションの高い祈里が高いパフォーマンスを発揮したことを、追記としてここに記しておく。

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