取り合えず、緊張を解して
(断れるわけねえんだよな、あんなこと言われてさあ……破壊力半端なさ過ぎだろ……!?)
揺れる電車内にて、有栖と出掛けることが決まった日のことを思い返した零は、ちらりと横目で隣に座る彼女の姿を見た。
やや距離を空け、緊張しているように背筋をぴんと伸ばしたまま真正面の窓ガラスを見つめている有栖の様子を確認しながら、零が心の中で溜息を吐く。
普通に考えれば、本当に役得としか言いようのない状況のはずだ。
有栖は間違いなく美少女に分類される人間であるし、そんな彼女と仕事のためとはいえ2人で出かけることが出来るのだから、男としては喜ぶべきところなのだろう。
だが、しかし……やはりVtuberという職業に就いているが故か、どうしてもこのことがバレたらどうしようという不安が頭の中で駆け巡っていることも事実。
特に口の軽い沙織がうっかりこのことを配信中にぽろりと喋ってしまったら……と考えた零は、その末に巻き起こるであろう大炎上を想像してぶるりと身震いした。
「れ、零くん、どうかしたの? なんだか、顔色が優れないみたいだけど……?」
「い、いや、なんでもないよ。ちょっと冷房が効き過ぎてるのかな~?」
炎上のことを想像して背筋が凍えるというのはなんとも皮肉な話だ、と考えながら、自分を心配してくれた有栖を適当に誤魔化す零。
それでも不安そうに自分を見つめる彼女の様子を確認した零は、有栖が緊張しているというより、罪悪感を感じているのではないかと思う。
妙な話……というわけでもないのだが、有栖は自己評価が異様に低い。
外見も内面も零から見れば非常に可愛らしい女の子だと思うのだが、本人はそうは思っていないようだ。
きっと、長年のいじめられっ子としての経験や母親から自分を否定され続けたことが原因でそういう性格になっているのだろう。
今もきっと、無理を言って零を自分の我儘に付き合わせてしまったと思っているに違いない。
同じデートをするにしても、こんな貧相で陰気な自分じゃなくて、沙織みたいなナイスバディで明るい女の子と出掛けたかっただろうな……とか、零は優しいし、社長である薫子の目の前だったから、自分の申し出を断れなかったんだろうな……とか、そんなネガティブなことを考えているであろう有栖の思考が、零には手に取るように理解出来た。
そんな風に、ここ最近のマイナス思考が影響しているであろう有栖の胸中を察して……零は、1度自分の中にある不安感を完全に吹き飛ばし、頭の中をクリーンな状態にリセットする。
(ごちゃごちゃとリスクのことばっかり考えるのは止めだ! ここはまず、有栖さんのためにもこのデートを楽しいものにすることを優先すべきだろ!)
色々と複雑っぽい状況になってしまったが、このデートの目的はプレッシャーを感じているであろう有栖の心を解きほぐし、収録に対する自信をつけるということのはずだ。
ならば、役作りの参考にするためにも、有栖にはアニメの中の芽衣と同じように自分とのお出掛けを楽しんでもらいたい。
こうやって零が自分のことばかり考えていては、有栖も不安になるばかりだ。
こうして時間を作ったのも、炎上のリスクを抱えながらも2人で出かけることにしたのも、全ては有栖のため。
まず最優先すべきは彼女がこのデートを心の底から楽しみ、収録に前向きに挑めるようにすることであると思い直した零は、男として、彼女をリードするという役目を果たすために有栖との会話に打って出た。
「一応、確認なんだけど……有栖さん、デートしたことってある?」
「え、あ、な、ない、よ……私、小学校から女子校に通ってたし、基本的に引きこもりだったから、男の人と話すことって基本的になかったし……」
「ああ、よかった。俺も女の子と2人で出掛けるの、初めてなんだよね」
「……そうなの? 零くん、結構手慣れてるように見えるから、百戦錬磨の経験者なのかと思ってた」
「はははっ! 俺が? ないない! こう見えて滅茶苦茶緊張してるって。心臓ばっくばくだし、どっかで下手打ってないか不安で不安で仕方がないもん」
「そう、なの……? なんか、そんな風には見えないけど……」
有栖からのありがたいんだかそうじゃないんだかわからない評価に苦笑しながら、正直な気持ちを伝える零。
彼もまた自分と同じような緊張状態であることを知った有栖が、僅かにその固まった心を融解させる中、これを好機と見た零が更に言葉を続ける。
「だからさ、初めての相手が有栖さんでよかったって俺は思ってるよ。薫子さんたちからデートの提案をされた時にはびっくりしたけど、今になって考えてみれば役得かな~って思えるしさ」
「や、役得、って……そんなこと、ないよ。私なんて暗くて地味だし、一緒にいて楽しいわけないし……」
「それを言うなら俺の方も不安だよ。ぶっちゃけ、女の子を楽しませるような話題なんてな~んにも知らないからさ。アニメの内容に沿わなくちゃいけないから俺が選ばれたけど、もっと別な人の方が適役だったんじゃないかって、そう思ってる」
「そ、そんなことないよ! 私は、零くんだからこそこんな我儘を言えたわけだし……仲良くない人と2人で出掛けるだなんて、そんなこと私には出来っこないしさ」
お互いにちょっとずつ不安を吐露し合って、このデートの相手としてお互いを選んだことに後悔はないということを確かめ合う零と有栖。
そうした後、僅かに安堵の気持ちを滲ませる溜息を吐いた零は、有栖の顔を見つめながらこう言った。
「そっか。それじゃあさ……折角の機会だし、もっと仲良くなれるように一緒に楽しい1日にしようよ。お互いに慣れてないところは多くあると思うけど、どうせ同じ1日を過ごすなら、楽しい方がいいわけじゃん? 初めての経験で緊張して楽しめなかったら、こういうことをしてる意味もなくなっちゃうし……もっと気楽にいこうよ、気楽に」
「……うん、そうだね。2人で一緒に、楽しい1日にしよう。お仕事のためにとか、楽しんでもらえるように頑張るとかじゃなくって、お友達と遊んでるような気持ちで過ごしてみるよ」
「よっしゃ、その意気だ! さてと、そろそろ目的の駅だから電車を降りようか。はぐれないようにね、有栖さん」
「うんっ!」
目的地に着く前に有栖の緊張を解せてよかった、と安堵する零。
自分のエスコートが未熟で彼女を楽しませるどころか緊張でなにも感じさせなくなるようなことになったらどうしようかと不安になっていた彼にとって、これは非常に大きな一歩だ。
そう思いつつ、自分1人で何もかもをこなせるはずもないと理解している彼は、先程自分と有栖が口にして2人一緒に楽しむという言葉を頭の中で反芻する。
例え仕事の一環だとしても、炎上のリスクがあるとしても、こうして有栖と一緒に出掛けることが出来たのだから、それを満喫しないというのは勿体ないが過ぎる話だ。
この後の収録に役立つ経験にするためにも、有栖自身の心の負担を軽減するためにも、今日という日はいい機会になるだろう。
まず第一に、自分も有栖と一緒に楽しもうと考えた零が深呼吸を終えると共に電車の扉が開き、目的地の駅へと到着する。
「さあ、行こうか。さっきも言ったけど、はぐれないようにね」
「わ、私が小さいからって子ども扱いしないでよ! 私だって零くんと同い年なんだからね……!!」
軽いからかいの言葉にいい反応を見せてくれた有栖へと笑みを零しながら、駅へと一歩踏み出す零。
燦々と夏の日差しが降り注ぐ外の空気を思いっきり吸い込みながら気持ちを切り替えた彼は、今回の目的地であるショッピングモールへと、有栖と共に歩んでいくのであった。
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